虫ん坊

虫さんぽ+(プラス)東京・東久留米編 第3話:手塚治虫が「終の棲家」に選んだ街は...

2021/09/06

東京・東久留米編 第3話:手塚治虫が「終の棲家」に選んだ街は...

写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい

手塚先生の「終の棲家」となった街・東久留米市をめぐるさんぽもいよいよ今月が最終回。駅前に新しくできたブラック・ジャック像もチェックした虫さんぽ隊は、いよいよ、手塚先生がなぜこの街を選んだのかが分かる「真相」に迫ります!!


◎学生時代以来の東久留米市さんぽ!

 謎の招待状に導かれ、手塚治虫先生が晩年を過ごした町、東久留米市内を東へ西へと縦横に歩き回った今回の虫さんぽ+(プラス)。前回はついに2つ目のキーワードの謎を解き、いよいよ残るキーワードは1つとなった! 残るキーワードは"宝"。この言葉の意味するものは何か!? 果たして次はどこへ向かうのだろうか!!

sanpo_11_higashikurume_shotai02.jpg

 ということで、東久留米駅前のブラック・ジャック像を後にしたぼくは、商業ビルやたくさんのお店でにぎわう市街地を離れて静かな住宅街の方へ歩き出した。かつて手塚先生が暮らした町の空気を、ひさびさに肌で感じてみたかったからだ。

sanpo_11_higashi-kurume03-01.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-02.jpg

 じつは私事ではあるが、手塚先生がこの町へ引っ越してきた1980年代前半当時、大学生だったぼくは8ミリフィルムで自主製作映画を撮っており、その縁で同じく8ミリ映画を撮っていた手塚先生の長男の手塚眞氏とも知り合いになっていた。

 そのため手塚家がここへ引っ越したときも、引っ越し荷物の整理がついていないころから、多くの自主映画仲間とともにひんぱんに出入りをさせていただいていたのだ。

 当時は手塚先生のご両親も健在で、ぼくらがあつかましく家へ上がり込んでも家族総出で歓迎してくれた。ときには手塚先生本人が在宅しているときもあった。いや、ご本人の家だからいらっしゃっても不思議はないのだが、眞氏と知り合う前から手塚マンガのファンだったぼくにとってはまるで異世界へ来てしまったような感覚を覚えた。

 しかも手塚先生が在宅のときはわりとひんぱんにあった。今にして思うと、手塚先生はあの超多忙な中でも時間を作って帰宅され、家での時間をとても大切にされていたのだなと、あらためて感じるのだ。

sanpo_11_higashi-kurume03-04.jpg

手塚眞さん

sanpo_11_higashi-kurume03-05.jpg

手塚眞さんが1981年に制作・監督した8mm映画『MOMENT』。黒沢もスティル写真などで協力参加させていただいた。画像は2002年に発売されたDVD。『MOMENT
DVD発売:ポニーキャニオン
(C)Tezka Macoto/NEONTETRA
(C)1981 MOVIE MATE 100%・MODERN SOUL PICTURE

sanpo_11_higashi-kurume03-06.jpg

1982年12月、東久留米の手塚邸でのスナップ。左が手塚眞さんで右が黒沢

◎手塚眞さんの言葉にキーワードのヒントが!?

 大通りを外れて住宅街へ入ると急に静かになる。ぼくが手塚邸に足繁く通っていたころとくらべると、畑や雑木林だったところにマンションや家が建っていたりして風景はそれなりに変わってはいるが、それでも緑の多い静かな住宅街の雰囲気はあのころのままだった。

 そこでぼくは先日、ブラック・ジャック像の話を聞くためにお会いしたときに眞氏が言っていたこんな言葉を思い出した。

手塚「東久留米の家は、うちの父親が全体のイメージを考えて建てた家なんです。

 自分でデザインしたということでは、前に住んでいた虫プロのころの富士見台の家も同じですが、時代を経て父親の志向も変わったことを感じました。

 というのは、富士見台の家というのはすごくモダンなんですよ。未来志向でシャープでいい意味で硬質な感じがするんです。

 そんな先鋭的な家が住宅地にいきなり現われてあの当時はすごく目立っていました。真っ白な家で、いかにも明るい未来を象徴する感じだったのだと思います。

 ところが東久留米の家はどちらかというと原点に帰ったと言いますか、宝塚っぽいんですね。クラシカルなイメージもある洋館という感じで。最初に見たときに、ぼくは「ああ、これは宝塚だな」と思ったんです。

 周りに緑があって坂道があって川があって、あの家がそのまま宝塚に建っていてもおかしくないような雰囲気を感じたんです」

 眞氏のこの話を聞いてぼくはハッとした。手塚先生は幼少期からマンガ家として上京する昭和20年代まで、兵庫県宝塚市の高台にある実家で暮らしていた。その実家跡地周辺は旧「虫さんぽ」でも訪ねているが、東久留米の家との共通点は今回眞氏に言われて初めて気がついた。確かに東久留米の住宅街には宝塚とよく似た雰囲気がある!

