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関係者インタビュー 私と手塚治虫 石坂啓編 第5回 「身近なもの」だったから、私たちは漫画に夢中になった

2024/04/05

関係者インタビュー

私と手塚治虫 石坂 啓編

第5回 「身近なもの」だったから、私たちは漫画に夢中になった

文/山崎潤子

 関係者に話を聞き、さまざまな角度から手塚治虫の素顔を探っていこうという企画です。今回は漫画家の石坂啓さん。石坂さんは手塚プロダクションで手塚治虫のアシスタントを務めたことでも知られています。手塚治虫に対する憧れや当時のアシスタントや編集者たちのエピソード、漫画に対する思いなど、さまざまな角度からお聞きしました。

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PROFILE

石坂 啓(いしざか・けい)

漫画家。
愛知県名古屋市生まれ。大学卒業後、上京して手塚プロダクションに入社。手塚治虫のアシスタントを1年間務め、在社中に漫画家デビュー。主な作品に『キスより簡単』『アイムホーム』『ハルコロ』など、エッセイ集に『赤ちゃんが来た』『お金の思い出』などがある。


 

■社会への視点を教えてくれた手塚漫画の深さ

 

──石坂さんが好きな手塚先生の漫画はなんですか?

 

一番好きなのは『ばるぼら』です。あとは『奇子』や、やっぱり『火の鳥』も。

子どもの頃は『鉄腕アトム』や『W3』をおもしろく読んでいたのですが、中学生の頃に『火の鳥』に出会って、手塚治虫が描く大人の漫画の世界ってすごいなあと思って。思春期の感受性豊かで背伸びしたい時期に、『奇子』や『きりひと讃歌』は衝撃でした。それまで私が知っている手塚先生の漫画とは全然違ったから。

『火の鳥』については『COM』で連載されていたのが途中で途切れてしまったでしょう。続きが読みたくて読みたくて......。後に『マンガ少年』で連載が再開されて、まさか自分がアシスタントになって原稿に触れるなんて思いもしなかったから、本当にうれしかったです。

 

──『ばるぼら』や『奇子』は、大人っぽいというか、ダークな雰囲気ですよね。

 

メジャーでど真ん中な漫画も好きですが、私はどちかといえば、マイナーで、端っこにあるような漫画も好きなんですね。そういう意味では、永島慎二さんやつげ義春さんあたりも好きだったなあ。

考えてみれば、『ブラック・ジャック』だって、それまでの少年誌の漫画と比べれば異色ですよ。すべてがハッピーエンドじゃないし、シリアスだし、不条理なお話もあるし。

 

──シニカルな終わり方も多いですね。

 

たとえば『奇子』は、単に戦争はダメだという反戦漫画ではなく、戦前戦後の背景を構造的に描いた作品です。こういう作品に触れることで、起きていることの裏側とか、大人や国の事情や建前など、社会を見るときの視点を教えてもらいました。いろいろなことを考えるようになりましたね。

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『奇子』(1972年-1973年)
天外家の末娘として生まれた奇子(あやこ)は、ある事件の唯一の証言者となったことで、家族によって土蔵に幽閉されて育つ。美しく成長した奇子に、待ち受けている運命は──。敗戦とともに移り変わる世の中で、崩壊する旧家の一族の姿を描いた社会派ドラマ。

 

 

■いい漫画家は性格が悪い?

 

──たしかに石坂さんの漫画にも、深みのようなものが......。

 

ふふふ。でも、漫画家って性格の悪い人が多いんですよ。裏表のない、竹を割ったような性格の人だったら、漫画家ではなく、他のお仕事のほうが向いていると思うんです。

 

──清廉潔白な人が描くものはおもしろくないかもしれませんね。

 

登場人物がいい人ばかりじゃお話が進まないんです。嫌な登場人物をつくって、しかもその嫌な奴に感情移入する癖がついていますから。読者をムカつかせるセリフとか、最悪のシナリオとか、表面上はこう言っているけど、腹では違うことを考えているというような場面がないと、おもしろくないでしょう。

もちろん私だってそう。お腹にヘビを飼っているくらいでなければ、嫌なキャラクターも描けないと思います。

 

■漫画家の葛藤と純粋

 

漫画家は会社員と違って後ろ盾がないから、うぬぼれもあるけど劣等感もすごいんです。

誰かの漫画が売れていると聞けば「すごいね」と言いながら「なんであんな漫画が」「自分だって」という感情はどうしても生まれます。作家ってそういうものです。

 

──作家ならではの感情なんですね。

 

反面、売れていても売れていなくても、漫画が好きで、それこそ何十年も漫画周辺で面白いことをしている先輩や後輩をかっこいいと思うし、心から尊敬します。割に合わないけどいい絵を描くなあとか、まだこんなおもしろいことやっているのかあ、なんてね。

