虫ん坊

虫さんぽ+(プラス)昭和20年代都内出版社めぐり編 第1話:『漫画少年』時代のおやつ事情!!

2023/08/02

虫さんぽ+(プラス)第1話:『漫画少年』時代のおやつ事情!!

写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい

 

 地下鉄の中でつぶらな瞳の少年から手渡された一通の招待状。それは手塚治虫が昭和20年代に作品を発表した出版社へとわれわれをいざなってくれる魔法の鍵だった! さあ、今回もふしぎな出会いと発見の旅へ出発だ~~~っ!!


◎地下鉄の中で手渡された地図と招待状

 ある平日のお昼前、ぼくは神田神保町の古本屋街へ行こうと思い都営地下鉄三田線に乗っていた。朝のラッシュ時間が過ぎた車内はがらんとしていた。

 ぼくの斜め向かいにはひとりの少年が座っていた。小柄で黒目がぱっちりと大きく、髪の毛が額の先端でクルンと上に反り返っている。半ズボン姿が今時珍しい。

「手塚治虫のマンガによく出てくる少年に似ているなあ」などと思っていたら、その少年が立ち上がってぼくの方へ近づいてきた。

「おじさん、これを......」

 少年はそう言ってぼくに1通の封筒を差し出した。

「これは何?」

 そう聞き返そうとすると、ちょうど電車が駅に到着し、少年はホームへ飛び出してあっという間に走り去ってしまった。

◎君はもしかして......ケン一くん!?

 手元に残った封筒を開いてみると、中には1枚の写真と「招待状」と書かれた古びた紙が入っていた。

 これは、またしても謎の人物からの招待状! ということはあの少年は......!!

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 一緒に入っている写真はどこかの街を撮影したモノクロの航空写真だった。高い建物がほとんどなく、空き地も多い。どこかの地方都市の写真だろうか。いや、待てよ。この地形はどこかで見たことがあるぞ。そうか!

 ふと顔を上げると電車は春日駅に着いたところだった。

「待ってください、降ります、降りまーす!!

 ぼくはあわてて電車を飛び降りた。

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1948年118日にアメリカ軍が撮影した航空写真。左下に後楽園球場が見える。国土地理院ウェブサイトより

◎春日町交差点からさんぽ出発!!

 地上へ出ると、そこは白山通りと春日通りが交わる春日町交差点だった。

 招待状と一緒に入っていた写真は、終戦から2年半後の昭和23年1月にアメリカ軍によって撮影されたここ春日町界隈の航空写真だったのだ。左下の楕円形の構造物はかつての後楽園球場で、現在このあたりは東京ドームと東京ドームシティアトラクションズの敷地になっている。

 この交差点から春日通りの坂道を東の方向へのぼった弓町という場所にかつて学童社という出版社があった。学童社は手塚先生が『ジャングル大帝』を連載して東京進出の足がかりを作った『漫画少年』という雑誌を出していた出版社である。

 その跡地には2011年にも旧「虫さんぽ」で訪れている。

・虫さんぽ 14回:東京・文京区と四ツ谷で手塚先生、東京進出の足跡をたどる

 招待状の主はなぜ過去に行ったことのある場所へぼくを案内したのだろうか......。

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◎『漫画少年』編集者御用達の煮あずき屋さん

 そこであらためて招待状を見てみると「豆」という文字に目が止まり、手塚先生のエッセイにこんな文章があったことを思い出した。注目していただきたいのは文章の後半である。

「音羽弓町の『漫画少年』編集部は崖っぷちの木造家屋で、玄関の右手に階段があり、中央の奥には机が並び、左は二畳半の畳の間で編集長の宮前氏が寝泊まりしていた。二階は二間あって日あたりもよく、「ジャングル大帝」の三回めは、間にあわなくなってここで仕上げたのだった。宮前氏と、校正の赤インクで指をまっ赤にした編集部員の中野氏たちは、おやつの時間になると編集部の前の坂を下り、春日町交叉点の煮あずき屋へ行った。ゆであずきなのに、わざわざ煮あずきと断ってあるのがユニークだった」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集6』所収「加藤謙一氏と私」より。※初出は1981年湘南出版社刊『「漫画少年」史』)

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『漫画少年』昭和249月号。画像は文京ふるさと歴史館平成21年度特別展『実録!"漫画少年"誌』図録より

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『ジャングル大帝』。※画像は平凡社刊『別冊太陽 子どもの昭和史 手塚治虫マンガ大全』より

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◎豆つながりでうかがったお店

 そうか、この春日町交差点あたりに手塚先生や学童社の社員が通った煮あずき屋さんがあったのか!

