虫ん坊

再録・虫さんぽ 第4回:高田馬場・その2

2021/03/08

再録・虫さんぽ 第4回:高田馬場・その2

写真と文/黒沢哲哉

手塚治虫先生と手塚マンガにゆかりの地をぶらりお散歩するこの企画。
今回は、前回に続いて高田馬場を歩きます。

(※この記事は2009年3月当時の内容をそのまま再録したものです。記事内でご紹介した施設や事実などはすべて取材当時のものとなります)


◎伝説のセブンビルへ

 高田馬場駅前の「手塚治虫壁画」の製作にたずさわった大竹由美子さんの案内で、商店街を小滝橋方向へ歩き、次の目的地へと向かいます。
 この道沿いの街路灯には手塚マンガのキャラクターの絵が掲げられていて、手塚ロードといったおもむきです。

sanpo_baba0104.jpgUFOのような形の街路灯にはそれぞれ手塚キャラのプレートが

 しばらく歩くと、右側に大きな茶色のビルが見えてきます。ビルの名前は"セブンビル"。見た目はごくフツーのビルですが、ここには1976年から88年まで手塚プロが事務所をかまえており、手塚先生が数々の名作を世に送り出した場所でした。
 実は大竹さんはこのビルに事務所を持っていて、手塚先生とも会ったことがあり、そうした縁が壁画を作る活動にのめり込むきっかけになったのだそうです。

sanpo_baba0105.jpgかつて手塚先生の仕事場があった「セブンビル」


 当時は2階のワンフロアーが丸ごと手塚プロスタッフの仕事場と事務所になっていて、手塚先生は別の階にもうひとつ部屋を借り、そこで創作に没頭していました。
 このころの手塚先生の仕事ぶりは、1986年にNHKが取材してNHK特集で放送しており、今もDVDで見られます。手塚先生が執筆中の様子を公開したのは後にも先にもこのときだけですから、まだご覧になってない方は必見の映像ですよ!


 それから私事ですが、ぼくも1982年ごろ、ある出版社の仕事で『ふしぎなメルモ』の写真を借りるためにここへ来たことがありました。そして、そのとき応対してくださったのが、何と手塚先生のお父様だったのです。後で聞いたところ、手塚先生のお父様は、そのころ事務所に常駐されていて、忙しい手塚先生やスタッフに代わって、訪れたファンの相手などをされていたのだそうです。


 あっ、ところでセブンビルは個人ビルで、現在は手塚プロのあった場所にも別のテナントが入っていますから、くれぐれも勝手に立ち入ってはいけません。われわれファンは外から見るだけにいたしましょう。

◎手塚先生も食べたミックスサンド

 このセブンビル1階にある喫茶店"つかさ"は手塚先生もよく利用されていたお店だと聞いてきましたので、ぼくも大竹さんと一緒に入ってみることにしました。

sanpo_baba0106a.jpg手塚先生もよく利用された喫茶店「つかさ」。
営業時間/8:30〜20:00 定休日/土日祭日 問い合せ/03-3362-8766(※現在は閉店しております)


 手塚先生が朝食によく出前を頼んだというミックスサンドウィッチとコーヒーのセット(730円)をいただきながら、経営者の養田(ようだ)庄司さんに、当時のお話をうかがいました。


 今年74歳になられるという養田さんはセブンビルのオーナーのひとりで、今も元気で厨房に立っておられます。ちなみにセブンビルは7人のオーナーの共同所有で、それでこの名前が付けられたんだとか。


「私がここで喫茶店を始めたのは1964年のオリンピックの年です。その後、1974年にビルに建て替えたんですが、ちょうどオイルショックで建築費が高騰してしまいましてね、家賃が高くてなかなかテナントが入らなかったんです。そこへ手塚プロが入居してくださったんです。その後は手塚プロの評判もあって部屋はすぐに埋まりました。本当にありがたかったですね」


 養田さんの話では、当時、手塚プロには来客が多く、打ち合わせの順番を待つ人たちが"つかさ"を待合室のように使っていたということです。

「手塚先生も、ごくたまにですがお店に来て仕事をされることがありました。ベレー帽を目深にかぶって目立たないようにコソッとやってきましてね、いちばん奥の席でマンガを描いていました。
 明るく気さくな方で、私にもいつも気をつかって話しかけてくださるんですが、あるとき帰り際に、先生は私との話に夢中で自動ドアにぶつかってしまったことがありました」


 手塚プロがセブンビルを出たときも、養田さんはビルの外壁に掲げられた看板をそのままにしておいてもらい、その後数年間、セブンビルには、アトムの絵の入った『手塚プロ』の看板がずっと掲げられていました。
 その後、別の看板を入れることになって手塚プロの看板は取り外されましたが、看板のアトムの絵の部分だけは養田さんが今も宝物として大切に保管されていて、今回、その貴重な看板も見せていただきました。

sanpo_baba0106c.jpg手塚先生がよく朝食に食べたというミックスサンドとコーヒーのセット。コーヒーは撮影前にちょっと飲んでしまった、失礼!

sanpo_baba0106b.jpg「つかさ」のご主人・養田庄司さん。横に置かれているのが、かつてビルに掲げられていた手塚プロの看板の一部

◎手塚先生のセブンビル入居秘話

「つかさ」を出て大竹さんと別れたぼくは、早稲田通りから路地裏へ入って現在の手塚プロへと向かいます。
 ここでお会いしたのは、手塚先生の運転手を1964年からお亡くなりになるまでずっと務めていたSさん。
 Sさんからは、なぜ手塚先生がセブンビルに事務所を設けることになったのか、そのいきさつを、お聞きしました。


「セブンビルを借りることになったのは、ほんとうにひょんなことからでした。当時、手塚先生は杉並区の下井草に住んでいたんですが、移動の時間がもったいないから、都心に事務所が欲しいと言っていたんです。
 そんなある日、真夜中に仕事が終わって車で早稲田通りを通りかかったときに、先生がたまたま『入居者募集中』の看板を見つけましてね、「ちょっと見てみようか」と。
 それで路肩に車を止めて、先生とふたりでそのビルへ入ってみると、コンクリートが打ちっぱなしの状態でがらんどうでしたけど、場所もいいし仕事もしやすそうだと。それですぐに借りることを決めたんです。それがセブンビルでした。
『鉄腕アトム』の作品世界では、科学省は高田馬場にあって、アトムはそこで生まれたという設定になっていますから、それで事務所も高田馬場にしたのですか、とよく尋ねられましたが、実際はまったくの偶然だったんですよ(笑)」


 なるほど〜、そうだったんですか! しかしきっかけは偶然だったとはいえ、今にして思えば、それももまた「必然」だったのではないかとさえ思えてくるほど、高田馬場の街は、いまや手塚マンガ一色の街なのでした。


sanpo_baba0107.jpgアトムが生まれた科学省精密機械局は高田馬場にあるという設定。1957年発行の光文社版『鉄腕アトム』第3巻より


 今回の散歩だけでは紹介しきれなかった場所もまだまだありますので、そこはまた日をあらためて歩いてみたいと思います。

(今回の虫さんぽ、2時間15分、2350歩)

(初出:2009/03/16)


黒沢哲哉

1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。

手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


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