これは漫画家ならわかると思いますが、売れているとか、人気があるとか、有名であるとか、お金があるとかは二の次という側面もあるんです。面白い漫画を描きたいという気持ちが大事でね。

 

■漫画が威張ったらダメになる

 

本当に日本の漫画って、手塚先生を起点にものすごい枝葉に分かれて、いまやものすごい漫画がたくさんありますよね。以前息子に『鋼の錬金術師』を借りて読んだら、戦争が起こる仕組みがきちんと描かれていて、すごいなと思いました。漫画の審査員も何度かやらせてもらいましたが、漫画を読み込むのは気力も体力もいりますよ。

 

──表現の幅もありますし、いまや文学を凌駕していますよね。

 

日本でも、過去に文学や日本映画が人気だった時代があると思います(最近はおもしろい邦画も増えましたけどね)。その頃は、文芸誌が身近な存在だったり、映画館が庶民の娯楽だったり、それこそ小説を自分で書いてみようという人がいたり、エンターテイメントとして私たち一般の人たちに近かった時代でした。

文学や映画といったコンテンツが衰退していった原因は、権威づけされたことだと私は思うんです。

 

──「この映画がわからないとダメ」みたいな時代もありましたよね。そういう意味では、芸術もそうですね。

 

そんな中で人気が出てきたのが、身近な表現媒体である漫画ですよね。若い子たちの間で「今週号の〇〇読んだ?」という会話がされて、自分で描いてみたいという人も増えた。漫画を描くことは誰でもできるし、お金もかかりませんから。

そのとき文芸や詩歌や映画が庶民の隣にあったら、そちらのほうに傾いていたかもしれない才能を持った人たちが、漫画に流れてきた。だから漫画が黄金期を迎えたんだと思います。

 

──なるほど。それはめちゃくちゃ納得します。

 

やっぱり若い人たちの心は、近い距離で楽しめて、感性を磨けるものに傾くのだと思います。これまでは漫画やアニメだったけれど、いまはすでにYouTuberTikToker、お笑い芸人さんなどにとって代わられつつあるのかもしれませんよね。

 

──時代によって才能を吸い上げるジャンルが変わっていくというのは、きっとその通りですね。

 

たとえばいまどきの芸人さんたちって、役者をしたり文章を書いたり、多彩ですよね。劇団で芝居を打つのは人集めや仕掛けが必要だし、何より元手がかかりますが、1人か2人で話芸をするなら簡単な舞台があればできる。それこそネットで配信することもできますしね。身近さもそうですが、表現の短さ、速さで才能が流れ込んできて、役者の素養がある方たちが芸人さんをやっているような気がします。

 

──たしかに!

 

だから、やっぱり漫画も威張っちゃダメだと思うんです。やっぱり人々に近いところで表現することが大切だと私は思います。

 

──漫画が権威づけられて、偉そうにしたら、衰退してしまうかもしれませんよね。

 

いまは漫画も表現方法も発信媒体も昔よりたくさんあるでしょう。スマホやタブレットで縦にスクロールして読んだりね。私は紙の媒体で育ったから紙のほうが好きだけれど、無理に紙を残すべきとも思わないし、時代に合わせた表現方法があっていいと思います。

 

──そうやって、読み手や書き手の感性も、少しずつ変化していくわけですね。

 

■「先生が生きていたら......」が自分の中の基準

 

──最後に石坂さんにとって、手塚先生とは?

 

手塚先生は私にとって目指すべき星です。

先生がいなくなったときは、私の中で夜空に輝く星がポンッ!って消えてなくなってしまった感覚でした。喪失感が大きすぎて、地球の自転も変わったんじゃないかと思うほど。

でも、先生が残してくれた作品はたくさんありますからね。だからやっぱり、手塚先生は私の永遠の憧れであり、目指すべき星。手塚先生にお会いできて、アシスタントをさせてもらえて、これ以上のことはないです。

 

「手塚先生が生きていらっしゃったら、何を考えて、描くのか」

これはもうずっと私の中の基準です。紛争や環境破壊、そしてAIの進化といった現在の世界を見て、先生ならなんとおっしゃるでしょうか。

でも、先生が本当に今もご健在でいらっしゃったら......。私なんて、叱られることも多いかもしれませんね(笑)。

 

[了]


yamazaki.jpg山崎潤子

ライター・エディター。
幼少期より漫画漬けの生活を送ってきた生粋のインドア派。
好きな手塚作品は『ブラック・ジャック』。著書に『10キロやせて永久キープするダイエット』などがある。


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