写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
都営三田線の社内で「ケン一くん」に似た少年からもらった一通の招待状に導かれての春日さんぽ。第1話では手塚先生のエッセイをもとに、『ジャングル大帝』デビューのきっかけとなった学童社にちなんだ場所をさんぽしました。先生のエッセイにはさらに、気になるキーワード「ミルクホール」が...。
前回は1つ目のキーワード"豆"が、昭和20年代に手塚治虫先生が通ったという春日町の煮あずき屋さんの"小豆"を指していたことが分かった。
しかしあとの2つのキーワードの意味がまったく分からない。そこで前回引用した手塚先生のエッセイの続きを読んでみた。『漫画少年』編集長の宮前氏や編集部員の中野氏と一緒に春日町の煮あずき屋さんへよく行ったという話の続きである。
「水道橋から神保町へ行く途中の、ミルクホールにもよく通った。ミルクホールの呼び名は、戦後、死語に近いのに、この店だけは使っていて、それがまたみんなのお気に入りだった。宮前氏はそんな店のなかで身を立てる夢を語り、いま「二畳半物語」という私小説を書いているなどと意気ごんでいた」(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集6』所収「加藤謙一氏と私」より。※初出は1981年湘南出版社刊『「漫画少年」史』)
このミルクホールについてもいろいろと調査をしてみたのだが、やはり残念ながら現存していないようだ。しかし神田界隈でミルクホールと言えば現在も営業している有名なお店がある。千代田区神田多町にある昭和20年創業の「栄屋ミルクホール」がそれだ。
今いる春日町から地下鉄に乗れば10分ほどの距離だ。ちょうどお昼になったのでここはひとつ足を伸ばしてその栄屋ミルクホールで昼食を取ることにした。
都営地下鉄三田線で神保町まで行き、そこで都営新宿線に乗り換えて小川町駅で下車。徒歩5分ほどで到着だ。
「栄屋ミルクホール」はかつては現在の場所から50メートルほどの所にお店を構えていたが再開発のために2021年10月に一旦店を閉じ、2022年2月にこちらの場所で再オープンしたのだった。ちなみにこのお店、店名はミルクホールだけどメニューに甘味はなく、ラーメンとカレーが看板の食堂である。
お昼時なので店内はサラリーマンらしき人で混んでいたが、料理が出てくるのも早いので回転も早くすぐに座ることができた。ぼくはカレーライス(750円)を注文。出てきたのは昔ながらの洋食屋さんにあるような辛さが控えめで甘みとコクのあるトロッとしたカレーだった。皿に添えられた赤い福神漬が郷愁を誘う。
その昔懐かしいカレーを食べながら、あらためて招待状を見てみた。
まず、招待状の中央に書かれた四角形とその一部が欠けた記号のようなものの意味はまったく分からないので後回しにして、左下の絵に注目してみた。
横シマの入ったこの帽子、手塚マンガの何かの作品で見たような気がするのだが......。そうだ、思い出した。この帽子は手塚治虫が1950年に発表したマンガ『タイガー博士』に登場する少年野球チーム「タイガース」の帽子だ!!
『タイガー博士』は1952年に鶴書房から単行本として出版されたが元々は『タイガー博士の珍旅行』というタイトルで1950年に『少年少女漫画と読物』という雑誌に連載された作品である。その『少年少女漫画と読物』を出していたのが新生閣という出版社だった。
と、そこでぼくは手塚先生がかつてこんな文章を書いていたことを思い出した。
「昭和二十二年の夏、ぼくはひょろ長くやせこけたワイシャツ姿で、汗でびっしょりになりながら神田の大通りをうろついていた。
四月空襲で焼け野原になったはずの都心だが、ここ神田界隈には、意外なほど戦前のままの民家や商店が残っていた。神田へ行けば出版社があるだろう──そんな漠然としためあてで、原稿を売りこむべく、ひたすら歩いているのだった。
専修大学前から、九段の方へむかった右側のちょっとした路地に、なんとはなしにさまよいこんだ。薄汚れた、しもたや風の出版社らしき建物があった。中は暗くて貧相だった」(講談社版手塚治虫漫画全集『新世界ルルー』あとがきより)
手塚先生は昭和22年の8月7日から18日にかけて、漫画界の重鎮である新関健之助や島田啓三に自分の作品を見てもらおうと『新寶島』を携えて上京した。そのときに神田神保町界隈の出版社へも立ち寄って売り込みをかけていたのだ。
そして手塚先生はこの後に続く文章で、このしもたや風の出版社が新生閣だったと書いている。もしそれが事実ならキーワード"閣"の謎が解けるのだが......。
そこでぼくは手塚プロ資料室の田中創さんにお願いして『少年少女漫画と読物』の奥付をスキャンして送っていただいた。