虫さんぽ 38回:宝塚さんぽ(後編) 手塚治虫先生の実弟・浩さんと昆虫採集の森を歩く!!

sanpo_11_higashi-kurume03-07.jpg

以下には東久留米と宝塚の手塚先生の実家付近の風景を対にして並べてみた。あえて同じような風景を選んだことを差し引いても、確かに雰囲気が似ている

sanpo_11_higashi-kurume03-09.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-10.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-11.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-12.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-13.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-14.jpg

◎ついに3つ目のキーワードの意味が判明!!

 東久留米の家について、眞氏のお話を続けてうかがおう。

手塚「これは前にも話したことがありますが、西武線沿線というのは(宝塚を走る)阪急線の沿線と雰囲気が似ているんですね。それもそのはずで西武がこの沿線を開発するときに、阪急グループの創業者である小林一三さんの理念を参考にしたというんです。池袋から私鉄を伸ばして新興の住宅地を作り、そこに遊園地を置いて、というのを阪急をモデルとして行っていったらしいんです。

 そうすると虫プロ時代の家があった富士見台あたりというのは阪急線でいうと(手塚治虫生誕の地である)豊中市に近い印象ですね。東久留米はそこからさらに十数分電車に乗るわけです。そうすると阪急でいえば宝塚くらいとなる。

 さらに坂道っていうんですか、宝塚の家も東久留米の家も坂のところに建っているわけです。そういう土地を選んでそこにあえて宝塚的な家を建てたっていうのは、多分そこが父親にとって落ち着く場所、本当の意味での家だったんだろうなと思っています。

 それを本人がどこまで意識していたかは分かりませんが、晩年になって自分が生まれ育った土地のイメージに近づいていた。そこが最も居心地の良い憩いの場所だったのかな、と思います」

sanpo_11_higashi-kurume03-15.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-16.jpg

sanpo_11_higashi-kurume03-17.jpg

 こうして眞氏のおかげでついに3つ目のキーワードの謎も解けた。"宝"の文字は手塚先生の故郷、宝塚の"宝"だったのだ。

sanpo_11_higashikurume_shotai03.jpg

◎野火止用水でゴール!

 手塚先生がここに暮らした1980年代と、戦争中にもかかわらず昆虫採集とマンガ描きに明け暮れた少年時代の宝塚の家──

 そんなさまざまな時代の手塚先生の面影を追いながら、ぼくはもう少し東久留米の町を歩いてみることにした。

 黒目川の流れをながめながら、それを宝塚の武庫川の風景と重ねてみた。坂の町特有の雰囲気も確かに宝塚とよく似ている。

 そして足の向くまま気の向くままに歩いていくと、やがて東西にのびるまっすぐな水路に行き当たった。野火止用水だ。江戸時代に玉川上水から分水した用水路で、新座市を抜けて志木市の新河岸川まで続いているという。

 この水路に沿って東へ向かうとその先に手塚プロのスタジオがある。あの謎の招待状に記されていたとおりだ。

 ここ東久留米に住んでいたころ、手塚先生は天気の良い日に何度か自分で自転車をこいで新座のスタジオまで通ったことがあるという。そこでぼくもしばしこの水路に沿って歩き、手塚先生との心の中でのツーリングを楽しんだ。

sanpo_11_higashi-kurume03-18.jpg

野火止用水。この水路に沿って東へ進むと新座の手塚プロスタジオへ行き着く

sanpo_11_higashi-kurume03-19.jpg

 さて毎度毎度どこへ行かされるのか分からない虫さんぽ+(プラス)の旅。果たして次の招待状は我々をどこへ案内してくれるのだろうか!? 次回の虫さんぽ+(プラス)にも、ぜひお付き合いください!!

