写真と文/黒沢哲哉 地図/しげとも(手塚プロダクション) 絵/MJ・K(手塚プロダクション)
謎の招待状に導かれて手塚治虫と手塚マンガに関わる場所を尋ね歩く虫さんぽ+(プラス)の旅。今回は映画の都、アメリカのハリウッドから始まった。果たして謎の招待状は今回我われをどこへ連れて行ってくれるのだろうか!?
ある日、ぼくはアメリカ・カリフォルニア州ロスアンゼルス、ハリウッドの雑踏の中にいた。ここは言わずと知れた映画の都である。通りには様々な映画キャラクターのコスプレをしたパフォーマーが行き交って観光客たちを楽しませている。
ひときわ目立つ白と朱色に塗り分けられた東洋風の建物は、ここで毎年アカデミー賞の授与式の行われるチャイニーズ・シアターだ。
ぼくも仕事で来ているはずなのに、すっかり観光客気分となり、そのチャイニーズ・シアター前で記念写真を撮っていた。
そのときだ。初夏にもかかわらず肩から真っ黒なコートを羽織ったひとりの男がぼくに近づいてきた。何のパフォーマーだろう、そう思って男の方を見ると、男はぼくに1枚の古びた紙を差し出した。その赤茶けた紙には3つの文字が書かれている。これは......またしても例の招待状!!
あわてて顔を上げると、男はすでに雑踏の向こうを歩いていた。男の髪は中央から半分が真っ白で、歩くたびにその白髪がカリフォルニアの太陽に照らされ、銀色に輝いている。
「待ってください!」
ぼくは必死で男を呼び止めようとしたが、男はそのまま雑踏の中へとかき消えた。
こんなことをしている場合ではない。ぼくは旅行を中断し、日本へ帰ることにした。
帰国して数日後、ぼくは新宿からJR青梅線に乗り、西へ向かっていた。招待状が示している場所に心当たりがあったからだ。
それにしても、こうして謎の招待状が届くのもこれで何度目だろうか。毎回、突然現われる謎のメッセンジャー。彼(彼女)らがぼくにこれを手渡し、そこに書かれたキーワードの謎をひとつ解くごとに、ぼくと、ぼくら虫さんぽ+(プラス)隊の手塚マンガに対する知識と愛情は少しずつ深まっていった。
今回の招待状はぼくらをどこへ導いてくれるのだろう。
あらためて招待状を見てみよう。
今回の招待状に書かれたキーワードは漢字の「谷」、アルファベットの「Di」、そして「福」の3つだ。さらにぼくが重要なヒントだと思ったのは招待状に添えられた帽子のイラストである。これは階級の高い軍人の帽子に違いない。そしてその庇の下にチラリと見えている黒い半月形のもの、これは片目を覆うアイパッチではないだろうか。
と、ここまで読めば手塚マンガと『ブラック・ジャック』のファンならピンと来た方もおられるかも知れない。
そうこうしているうちに電車は福生駅へと到着した。ここがぼくの推理した目的地である。東口改札を出て目の前にある富士見通りを東へと歩き出す。そのまま15分ほど歩くと南北に延びる片側2車線の大きな道路に突き当たった。国道16号線だ。この道路に沿って殺風景なコンクリート塀がどこまでも続いている。この塀の向こうは在日アメリカ軍と航空自衛隊が共同で使用している「横田基地」である。今回の招待状が示している場所、それはまさしくここ横田基地に違いない!
そう断言できる根拠は、先ほども書いたように招待状に添えられた帽子の絵である。手塚治虫はマンガの登場人物を俳優に見立て、様々な作品に様々な役柄で出演させていた。それを手塚は「スターシステム」と呼んでいた。
そんな手塚マンガのスターたちの中でも軍人の帽子とアイパッチがもっとも似合う俳優と言えば、これはもうメイスン以外にいないだろう。メイスンはイギリスの俳優ジェームズ・メイスンがモデルで1954年作品『ナスビ女王』でデビューした。続いて『流星王子』(1955年)や『大洪水時代』(1955年)などに出演、その後、同じヨーロッパ出身のムッシュウ・アンペアやロンメルとともに手塚の最晩年の作品まで出演し続けた常連スターのひとりである。
そしてそのメイスンが軍人役を演じた印象深い作品に、ここ横田基地周辺を舞台としたものがある。
『週刊少年チャンピオン』1973年12月10日号に掲載された『ブラック・ジャック』第4話「アナフィラキシー」である。
『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」は、B・Jがメイスン演じる在日アメリカ軍の大佐に呼ばれてここ横田基地を訪ねてくるところから始まる。
大佐の依頼は戦場で負傷した兵士の息子を助けてほしいというものだった。その青年はすぐにでも手術が必要な状態だったが、彼にはアナフィラキシーがあった。
アナフィラキシーとはドイツ語で"無防備"という意味であり、アレルギーの一種だ。アナフィラキシーを持つ人は抗原抗体反応によって急激なショック症状を引き起こしたり、最悪の場合死に至ることもある。
このアナフィラキシーのため青年には麻酔を使用できなかった。B・Jは麻酔なしでの手術を迫られる!
