写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
手塚治虫先生の足跡と手塚マンガに描かれた作品の舞台を訪ね歩いて11年! 過去の「虫さんぽ」の中から特に思い出深いさんぽを振り返るマイ・ベストさんぽ! 大阪編の3か所目は、2014年8月公開の「虫さんぽ」第35回より、かつて大阪市西区にあった「大阪市立電気科学館」跡地を訪ねたさんぽを振り返ろう。
・虫さんぽ 第35回:大阪さんぽ(前編)手塚少年に芽生えた科学する心を訪ね歩く!!
・これまでの「マイ・ベストさんぽ大阪編」
大阪市立電気科学館は戦前の1937年3月13日に大阪市西区の四ツ橋交差点角にオープンした科学博物館である。大阪市電気局が創立10周年を記念して建設した施設で、この館の目玉となる施設が東洋初のプラネタリウムだった。
手塚先生はこの電気科学館が開館して間もないころ、親友の父親に連れて行ってもらって以来、完全にこのプラネタリウムの魅力にはまってしまい、自ら足繁く通うようになったのだった。
その後、電気科学館は老朽化のため1989年に閉館し、同年10月、北区中之島に新たな「大阪市立科学館」がオープンした。
2014年に電気科学館跡地を訪ねた際には、そこに「ホワイトドームプラザ」という商業ビルが建っていたが、何とこの建物のデザインが、かつての電気科学館をリスペクトしたデザインとなっていて驚いた。これは電気科学館が地元の人々にいかに愛されていたかを示すものだろう。
この大阪市立電気科学館について、その後もコツコツと資料の収集を続けていたところ、いろいろと珍しいものが集まったので、今回は手塚先生と電気科学館との関わりを振り返りながら、それらの資料を紹介していこう。
まずは開館当時のパンフレットから。パンフレットには館内の詳細な案内図が描かれている。地階に食堂があり、2階以上が展示室。そして6~8階が3フロアぶち抜きのプラネタリウム場になっていたことが分かる。
2階にある「市電の店」というのはお店ではなくショールームで、最新の照明器具や電気器具などが展示されていた。
それからこのパンフレットの案内図で4階照明館の37番として書かれているのが「幻の花」という展示だ。これについては、手塚先生のエッセイにこんな一文がある。
「いまでも忘れないのは凹面鏡のトリック装置で『まぼろしの花』という展示。正面から花が見えるのに、手を伸ばしてもそこに実体がなくつかめない」(講談社版手塚治虫漫画全集別巻13『手塚治虫エッセイ集6』「懐かしのプラネタリウム」より。※初出は1985年刊「月刊うちゅう」)
これはいったいどんな展示だったのだろうか。あいにく写真はないが、1957年に発行された『電気科学館二十年史』(大阪市立電気科学館刊)に、こんな紹介文が掲載されていた。
「「ブース」の窓の前に植木鉢がある。前方から之を眺めると綺麗な花を咲かせた植木鉢を見ることが出来るが「ブース」に近寄ると花は幻の様に消えて見えなくなる。
之は「ブース」の中の眼に見えない所に置いた造花が凹面鏡により植木鉢の上に実像を生ぜしめ、あたかも植木鉢に花を咲かせた様に見せるためである」
大阪市立電気科学館にあったプラネタリウムは、ドイツの老舗光学機器メーカー、カール・ツァイス社が開発したカール・ツァイスII型という当時最新式の装置だ。
ここ大阪に設置されるより以前は、ドイツ国内の12か所設置されていたほか、オーストリアのウィーンやイタリアのミラノ、ローマ、スウェーデンのストックホルムなど世界の12か所に設置されているのみで、いまだアジアには1台も設置されていなかった。
そこで大阪市電気局の関係者がカール・ツァイス社に買い入れの交渉を行ったところ、同社は32万3000マーク(=マルク、当時の日本円換算で46万8000円)という金額を提示してきた。当時の相場でこれが高いのか安いのかは分からないが、大阪市電気局は、この価格では厳しいとして再三にわたり同社と価格交渉を行った。だが同社は頑としてそれに応じなかったという。
「三十二万三千マークは所謂定価であって世界の何処に出してもこれまでこの価格は崩したことがないと、(カール・ツァイス社は)どうしてもこの一線を譲らないのである」(前出『電気科学館二十年史』より)
困り果てた大阪市電気局は政治的解決をはかるほかはないと判断し、駐日ドイツ大使に実情を訴えてドイツ本国に働きかけてもらった。
だがそれでもカール・ツァイス社が減額に応じることはなく、ついに大阪市電気局が折れて東洋初のプラネタリウムは定価の32万3000マルクで買い入れることが決まったのである。いやはや、さすがの大阪商人もガンコなドイツ商人にはかなわなかったということか。
ちなみにこのプラネタリウムであるが、ドイツから届いてみると、本体部分がすでに組み立て済みの状態だった。そのため6階までどうやって運んだらいいかという問題にぶつかった。大きすぎるために階段では運べない。窓からも入らない。そこで貨物搬入用のエレベーターの中に本体をそのまま吊り下げて6階まで引き上げられたのだそうである。
まあ金額はどうあれ、こうして世界最新鋭のプラネタリウムは日本の大阪へやってきた。そして手塚少年がこの装置と出会い宇宙や未来への夢を馳せたことが、後の数々の名作マンガの誕生へとつながっていったのだ。そう考えれば32万3000マルクは決して高かったとは言えないだろう。
手塚先生は、このプラネタリウムの奇妙な形そのものに強い魅力を感じていたようで、このプラネタリウムのデザインを、マンガの中でそのまま引用している作品がいくつかある。今回はそんな作品のひとつ『ジェットキング』(1950年)を紹介しよう。
空想好きの少年、アッちゃんは、空想の中で祖父のベッタラ博士とともにベッタラ星へロケットで旅立つ。そのロケットの本体がまさに電気科学館にあったプラネタリウムそっくりなのである。
これは、アッちゃんのように空想好きだった幼い頃の手塚先生が、かつてプラネタリウムを見ながら思い浮かべていた夢だったのだろうか。
このプラネタリウム本体は、大阪市立電気館の閉館後、中之島の大阪市立科学館に運ばれて現在も往時の姿のまま展示されている。
あいにく聞きもらしてしまったが、これを電気科学館から運び出す際はどうやって運び出したのだろう。やはりエレベーターに吊り下げてそっと降ろしたのだろうか。
ということで3回にわたってお送りしたマイ・ベストさんぽ大阪編はこれにて完結です。また機会があれば、過去のさんぽの名場面を振り返ったり、後日談をお知らせするプレイバックさんぽをやりたいと思います。
そして次回はひさびさに新作の虫さんぽ+(プラス)をお届けします。次回のさんぽにもぜひまたおつきあいください!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
■バックナンバー
虫さんぽ+(プラス)
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・大阪編 第3話:大阪・十三で戦争の悲惨さを残す文化遺産を訪ねる!
・奈良編 第2話:写楽くんの足跡をたどりつつ古代史ミステリーを探る!!
・奈良編 第3話:その時が来なければたどり着けない!? 伝説の神社!!
・洞窟探検編 第1話:盗まれた名画の行方を追ってアトムが向かった場所は!?
・洞窟探検編 第2話:荒涼とした大地で手塚治虫が見たものは!?
・洞窟探検編 第3話:手塚治虫、大洞窟の中を命がけの逃亡!!
・北海道・道南-道東横断編 第1話:標高550メートルの山頂でヒグマに囲まれる!?
・北海道・道南-道東横断編 第2話:北海道東端の駅で子グマとSLの物語に思いを馳せる!!
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