地獄へ真っ逆様に墜ちる悪の魅力、負のエネルギーのすさまじさを知れば知るほど、 生命の輝きの美しさ、すばらしさもより鮮やかに浮かび上がってくる。
(『ガラスの地球を救え』より)
狂人とは自由な人のことだと書いた小説がありました。何をしたっていいんだと、自分で自分を許してしまうこと、それを狂気と呼びます。
そう、本当の自由というのは社会の枠から はみ出してしまうんですね。
人は元来心に翼を持っていて、自由に飛び回りたいのです。
けれど社会という枠組みはそれを許してはくれません。
たくさんのルールや常識といった鎖があります。 そんなルールと自由を求める心との間で折り合いを付け、どちらも尊重しながら 生きることそれを「知恵」と呼びます。
自分の意志、信念、思想にいささかの疑惑もなく信頼をおいていれば、どんな難関も突破できるし 圧迫にも動じない。
(私の座右銘 「あなたに贈る百人の言葉」全日本社会教育連合会より)
どんなにつらい運命の中に置かれても、自分は決してひとりきりじゃないと信じられたら、きっとそれが大きな力となって、すべての鎖を断ち切り、自由な空へ羽ばたくことが出来るでしょう。
人を愛する、ということは相手を束縛することではなく、相手を自由に羽ばたかせることです。
自由に羽ばたければこそ、お互いの手を取りあって空の高みへ舞い上がってゆくことが出来るのです。
むごい現実を見据えつつ、それでもなお、いかに不動に見える現実も、何とか変えていく力が人間にはあるのだ。
(『ガラスの地球を救え』より)
自由を奪う。これはとても恐ろしい行為です。
すべての生き物にとって、自由を奪われることほどつらいものはないのですから。
だから罪を犯した人は自由を奪われ、それが刑に服す、ということになっているわけです。
ここに紹介した『奇子』という作品では、ひとりの少女が狭い蔵に閉じ込められ、そこで成長して行きます。
大人たちの思惑の犠牲になって自由を奪われたひとりの少女——。この少女のつらさを想像してください。
そして自由に走り回れるということの喜びに気づいてください。
囚われの身ではない、ということだけで、無限の可能性の中で生きていられるんだと感じられるはずです。