横田基地は太平洋戦争が開戦する1年前の1940年に旧日本陸軍航空隊の軍用飛行場「多摩飛行場」として開設された。戦後は連合国軍に接収され「横田飛行場」と名を変える。その後、1950年以降数度にわたる拡張工事が行われ、60年にほぼ現在の規模となった。
現在の横田基地は東京都福生市、昭島市、武蔵村山市、羽村市、立川市、瑞穂町の5市1町にまたがり、総面積は720万平方メートル。そこに3,955メートルの滑走路が1本と2,700メートルの誘導路が1本設けられている。そこを冒頭にも書いたようにアメリカ空軍と航空自衛隊が共同利用している。
横田基地が世間の耳目を集めたのは、朝鮮戦争からベトナム戦争へと続く1950年代から70年代にかけてのことだ。ここから戦場へ向けて軍用機が頻繁に飛び立ち、戦争に反対する人たちの基地廃絶を叫ぶ声が高まった。また地元住民は深夜まで続く航空機の騒音に悩まされ公害訴訟が巻き起こった。
『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」が発表された1973年はまさにベトナム戦争真っ只中の時代であり、横田基地が社会的にも注目されていた、様々な意味でもっとも熱い時代だったのだ。
ここはぜひともドラマの舞台である横田基地の中へ入りたいところだが、何と言ってもここは機密だらけの軍事基地である。年に一度開かれる友好祭の時でもなければ一般人はもちろん立ち入れないし、塀や金網の至るところに日本語と英語のものしい警告看板が掲げられていて、そこへ近づくことさえ拒んでいる。
ということで70年代当時の横田基地界隈の様子やこの町の成り立ちについて、どなたか詳しい方にお話をうかがえないかと思って調べたところ、近くに「福生アメリカンハウス」という施設があることが分かった。そこへ問い合わせたところ「ぜひいらしてください」という快いお返事をいただいた。
福生アメリカンハウスは福生駅から東へ伸びる富士見通りと国道16号線の交差点から16号沿いに1kmほど南下した1本裏手の道沿いにある。
この建物は、もともとは1958年に駐留アメリカ軍の家族用に建てられた「米軍ハウス」であり、現在はその内部に当時のアメリカ人家族の生活の様子を再現した家具や生活雑貨、写真、歴史資料などが展示されている。かつての米軍家族の生活やこの町の歴史が学べる無料の観光施設となっているのだ。
ペンキでスカイブルーに塗られた平屋建ての建物と広々とした芝生の庭。建物自体は日本風なのに、この鮮やかな外壁の色や玄関周りの構造、芝生の庭などが全体的にアメリカンな異国情緒を醸し出している。
入口に掲げられた「WELCOME」という英語の看板を横目で見ながら玄関へと向かう。出迎えてくれたのは福生武蔵野商店街振興組合・福生アメリカンハウス事務局の五十嵐みささんである。
五十嵐さんは、福生武蔵野商店街振興組合に所属して福生アメリカンハウスの管理をされているという。しかも何と、ご自身も現在米軍ハウスにお住まいなのだという。
さっそく五十嵐さんにお話をうかがった。
五十嵐「福生アメリカンハウスがオープンしたのは今から10年前の2014年7月5日です。建物自体は個人が所有しているものですが、それを福生武蔵野商店街振興組合が借り受け、福生市から委託されて管理運営しています」
黒沢「そもそも米軍ハウスというのはどういう施設なんですか?」
五十嵐「太平洋戦争後、アメリカ軍が日本に駐留してきて、その米兵の家族も日本で暮らすことになりました。そこで米軍の要請によって民間の戸建て賃貸住宅が大量に建設されたんです。それがいわゆる「米軍ハウス」と呼ばれています。実際に家を建てたのは日本の大工さんですが、米軍から提示された仕様に基づいて建築されていますから、このような和洋折衷のような独特の建物になっています。
米軍ハウスは、最盛期にはここ福生市だけでなく隣接する瑞穂町や昭島市などに2000棟以上建っていました。しかし1970年代以降、基地の中に家族住宅が建設されるようになり数が減っていきました。数年前に150棟と言われていましたが、そこからさらに数が減っているので、現在は恐らく100棟ちょっとくらいしか残っていないと思います」
黒沢「『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」が発表された70年代半ばごろというのは、その米軍ハウスがちょうど節目を迎えた時期だったんですね」
五十嵐「70年代ごろからは空き家となった米軍ハウスを日本人に貸し出すようになりまして、そこへ大瀧詠一さんなど若き日のミュージシャンや作家・アーティストなどが多く住まわれるようになりました」
黒沢「その方たちは、やっぱりこの基地の街独特の雰囲気に魅力を感じて集まって来られたんでしょうか?」
五十嵐「それは大きな理由ですが、米軍ハウスが特にミュージシャンに好まれたのは、基地の近くに建てるために防音がしっかりしているからなんです。
楽器を扱うミュージシャンにとって騒音問題というのは必ずついて回りますからね。じつは私の家族も全員楽器を演奏するので、それもあってずっと米軍ハウスに住んでいるんです」
黒沢「そんな意外な理由があったんですね。納得しました!!」
黒沢「1970年代当時のこの町はどんな雰囲気だったんでしょう」
