自分のまわりには他人がいて、社会があって、社会のまわりには世界がある。
そういうふうな関係性を考えて、精一杯生きなければならない。
それがぼくから子どもたちへのメッセージ。
(大河ドラマ『ブッダ』を語る コミック・トムによるインタビューより)
子どもというのは仲良しグループで固まっていたいのです。
だってそれがいちばん安心だから。
そして見知らぬ人たちの中へ放り出されてしまうことを何よりも怖がります。
だから転校する、というのはとても勇気のいることなんですね。
けれどそれは怖くて不安なもの、というだけではなく、同時に「自分と世界」との関係をきちんと把握する 絶好のチャンスでもあります。
ほんのちょっとの勇気があれば、 自分の回りの世界はどんどん広がって行く。
そして仲良しが増えて行き、安心して身を寄せられる場所が増えて行く。
ほんのちょっと勇気を出して、自分から「こんにちは」と微笑みかけ「友だちになろう」って言うことが出来たなら。
「生命ってなに」ときかれて、充分に答えることは実に難しい。
だが、だれでもやがては死んでいくこと、寿命にはかぎりがあること、一生のあいだに精いっぱいの生活をすること、
そして他人の生命をおかさないこと、などは、ぜひ子どもに話してしめくくってほしい。
(生命について 『なぜ食べながら息ができるのか』フレーベル館より)
愛するものを守るため、強大な敵に立ち向かって行く。
——その姿は数々のヒーロー物語で描かれてきました。
そして、いつの間にかずば抜けたヒーローだけができることだと 思う人も増えました。
けれど本当は誰もが「愛する自分」を守りながら日々暮らしているんです。
ヒーローはただ「自分以外の人」に対しても「大切な命」を感じられる、 というだけです。
そして「自分以外の人」を「自分自身」と同じように大切に思えるようになることを「愛」と呼びます。
「愛」とは「I」。
つまり「愛」とは「私」です。
「誰か」を「私」と同じだと感じられること。
もしそう感じられたら、誰かのために命を賭ける勇気は特別なことじゃなくなるかもしれませんね。
生命の尊厳と生きるということの価値を情報によって子どもたちに与える態度をとることが、ぼくたち大人の高度情報化社会に対する何よりの心構えではないかと思います。
(『ガラスの地球を救え』より)
アトムはロボットだから恐怖を知りません。
だからこそ自らを犠牲にして太陽へ突っ込んで行くことが出来ます。
けれどロボットではないごく普通の人間の中にも大勢の人を守るために自分を犠牲に出来る人がたくさんいます。
歴史をひも解けば、そんな偉人や聖人たちの肖像をいくらでも見ることができるでしょう。
彼らはアトムと同じように恐怖を知らなかったわけではありません。
彼らはアトムと同じひとつのことを知っていただけです。
——それは、愛です。
愛から発生しない勇気もあるかもしれませんが、それはたぶん無謀と呼ぶんです。