写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
今回の旅は東京の池袋駅からはじまった! 池袋から西武線の各駅停車に乗って向かった先では......何と今はもう取り壊されてしまい現存していないはずの建物が建っていた!? 謎の招待状に導かれ、手塚治虫と手塚マンガゆかりの地を巡る虫さんぽ+(プラス)、今回も始まるぜ~~~~~っ!!(※今回の虫さんぽ+は緊急事態宣言前に訪ねたものです)
平日の朝8時過ぎ、東京の巨大ターミナル駅の一つ、池袋駅は朝のラッシュ時間真っただ中だった。電車がホームへ到着するたびに乗客の群れがどっと吐き出され、改札も通路もたちまち人の流れで埋め尽くされる。
そんな中、ぼくはその人波に逆らって西武池袋線の下りホームへと向かっていた。各駅停車専用の5番ホームは、先ほどの喧騒とは打って変わって閑散としていた。
ホームへ滑り込んできた電車に乗り込む。8時28分池袋発の豊島園行きだ。そういえば行き先の駅名にもなっている遊園地「としまえん」は2020年8月31日に閉園したのだった。たしかぼくの家のアルバムにも、子どものころに家族で出かけた古いとしまえんの写真が貼ってあったはずだ。最後にあの遊園地へ行ったのはいつだっただろうか......。
ガランとした車内でそんなことを考えているうちに、車内のアナウンスが早くも目的地に着いたことを告げていた。
降りたのは池袋から2駅目の「東長崎駅」である。ぼくの推理が正しければ、今回の招待状の目的地はここで合っているはずだ。
数日前、ぼくの手元にまた1枚の招待状が届いた。その招待状には「落」「熊」「荘」の3つの文字。そしてスペードにアルファベットのQが描かれたカードのようなシルエット、これはいったい何なのだろうか......。
東長崎駅で降りて改札を出ると、さっそく"あるもの"が目に飛び込んできた。それは手塚マンガ『ジャングル大帝』の主人公である白いライオンのレオと、そのガールフレンドで後に奥さんとなる雌ライオンのライヤのモニュメント像である。この像は2016年4月に豊島区長や手塚プロダクション取締役の手塚眞氏などが列席して盛大な除幕式が行われた後、ここに設置された。
やはりぼくの推理は間違っていなかったようだ。かつての豊島区椎名町(現・南長崎)界隈は過去の「虫さんぽ」でも2度訪れているが、それから数年の間に、こうしたマンガ関連の新たなモニュメントや観光スポットがかなり増えているというのだ。
・再録・虫さんぽ 第1回:豊島区南長崎 元トキワ荘周辺・その1
・再録・虫さんぽ 第2回:豊島区南長崎 元トキワ荘周辺・その2
・虫さんぽ 第33回:東京豊島区トキワ荘通りを鈴木伸一先生と再訪する!!
駅から商店街を抜けて南へ歩くと南長崎通りへ出る。北西から南東に向けて一方通行になっている細い通りだが、朝の通勤時間帯なので車の往来はかなり多い。その南長崎通りを南東へ300メートルほど歩くと右側に視界の開けた場所が現れた。「トキワ荘マンガミュージアム」と書かれた看板が立っている。
かつてこの町のとある路地裏に実在し、手塚治虫をはじめとする多くのマンガ家が暮らした伝説のアパート「トキワ荘」。そのトキワ荘は1982年に老朽化のため取り壊されたが、2020年7月7日、そのアパートを模した建物が再現されマンガミュージアムとしてこの地にオープンしたのだ。そのニュースはぼくも知っていたが、新型コロナの影響で自粛が続いていたため、ここを訪れるのはこの日が初めてである。
昭和時代のアパートを丸ごと再現するとはいっても、どれほどリアルなものなのか。期待半分不安半分で恐る恐る建物に近づいてみると、すでに遠目からでも分かるそのリアリティに目が釘付けとなった。開館してまだ1年も経っていない"新築"の建物なのに、まるでそうは思えない「いい感じのくたびれ感」が出ているのだ。
その古びた建物がきれいに整備された公園の真ん中に、そこだけ異空間のようにそびえ立っているのは何とも不思議な光景である。
トキワ荘マンガミュージアムの建物へ近づくと、玄関の前にひとりの女性が立っていた。
「おはようございます。虫さんぽ+(プラス)の黒沢さんですね」
女性は笑顔でそう口を開いた。彼女はこのミュージアムを管理運営する公益財団法人としま未来文化財団総務部ミュージアム運営課の北山奏子さんだ。
ミュージアムは入館無料(※取材当時。特別企画展は有料。来館時の入館料についてはミュージアム公式HPをご確認ください。)だが新型コロナウイルス感染予防のため入館制限が行われており、当面の間は事前予約者優先である。今回は謎の招待状をくれた人物がぼくの入館予約をしてくれていたようだ。
