ぼくは、人間もほかの生物も、生命の存在ということについてはまったく平等だ、と言いたいだけなのである。
運命共同体としての生き物、その一員に過ぎない人間、という解釈を持っているからである。
(『ガラスの地球を救え』より)
洞窟の中に閉じこめられてしまったふたりの人間とたくさんの動物たち。
そんな極限状況の中で、ほかの生き物を殺してでも生き延びようとするのは人間だけで、他の動物たちはみんなが生き残るために協力しはじめる。
すべての命は平等だということを知っているのは、人間以外のすべての動物たちを下等な生物だと見下し、万物の霊長だと自称している人間ではなく、動物たちのほうなのかもしれません。
いまや人間同士が差別などしている場合ではないのですが、長い歴史が沈殿させてきたものは、現実にはなまなかなことでは払拭できないものです。
でも、とりあえず、一歩、二歩踏み出す以外にないではありませんか。
(『ガラスの地球を救え』より)
アトムはいつも人間を守るために戦います。
なのに、人間たちは何か問題が起こるとすぐに「ロボットなんかやっぱり信用できない」と言い出すのです。
ここに「他者」に対する人間たちのあからさまな差別意識があります。
私たちの中にも「育ちが違うから」とか「結局、外国人だからな」なんて思ってしまう差別的な心がありますね。
あなたはいま、あなたの周りの「アトム」につらい仕打ちをしていませんか?
「おとななんて信用できない」「最近の子供は何をするかわかったもんじゃない」なんていう世代間差別はもちろん、「最新のゲームを持ってなきゃ仲間に入れてやらない」なんて差別もあるかもしれません。
そんな身近なところから、いまも地球の上で繰り返されている「民族差別」「宗教差別」による戦争の芽が育って行くのです。
身分を決めたのは人間。 身分で苦しむのも人間。
自然界とは関係もないことだ。
雨や嵐や日でりで、人間が苦しむのはだれも同じだ。
もし世界の終わりがくれば、だれもかれも死んでしまう。
(『ブッダ』より)
恐ろしい鬼を捕まえたぞ! と得意満面で役人たちが連行しているのは、 難破船から海岸に流れ着いたロシア人男性です。
そう、大きな体で筋骨隆々、赤い肌の色をして、 金色の巻き毛。 そんな鬼のイメージはこういう外国人たちだったのかもしれません。
天狗なども赤い顔に高い鼻ですから、やっぱり海外からの漂流者が人里はなれた山の中に逃げ込んだのが、伝説のはじまりだったかもしれません。
そんな、同じ人間を鬼だ天狗だ化け物だと、差別視していた時代が日本には確かにあります。
それは当時の日本には「海の向こうの世界」についての情報がまったくなかったせいです。いまは違いますね。
世界にはさまざまな人種の人たちがいることぐらい誰だって知っています。 なのに、それでもまだ人種差別意識が消滅したわけでは ないようです。情報がない時代ならともかく、情報は充分にある現代でのそうした差別は、とても悲しいことだと思いませんか?