日本人は古来から山川草木に人格を認め、それらを人間と同格に愛してきた民族だ。
だから、自然というものを擬人化した民話が多いし、鳥の声や川のせせらぎと対話が出来たのである。
(鉄腕アトムが出来る日 『ロボット』サンケイ出版より)
自然を守る、というのは酸性雨から森を守るとか汚れてゆく海をきれいにするとか、 そういう大プロジェクトを推し進めてゆく、ということだけではありません。
いま目の前にある小さな花の一輪、傷ついている一匹の子鹿を守り、助ける、 そんなところから始まるものなんです。
一輪の花が種を飛ばして花畑になる。
一匹の子鹿が成長し、その子孫たちが大きな家族を築く。
その可能性を摘み取らないこと。
そんな未来を見通してみること。
自然を愛する、ということは、そんなまなざしを持つ、ということでもあります。
ほんとに好きだっていうことはね・・・
生きてるとか死んでるとかいうことをのりこえるってことだよ
(『アポロの歌』より)
愛する者の命が失われたら、その人への愛もまた消えてしまうのでしょうか?
いいえ、もちろんそんなことはありません。
人は失われた命でもずっと愛し続けることが出来ます。
そう、真剣に愛した、という記憶は永遠に失われないのです。
つまり愛は生との境界を超えるものなんです。
何故って、愛は体ではなく魂に宿るものだから。
体は死んでも魂は死なない。
私は愛されてる。
そんな幸福感に包まれた魂が、もしかしたらこの世界全体を包み込む、大いなる愛の正体なのかもしれません。
ぼくは宇宙ステーションや月面で生まれ育った子どもたちに期待しているのです。
彼らは生まれながらに、宇宙での人間の小ささ、力を合わせていかねば生きられないこと、そして、人間がいちばん偉いのではないこと、眼下の地球に生きる動物も植物も人間も、 みんな同じように生をまっとうし、 子孫を生み続けていく生命体であるのだと、まっすぐに受けとめることができるように思います。
(『ガラスの地球を救え』より)
男女の愛、親子の愛、自分自身への愛・・・。
愛にもいろいろありますが、いまいちばん忘れられているのは、生き物としての愛ではないでしょうか。
同じ生き物として生あるすべてのものに愛を与えること。
植物を愛し、守り、ちいさな生き物の住む環境を愛し、守る、そして命のあふれる地球を愛し、守る。
それらのために自分の命を差し出してもかまわない。そんな愛。
自己犠牲という名の愛ほど、いまの社会でないがしろにされているものはないのでしょうか。