1953/01/15 「少女クラブ」正月増刊号(講談社) 掲載田舎で動物を飼う歌手志望の少女ペニーは、ニューヨークヘ行き念願叶ってチップス音楽院に学ぶ。ペニーはデビュー前に師チップスを伴い一時帰郷した。だが親友ペギーはペニーの悩みを知り彼女のために一計を案じる。...
1973/11/01 「週刊朝日増刊 まんが朝日」(朝日新聞社)
天下太平氏のもとにある日、配達証明で赤紙がとどきます。「き…きたか ついに…」と震える招集命令。近隣の人々に見送られて出征列車に乗る天下太平……。
一見太平洋戦争時と思わせる導入ですが、日本中の成人男子が集められ、身体測定ののちに受けた訓示に寄れば...
1955/10 『漫画読売』 秋の朗笑号(読売新聞社) 掲載
A国とB国にはそれぞれ、別の平和の女神がついていました。両国の人間はそれぞれの平和を旗印に、激しくいがみ合っていました。さまざまな兵器が登場し、激烈な戦いを繰り広げ殺しあう人間をよそに、両国の動物たちは仲良くしています。それに気づいた人間たちはようや...
「ハロー・マンガ」(育英出版) 1947 第五輯掲載
タカに狙われているちいさなヘビの坊やを助ける親切なゾウさんの四コマ漫画です。
酒井七馬(『新寶島』の原作者としても手塚治虫とかかわりの深い人物です)が主幹を勤め、育英出版が発行していた子供向けの雑誌「ハロー・マンガ」に掲載されました。
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1952/12-1953/02 『漫画少年』(学童社)にて連載。全三回で、地球のおいたちから人間の誕生までを比喩を用いて面白く紹介したもの。後に、実は原稿料が入らなかったシリーズであったことを石ノ森章太郎との対談で吐露している。...
1975/01/05 『赤旗』日曜版(日本共産党) 掲載
1945年正月、戦時下に新婚を迎えた平均的日本人、その名も平均(たいら・ひとし)氏一家の30年を振り返る双六風マンガ。毎年のお正月のワンシーンを切り取りながら、その年のはやりものや事件を盛り込んでいます。
1945年、戦時下でもおいもと合成酒で御屠蘇をた...
1973/10-1974/09 「アニマ」(平凡社) 連載いろいろな動物の個性を、マンガと文章で風刺したショート・ショートです。第1話のサルに始まり、毎回1種類の動物をとりあげて、さまざまな切り口と表現方法によって描かれており、それがその動物の個性を現わすものになっているなど、実験的な意味でも面白いシリーズでした。...
1947/06/20 「宝塚グラフ」復刊3号(宝塚歌劇団) 掲載
100年後の宝塚…つまり、2047年の宝塚歌劇見物はどうなっているか!? を大胆予想した楽しい作品です。東京からの直通ジェットでひとっとびすると、花のみちはもちろん健在! 100年前と変わらぬ桜がお出迎えします。ロボットによる券売(横流しはゼッタ...
1958/06 「五年の学習」(学習研究社) 掲載
『昆虫記』で有名なアンリー・ファーブル先生が、子供たちに楽しくタマコロガシの生態を教えてくれる教育漫画です。
先生でもあり、虫の研究者でもあるファーブル先生、子供たちを牧場に招きます。「わしのみせたいものはこれじゃよ」と言って指し示したのはなんと牛のふん! 汚...
『漫画読売』(読売新聞社)1956年3月5日 掲載
「ある人口が多すぎる国があった。人間がガムシャラに勇ましいほか何一つ取柄のないこの国の政府は、海外派兵を商売することを計画した」という書き出しで始まる風刺漫画。この国の男性はみな徴兵制のもと兵隊にとられ、「1級品」から「級外品」までに分けられて諸外国に貸し出され...
漫画大学の校長兼用務員のナンデモカンデモ博士が、豊富な作例をあげながら、マンガの描き方を講義するマンガ入門マンガです。マンガを描くのに必要な道具の紹介に始まって、人間の動作や行動、歩いた後の砂ぼこりの表現の仕方など。さらには、動物画の練習、誇張のしかた、擬人法、吹きだしの描き方から、主人公の作り方、台詞の勉強。果て...
1956/05-1957/03 「中学初級コース」(学習研究社) 連載「漫画生物学」は手塚治虫流の学習漫画で、生命力のふしぎや、生命の起源、本能、適応能力、人体の仕組みなどを、「漫画大学」と同じくナンデモカンデモ博士の講義という形で描いた作品です。この作品の面白いところは、自然界のしくみを説明するために、講義中に独...
