大宇宙の孤独に耐えて、ガラスのように壊れやすく、美しい地球が浮かんでいる。
宇宙の果てしない闇の深さにくらべ、この水の惑星の何という美しさでしょう。
それはもう、神秘そのものかもしれません。
ひとたび、そんな地球を宇宙から見ることができたら、とてもそのわずかな大切な空気や緑、そして青い海を汚す気にはなれないはずです。
(『ガラスの地球を救え』より)
音楽とはつまり振動、バイブレーションですね。
この宇宙のすべてはビッグバンの衝撃、そのバイブレーションから生まれた、という学説があります。
つまり宇宙創造の源には音楽があった、ということかもしれません。
それは物を形作る原子の、 そのさらに中にある素粒子の振動と共鳴しているらしい。
そのバイブレーションと共に 生きる火の鳥が音楽によって引き寄せられてきた、 という場面です。
人が音楽に触れることで心の中に無限の広がりや宇宙の美しさすら感じられるのは、 人の細胞のひとつひとつの中に 素粒子の奏でる音楽が息づいているからなのかもしれません。
その音楽こそが「神の声」に最も近いのだとこの一枚の絵が語っています。
ひょっとすると、今の人類は、進化の方向を 間違えてしまったのではないか、もとのままの“下等”な動物でいたほうが、もっと楽に生きられ、楽に死ねたかもしれない。 地球をここまで追いつめることもなかったでしょう。
(『ガラスの地球を救え』より)
生とは何だろう? 死とは何だろう?
死んだらぼくたちはどこへ行くんだろう?
そんな疑問に対する答えが、つまりは宗教かもしれません。
天国に行くのですとか、新しい命として生まれ変わるのですとか、いろいろな答えがあります。
こっちが正しい、いや、こっちだと宗教同士が争い、悲惨な宗教戦争が人類史に暗い影を現在にいたってもなお落とし続けています。
「死んだらどうなるのか」その疑問の答えなら、そういう戦争で死んでいった犠牲者たちがいちばんよく知っているんですよね。
宗教とか人の信仰ってみんな人間がつくったものなのそして どれも正しいのですから正しいものどうしのあらそいはとめようがないでしょ
(『火の鳥・太陽編』 火の鳥の台詞より)
この世には人知を超えた偉大な力がある。
それがすべての宗教の基本にある考え方です。
その偉大な力が「神」であったり「仏」であったり、最近では「宇宙人」という説もありますね。
その偉大な力を象徴するモチーフには古今東西を問わず「眼」が使われてきました。
さて、では何故「眼」なのでしょう。
神が常に自分の行いを見つめていて、私を罰しようとしている。
そんなふうに思うからでしょうか。
けれど、よく考えてみると、自分の行いを常にみつめているのは、自分自身ですなんですね。
人は常に自分をみつめている。
とすると神さまというのは、どこか別の場所じゃなく、自分の心の中にいるのかもしれませんね。