 しかし学童社が春日通り沿いの弓町にあったのは昭和24年から26年までの間で当時と現在では風景が一変している。そもそもここには地下鉄もまだ通っておらず、代わりに白山通りに都電が走っていた(1968年に廃止)。道路は倍以上に拡幅され、当然ながら煮あずき屋さんも現存していなかった。

 途方に暮れてあたりをとぼとぼと歩いていると「いり豆」と書かれた看板が目に飛び込んできた。見ると老舗の風格を持った豆菓子のお店のようである。

 店名は「石井いり豆店」。豆つながりで何か分かるかもと思い、ぼくはお店に飛び込んでみた。応対に出てくれたのは四代目店主の石井晴雄さん(67)と、息子で五代目店主の雄貴さん(32)だ。

 あいにく晴雄さんも雄貴さんも煮あずき屋さんのことはご存じなく、こちらのお店は煎り豆専門店なので煮あずきも扱っていないという。

 だけどこちらのお店は創業が明治時代で戦前からずっとこの場所で営業されているということで、戦後のこの界隈の様子など貴重なお話を聞かせていただくことができた。

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1948年118日にアメリカ軍が撮影した航空写真(赤字は黒沢が追加)。国土地理院ウェブサイトより

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手塚先生の食べた煮あずきはこのようなものだったのだろうか。それともお汁粉のようなもの?(写真はイメージです)

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石井いり豆店。東京都文京区西片1-2-7、営業時間:9:30-19:00、定休日:日曜・祝日、問い合わせ:03-3811-2457

◎昭和11年建造の歴史的建物!

 まずは五代目店主の雄貴さんに「石井いり豆店」の沿革をうかがった。

「お店の創業は明治20年で、初代は浅草のお店で修行をしてお店を開きました。当時は南アメリカ原産の落花生が日本に入ってきてまだ間もないころでしてね。日本でもようやく栽培が始まり、お茶菓子やおやつとして食べることが少しずつ一般的になってきたころだったんです。

 そこでその落花生のほか、大豆、そら豆、えんどう豆などを煎ったものを販売したのが始まりだったと聞いています。

 お店の前の道は今は車の往来も多い道路になっていますが、昔はもっと細い道で昭和11年に拡幅されました。その際にうちのお店もやや北側へセットバックして、その際に新しく建てたのが現在のこの建物です。2010年に耐震補強などの改築工事を行いましたが、柱や天井などの主な部材はほとんど昭和11年当時のものをそのまま使用しています」

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左から五代目店主の石井雄貴さん、お母様の史江さん、四代目店主で雄貴さんのお父様の晴雄さん

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いり豆機。昔から使用していたものと同じ機械をわざわざ新たに作ってもらったとのこと

◎昭和30年代の商店街イラストマップ!

 続いて昔のこの街の様子について語ってくださったのは四代目店主の晴雄さんだ。

「この界隈は空襲でも奇跡的に焼け残ったんです。すぐ近くの本郷三丁目あたり(黒沢注:先に紹介した航空写真の右下のあたり)まではほとんど焼け野原となってしまったんですが、風向きのおかげか、ここは助かりました。ですから戦後も比較的早く復興することができたんです。

 昭和20年代に手塚先生たちが通われていたという煮あずき屋さんも、もしかしたら戦前から営業されていたお店だったのかも知れませんね。

 商店街がもっとも賑わったのは昭和30年代です。写真館に古本屋、レストラン、映画館もありました。洋品店だけで3軒もあったんですよ。映画館は昔のことですからモギリのおばちゃんがよくタダで入れてくれたりしました(笑)」

 そう言って晴雄さんが見せてくれたのが、この商店街の昭和30年代ごろの町並みイメージを再現したイラスト地図だった。地元の田町町会広報部長をされている伊藤浩孝さんという方が、地元の方々に聞き取りをして作成したものだという。

 これを見ると確かにこの街の当時の賑わいが目に浮かぶようである。しかも映画館があったということは、もしかしたら手塚先生もそこへ行ったことがあるかも知れない。

 そんなこの街の当時の賑わいに思いを馳せながらぼくはお店を後にした。石井晴雄さん、雄貴さん、ありがとうございました!!

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昭和30年代ごろの田町町会のにぎわいを再現したイラストマップ。作成:田町町会広報部長・伊藤浩孝氏

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素煎落花生(千葉県産)180g 1,000

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煎大豆(北海道産)160g 500

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カレー豆(そら豆)135g 550

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写真中央のビルのあたりが弓町の学童社のあった場所

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手塚先生の文章で学童社は「崖っぷちの木造家屋」だったと書かれているように、ビルの背後は後楽園方面に向かって急な下り坂になっている

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2010年に旧虫さんぽでここを訪れたときの写真と現在の同じ場所を比較してみた。2010年の写真では黄色いビルの場所が学童社のあった場所だ

 ということで、1つ目のキーワード"豆"の謎が解けた。"豆"は煮小豆(あずき)の"豆"だったのだ!

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 その後、せっかくなので学童社のあった弓町にも立ち寄ってみることにした。するとそこには2011年に来たときにはなかった巨大なビルが建っていた。わずか12年でこの変化なのだ。ぼくは74年の歳月がいかに長いかということをあらためて思い知ったのだった。

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協力/石井いり豆店


黒沢哲哉

1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。

手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


sanpo_tsunogai.jpgつのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/


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