北山さんの案内で正面玄関から館内へ。玄関を入るとすぐ両側に木製の下駄箱があり、正面には二階へと上がる階段がまっすぐ上にのびている。昭和時代の木造アパートによくあった構造だ。北山さんによれば、二階はかつてマンガ家たちが暮らした部屋が忠実に再現されていて、1階がマンガラウンジと企画展示室になっているという。
まずは二階から見学させていただくことにした。下駄箱に靴を入れ、手をアルコール消毒して階段を上がると正面にあるのがトイレだ。
このトイレも展示物なので使用はできないのだが、まるで現役で使われているかのようなリアリティ!がある。セメントを塗り固めた壁に並ぶ使い込まれたような2つの男子用便器。さらに奥の個室の床にはモザイク模様に貼られたタイル。戦後から昭和40年代にかけて都市部近郊に数多く建てられた木造アパートの雰囲気が見事に再現されている。
「マンガ家の先生方がもっとも多く暮らしておられた築10年ごろのトキワ荘を再現しているんです」と北山さん。
北山さんによれば、現代の建築ではほとんど見られなくなった当時の建具、たとえば模様付き板ガラスなど、これらは可能な限り本物に近づけるよう努力されているのだという。
トイレの次の部屋は共同炊事場だ。正面奥に部屋の幅いっぱいの大きな流しがあり、その左右にひと口ガスコンロがいくつも並んでいる。先ほどのトイレの再現にも驚かされたけど、この炊事場にはさらに半端ではないこだわりが詰め込まれている。
「こうした生活感の再現は、映画のセットなどを製作されている東宝映像美術さんが担当してくださったんです。予想以上の完成度には私もびっくりしました」
北山さんがこう言われたように、細部までこだわり抜いた隙のない再現性はまさしくプロの仕事である。この昭和の空気感をぜひごの場に立って見ていただきたい。
炊事場より先は、建物の中央をまっすぐに延びた廊下の左右に、マンガ家たちが暮らしたそれぞれの部屋が並んでいる。
手塚治虫が仕事場とした部屋は炊事場の斜め向かいの14号室だ。昭和28年に学童社の編集者の紹介でここへ入居、翌年10月に豊島区雑司が谷の並木ハウスへ転居するまでおよそ1年間ここを仕事場としていた。手塚が退去した後は、富山から上京してきた藤子・F・不二雄と藤子不二雄A(※正しくは丸ガコミにA)の2人がこの部屋へ入居し、その後、若いマンガ家の卵たちが続々と入居してマンガ荘と呼ばれるようになったのだ。
その14号室の窓からは電話局の電話ボックスが見えているのだが、この窓の外の風景はすべて絵だ。北山さんにその理由をうかがった。
「じつはこのミュージアムは壁が二重構造になっていまして、室内から見た窓の外の風景はすべて絵で再現しています。一方、外から見える窓には照明が仕込まれていまして、夜になると窓に明かりが灯って室内で先生方が仕事をされているような雰囲気が感じられるようになっています」
なるほど、確かに室内がいくらリアルに再現されていても窓から見た風景が現代の公園では興ざめとなってしまう。現代の建築基準を満たしながら、建物の外からも中からも当時の雰囲気をリアルに演出しているというわけですね!
こうして各マンガ家さんの個性あふれる部屋をひとつずつ見て回った後は、エレベーターで1階へ(廊下のいちばん奥の部屋があった場所はエレベーターになっている)。1階のマンガラウンジには壁面いっぱいに本棚が据え付けられていて、そこにトキワ荘関連のマンガ家さんたちの本や雑誌がギッシリと並べられている。もちろん手塚治虫の本もたくさん並んでいた。中にはコレクター垂涎の貴重な本もあったぞ!
また企画展示室では「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展」が開催されていた。
今回の招待状の1つ目のキーワード"荘"は「トキワ荘」の"荘"だったのだ。
トキワ荘マンガミュージアムを心ゆくまで堪能し、北山さんに見送られて建物から出てくると、そこにマスクをしたひとりの男性が立っていた。
「黒沢さんお久しぶりです」
その男性が口を開いた。
この男性はいったい何者なのか!? それはまた次回!!
協力/豊島区、公益財団法人としま未来文化財団、豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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