もしも、ぼくが、わたしが、宇宙からの眼差しを持ったなら、想像の力は光速を超えて、何万何千光年のはるかな星々にまで瞬時に到達できるでしょう。
その想像の力こそ、人類ゆえの最高に輝かしいエネルギーなのです。
(『ガラスの地球を救え』より)
一枚の絵を前にして眠った男が、生命の永遠の旅を重ねて行く夢を見る、という場面です。
夢というのは眠りの中で魂を体から解放することだという説もあります。
夢の中で自由に羽ばたく魂は、きっとその時、宇宙へだって舞い上がって行けるのでしょう。
そして無限の果てから、この人生に必要な知恵を見つけ出して持ち帰ろうとしているのかもしれません。
そう考えると、夜、眠りに就くことが、ちょっとワクワクする冒険のはじまりのように思えてきますね。
子どもたちは他者を傷つけ、自分たちも満身創痍になりながら、救いを求めているのだと思えてなりません。
子どもたちが、大きな夢を、しっかりと地球の大地を踏みしめて、宇宙へとはばたかせることができるように、ぼくたち大人は力をふりしぼらなくてはなりません。
(『ガラスの地球を救え』より)
いま子どもたちの心が荒れています。
何故でしょう。
そう考えながらこの絵を見つめてみてください。
手塚治虫が自身が描き出した「夢」たちと楽しそうに歩いています。
いま子どもたちから失われているのは、こういう姿なのではないか。
人はたぶん心にたくさんの夢を抱きしめている限り、心の荒廃とは無縁なのです。
手塚治虫はたくさんの夢を描きました。
同じだけの、いえ、それ以上のたくさんの夢を子どもたちひとりひとり、きっと持っている。
その夢こそがきっと、何よりもいちばん大事なものなんです。
ぼくは、人間もほかの生物も、生命の存在ということについてはまったく平等だ、と言いたいだけなのである。
運命共同体としての生き物、その一員に 過ぎない人間、という解釈を持っているからである。
(『ガラスの地球を救え』より)
動物たちが、その種を超え、肉食も草食も、その自然の摂理を超えて共に集い、ひとつの同じ歌を歌っています。
これは手塚治虫が描いた命の共存への夢ですね。
『ジャングル大帝』のレオが思い描き続けた理想の世界。それを現実的じゃないと批判する 声もあります。
けれど、もっと大きく視野を広げて宇宙の遥か高みから地球を眺め下ろしてみれば、 すべての生命が同じ歌を歌っているのが わかるかもしれません。
そして、それぞれの命が、 それぞれのリズムで暮らしながら、大きなひとつの「地球」という名の交響楽を 奏でている、その調べが聞こえてくるのでしょう。