送ってくれたのは昭和24年新年号の奥付だ。ところがそこに書かれていた住所は「東京都世田谷區太子堂町」となっている。神田界隈とはまるでかけ離れた場所なのだ。
だとすると考えられるのは、新生閣は昭和24年には太子堂に移転していたが、昭和22年当時は神保町界隈にあったということか。
そこで今度は国立国会図書館のデジタルアーカイブで検索してみたところ、戦前の昭和10年3月に出版された新生閣書店の本が見つかった。その奥付を見ると「東京市神田區錦町一ノ一五」とある。今いる神田多町とは目と鼻の先だ。
ただし手塚先生の書いている「専修大学前から、九段の方へむかった右側」とはまるでかけ離れた場所なので、手塚先生が訪ねた場所がここだったとは思えないのだが。しかも会社名が「新生閣」ではなく「新生閣書店」となっているところも気になる。
栄屋ミルクホールを出たぼくは、それでも念のため戦前に新生閣が社屋をかまえていたという神田錦町の住所の場所へ行ってみることにした。
そのためには戦前のこの住所が現在のどこに当たるのかを特定しなければならない。千代田図書館に問い合わせたところ「火災保険特殊地図」というものがあることを教えてくれた。これは別名「火保図」とも呼ばれ、保険料率を算定するために昭和初期から昭和30年ごろまで作られた地図だそうで、当時の住所・地番のほか、主な会社名、店舗名などが詳しく記載されているという。
千代田図書館でこの地図を閲覧させてもらうと、昭和17年2月発行の錦町の地図があり「東京市神田區錦町一ノ一五」の場所が判明。それを現在の地図と重ね合わせることでその場所を特定することができた。
しかし昭和17年時点では新生閣書店はすでにこの場所に存在していなかったようで、地図上でその名前を確認することはできなかった。
手塚先生の行った新生閣がどこだったのか、あるいは先生の記憶違いか。これについてはもう少し手がかりを探さなければならない。
しかし! この火災保険特殊地図からは新生閣とは別の新たな、それも大きな発見があった!!
まずは先に紹介した『新世界ルルー』のあとがきの続きをお読みいただこう。
「当時、大阪・東京をとわず零細出版社は、なんらかの形で子ども向けの絵本に手を出そうとしていた。絵本や漫画本は単価の利潤が小さいわりに確実に部数が刷れるので、安全な出版物として、神田あたりでも結構出まわっていたのである。
現にぼくも、小川町近くの同盟出版社というちっぽけな所で、書きおろしの絵本「怪人コロンコ博士」──これは、そもそも原稿は大阪の絵本スタイルだったが、社のほうでこまぎれにして小型本になおしてしまったものだ──を売りこんできたところだったのだ」
この文章の中にある「小川町近くの同盟出版社」も、確かにそこに存在していたとすれば、まさしく今いる場所から歩いていける場所だ。ただし本当にそこにあればだが......(すでに疑い深くなっている)。
そこでまたまた資料室の田中さんに依頼して、昭和22年10月発行の『怪人コロンコ博士』の奥付を送ってもらった。そこに記載されていた住所は「東京都千代田区神田神保町一ノ四〇」。
この住所を千代田図書館の火災保険特殊地図で調べてみると......果たして1951年4月作成の地図のその住所の場所にはっきりと書かれた「同盟出版社」の文字を発見したのである。
神田錦町から同盟出版社の跡地までは徒歩15分ほどの距離である。午後の太陽が容赦なく照りつける中、ぼくは汗びっしょりになりながら靖国通りを歩いた。76年前の8月に手塚先生がここを歩いたときも、きっとこんな感じだったのだろうな、と思いながら。
ちなみに手塚先生は同盟出版社の場所を「小川町近く」と書いているが住所は神保町である。これは恐らく手塚先生が神田駅の方向から「神田の大通り」すなわち靖国通りを東から西へ向かって歩いて来たため、神保町交差点手前のこのあたりをまだ小川町近くと認識していたためだろう。
そして到着した同盟出版社の跡地は、神保町交差点の北東の細い路地に面した場所で、いまは共産党の関連施設が建っていた。すぐ近くには少女マンガ専門の古書店などマニアックな書店もあったりするのでここを訪ねたらぜひ周辺も散策してみていただきたい。
ということでキーワード"閣"の謎を解こうとしていたら、期せずしてもうひとつのキーワード"コロ"の謎が解けてしまった。"コロ"は記号や図形ではなく、手塚先生が同盟出版社から刊行した『怪人コロンコ博士』の"コロ"だったのである!
これで残るキーワードは"閣"ひとつとなった。次回、このキーワードの謎は解けるのか、どうぞご期待ください!!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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