協力/有限会社ネオンテトラ

mushisanpo_higashikurume03_map.jpg


黒沢哲哉

1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。

手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番


sanpo_tsunogai.jpgつのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/


■バックナンバー

 虫さんぽ+(プラス)

・大阪編 第1話:大阪・十三で旧制中学の同級生を訪ねる!!

・大阪編 第2話:大阪・中津の軍需工場跡地で、辛かった戦争時代の想い出を歩く!

・大阪編 第3話:大阪・十三で戦争の悲惨さを残す文化遺産を訪ねる!

・奈良編 第1話:火の鳥に誘われて巨大大仏を見る!!

・奈良編 第2話:写楽くんの足跡をたどりつつ古代史ミステリーを探る!!

・奈良編 第3話:その時が来なければたどり着けない!? 伝説の神社!!

・洞窟探検編 第1話:盗まれた名画の行方を追ってアトムが向かった場所は!?

・洞窟探検編 第2話:荒涼とした大地で手塚治虫が見たものは!?

・洞窟探検編 第3話:手塚治虫、大洞窟の中を命がけの逃亡!!

・北海道・道南-道東横断編 第1話:標高550メートルの山頂でヒグマに囲まれる!?

・北海道・道南-道東横断編 第2話:北海道東端の駅で子グマとSLの物語に思いを馳せる!!

・北海道・道南-道東横断編 第3話:財宝が隠されている神秘の湖はココだった!!

・ミッドナイト 東京タクシーさんぽ 第1話:早稲田で乗せた老女は幽霊だったのか!?

・ミッドナイト 東京タクシーさんぽ 第2話:杉並から早稲田へ、時限爆弾を追え!?

・ミッドナイト 東京タクシーさんぽ 第3話:ニセ警官はタクシーで庚申塚を目指す!!

・北海道・道東-道央-津軽海峡編 第1話:鉄格子の中から愛を込めて!?

・北海道・道東-道央-津軽海峡編 第2話:北見山地にエゾオオカミの生き様を見た!!

・北海道・道東-道央-津軽海峡編 第3話:海峡の歴史を物語る"あの船"を訪ねる!!

・マイ・ベストさんぽ【東京編】第1話:四ツ谷の下宿はどこにある!?

・マイ・ベストさんぽ【東京編】第2話:幻の地下ホテルを探せ!!

・マイ・ベストさんぽ【東京編】第3話:手塚先生の仕事場へタイムスリップ!!

・マイ・ベストさんぽ【大阪編】第1話:手塚マンガの原点となった町、松屋町を歩く!!

・マイ・ベストさんぽ【大阪編】第2話:手塚少年がアニメと出会った文化施設とは!?

・マイ・ベストさんぽ【大阪編】第3話:手塚少年の夢と空想を育てた幻の科学館!!

東京・御茶ノ水、神田編 第1話:神田明神でお茶の水博士とともに疫病退散を祈る!!

東京・御茶ノ水、神田編 第2話:明大通りの坂道でアトムマンホールに出会った!!

再録・虫さんぽ 第1回:豊島区南長崎 元トキワ荘周辺・その1

再録・虫さんぽ 第2回:豊島区南長崎 元トキワ荘周辺・その2

再録・虫さんぽ 第3回:高田馬場・その1

虫さんぽ+(プラス)東京・椎名町、下落合、早稲田編 第1話:失われたはずのあの建物が目の前に......!?

再録・虫さんぽ 第4回:高田馬場・その2

再録・虫さんぽ 第5回:江戸東京博物館『手塚治虫展』と両国・浅草界隈

再録・虫さんぽ 第6回:埼玉県飯能市・鉄腕アトム像周辺(前編)

再録・虫さんぽ 第7回:埼玉県飯能市・鉄腕アトム像周辺(後編)

虫さんぽ+(プラス)東京・椎名町、下落合、早稲田編 第2話:ブラック・ジャックが終電車で出会った客は...!?

虫さんぽ+(プラス)東京・椎名町、下落合、早稲田編 第3話:鉄腕アトム、意外なコラボと幻の原画発見の真実とは!?

虫さんぽ+(プラス)東京・東久留米編 第1話:初夏の舗道で冷たく光るクールなアイツを発見!!

虫さんぽ+(プラス)東京・東久留米編 第2話:駅前に立つブラック・ジャック像の秘密を探れ!!


CATEGORY・TAG虫ん坊カテゴリ・タグCATEGORY・TAG虫ん坊カテゴリ・タグ