手塚治虫がマンガ家として生きてきた半生を、フィクションをまじえて描いた半自伝的な短編マンガです。1945年9月、大阪の闇市で、手塚治虫はホームレスそっくりのマンガの神様と出会いました。マンガの神様は、手塚治虫にとりついてマンガをブームにすると言い出します。それからしばらくして、日本に空前のマンガブームがおとずれました。手塚治虫は売れっ子マンガ家となり、さらに手塚治虫が設立した動画スタジオ「虫プロダクション」のアニメ『鉄腕アトム』が、アメリカでも高く評価されました。ところが、そんな有頂点の手塚治虫の前に、再び、マンガの神様が現われたのです。「いま日本にはほんとに中身のあるマンガがすくない」マンガの神様が言ったその言葉に、手塚治虫はハッとしました。
1970/02 「別冊少年マガジン」(講談社) 掲載
手塚治虫は、『奇蹟の森のものがたり』や『ふしぎ旅行記』など、初期の作品から、しばしば自分自身をキャラクターとして作品の中に登場させています。しかしそれとは別に、1970年以降、半自伝的な作品をしばしば書くようになりました。その最初の作品が、少年月刊誌に掲載された、この『がちゃぼい一代記』です。1970年ごろというのは、日本のマンガ界が大きく様変わりをした時期でした。「劇画」という緻密な絵とリアルな物語展開を特徴とした新しい作品潮流の台頭。そしてそれにともなう青年コミック誌の相次ぐ創刊……。そんな流れの中で、手塚治虫は、自分の絵は古いのではないかという不安を感じ、作品からは軽妙な描写が消えていきました。そうした時期に、半自伝的な作品を描くことは、手塚治虫自身にとって、マンガ家としての原点を見つめなおすという意味があったのではないでしょうか。事実、手塚治虫が『ブラック・ジャック』(1973)や『三つ目がとおる』(1974)によって新たな境地を開拓し、マンガ家としてさらに大きく飛躍することになるのは、これからほんの数年後のことです。