五十嵐「私がこの町で暮らすようになったのは1979年からなのでそれ以前のことは分からないのですが、そのころでも16号線沿いにはまだまだ昔からのお店がたくさん残っていました。日本円の使えない、米ドルしか使えないお店、つまり基地の方専門のお店なんかもあったんですよ。
それから福生駅の近くに今も飲み屋街がありますが、そこも当時はアメリカ兵でものすごく賑わっていたんです。
そうした流れが変わった理由のひとつに、1973年に円とドルの相場が変動相場制に移ったことがあったのではないかと思います」
黒沢「なるほど! それまで1ドル=360円だった固定相場制が73年に変動相場制に移行したんですね。73年というとまさに『ブラック・ジャック』「アナフィラキシー」が発表された年ですよね。そして75年には15年間続いたベトナム戦争が終わってアメリカ軍にとっての横田基地の役割も大きく変わりますし、70年代という時代はこの町にとっても大転換の時代だったんですね。
五十嵐さん、とても貴重なお話をありがとうございました!!」
福生アメリカンハウスを出たぼくは、基地の街ならではの雰囲気を味わおうと国道16号線沿いを歩いてみることにした。
横田基地の西側を南北に走る国道16号線沿いにはおよそ3kmにわたって英語の看板の掲げられた異国情緒あふれるお店が建ち並んでいて、「福生ベースサイドストリート」という愛称が付けられている。
平日の昼間ということで観光客は少なかったけど、それでも通りを歩く人は外国人が多く、すれ違う人たちの英語やその他の国の言葉を聞いていると、まるで海外旅行をしているような気分が味わえる。
そんな中で気になったお店を見学させていただいた。
最初にうかがったのは、コカ・コーラの巨大な立体看板が目立つお店「BIG MAMA」。ここは1950~60年代のアメリカの家具や雑貨を扱うお店で、店内はまるでレトロ博物館のようにアンティーク雑貨がぎっしりと並んでいる。
中でもぼくが個人的に懐かしかったのは、ぼくが20代のころに雑誌『POPEYE』でライターをしていた時代に記事で紹介したことのある栓抜きやクリップなどの生活雑貨類。そして60年代ごろのものと思われるブリキ製のナッツベンディングマシンだ。このいかにもアメリカ風なポップデザインはあのころの日本の商業デザインにめちゃくちゃ影響を与えていましたよね。
アンティーク雑貨コレクターの方はもちろん、飲食店などを経営されている方ならば、お店のインテリアになるグッズを探しに来たら何かいいものが見つかるかも知れません。
続いて立ち寄ったのは、店先にミントグリーンにペイントされた自由の女神像が立っているお店「The Fixxers」だ。このお店の写真は下調べの段階でもネットでたびたび目にしていたのでお土産屋さんだろうと思っていたら、じつはここは靴とバッグの修理屋さんなのだという。
The Fixxersという店名は、英語で"直す、修理する""(人を)引きつける""地域に根付く"などの意味がある「fix」から来ているという。だけど「Fixers」としてしまうと「fixer」には"黒幕的人物"などの怪しい意味があるので、違うよ!という意味でx(バツ)をもうひとつ付けて2つにし「The Fixxers」という店名にしたのだとか。
それにしても最近は靴も傘も使い捨てが主流になっている時代、どんなお客さんが来るのだろうか。代表の竹宮淳平さんにうかがったところ、こんな答えが返ってきた。
「たとえば基地で働いている外国の方が家族の靴を持ってこられることがあります。サイズが35cmとか、日本では買えないような大きさのものだったりするので修理してほしいと言っていらっしゃるんですね」
さらに竹宮さん「Tシャツやパーカー、トレーナーなどお店独自のオリジナルブランドも展開していますので、観光で来られた方もぜひお気軽に立ち寄ってください」とのことである。
ちなみに竹宮さんの中学校1年生の息子さんが大の『ブラック・ジャック』ファンだそうで、この記事も見ていただけたらうれしいです!
ということで3つのキーワードのうち1つ目のキーワード「福」の謎が解けた。福は横田基地のある福生市の「福」だったのだ。
しかし、こうしてベースサイドストリートを歩いていても物足りないのは基地そのものの写真がまったく撮れないことだ。もっと飛行機が頻繁に離発着しているのを期待していたんだけど、塀の隙間からわずかに見える滑走路にも飛行機やヘリコプターの姿は1機もない。軍事基地が平和なのはいいことかも知れないけれど、じつに残念である。
とか思いながら16号線沿いを歩いていたところ、やがて予期せぬ出来事がぼくを襲うことになる。いや、ぼく自身の行動を振り返ってみればこれもある程度予測できたことなのかも知れないが......さて、いったいこのあとナニが起きたのか、それはまた次回!!
協力/福生武蔵野商店街振興組合、福生アメリカンハウス、フジヤマロケーションサービス、BIG MAMA、The MINT MOTEL、The Fixxers、ブルーシール福生店
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
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