3本の中編マンガと23本の4コママンガを作例として紹介しながら、楽しみながらマンガの描きかたがわかる作品です。漫画大学の入試風景に始まって、校長による用具の説明等があり、その使い方から最初の物語に入ります。最初のお話は、『拳銃天使』にも登場したモンスターが悪役を演じる、南北戦争時代のアメリカが舞台の西部劇。次は、貧...
ナンデモカンデモ博士による天文学講義。ビッグバンが、星の一生が、太陽系の惑星たちの特色が、天の川の巨星が、白色矮星が、マジメでいて面白おかしい擬人化と手塚スター多数出演によるドラマ仕立てで解説される。...
スチュワーデスの彼女が史上最高速新型旅客機の乗員に選ばれて、ますます高嶺の花となり、TVレポーターの彼は落胆した。だが仕事では強引な彼は、同機の招待飛行の取材に潜り込むが、予期せぬ事態が発生する。...
「ハロー・マンガ」(育英出版) 1946 第二輯掲載
三人の男の子が、大きな岩の後ろでヤマビコごっこをしています。5コマ構成の小品。
酒井七馬(『新寶島』の原作者としても手塚治虫とかかわりの深い人物です)が主幹を勤め、育英出版が発行していた子供向けの雑誌「ハロー・マンガ」に掲載された4コマ漫画。デビュー間もない...
1959/08/16-08/23 『週刊少年サンデー』(小学館)にて初出。『スリル博士』連載中の掲載誌にて、ちょっとしたエピソードをらくがき的に描かれたおまけマンガ。第1回ではスリル博士ことヒゲオヤジのおいたち(?)の秘密、第2回では自動車教習体験について面白おかしく描かれている。...
コルチンスク農場を訪れたロックベルト・トランシルバート男爵は、銀の十字架から作った弾丸を携える人狼(ウェアウルフ)ハンター。農場で働く少年ヨハンは彼にある疑いを抱くが、男爵は誇り高く戦い続け、命を落す。...
1948/07/30 単行本(東光堂)ガス燈灯る町の領主の息子ピーターは、瓜二つの男にすり替わられ獄中の身に。父は死去し〝ピーター〟が領主となるが、暴君への変貌が妹ローラを嘆かせる。この鬼領主に戦いを挑むのが、覆面の怪傑二十のトビィだった。...
200XX年、ケニヤの自然保護区に住む野生動物らの正体は、実は人間だった。人間失格の烙印を押された者たちが変態させられたのだ。監視員のザムザもライオンにされた娘エレーナに同情したばかりに虫に変えられる。...
ビルが溶け人が黒焦げになる「地球の最後」を繰り返し夢に見る夏休み中の少年久(きゅう)の身辺に奇妙な事が続いていた。ツノの生える病気が流行中と言い久が町に出ることを禁ずる両親は、恐ろしい事実を隠していた。...
互いに張り合う鳥たちのボス、ゴーズとガバ・ガバは「聖なる広場」へ通っていた。その砂を浴びると、彼らは異様な変貌を重ね強大化するのだ。だが小さなヒワが、その場所の恐ろしい秘密を知ってゴーズに戦いを挑む。...
太平洋戦争末期、ベトナムで撃墜された雨月大将は、土地の恋人たちブルウ、ニヤンの仲人となるが、二人は人間ではなかった。ほどなくそこへ日本軍が押し寄せる。大将は二人の土地を戦場にはさせまいと自軍に刀を向けた。...
1951/10 「こどもブック」掲載西部を旅するキツネのデーコちんとタヌキのポコちんは、カウボーイの仕事を得た。その牧場を襲った馬泥棒のイヌたちを追跡して反撃にあうが、めげずに戦い続けたガッツが幸運を呼んで逆転勝利。敵の捕獲に成功する。...
1961/08/15 「少女サンデー」夏休み増刊号(小学館) 掲載人間に捕まりサーカスへ送られたオオカミの王子ロッコは、火の輪くぐりを演ずるオオカミの娘ベルと出会う。ロッコはベルをだまして利用し脱走に成功した。だが何故か彼女を忘れられず戻ってその芸を見、深く感動する。...
1988/01 「コミックトム」(潮出版社) 掲載「ルードウィヒ・B 絵ッセイ」と銘打ったカット付エッセイ。ベートーベンの住んでいたパスクワラッティ男爵邸を訪れた際のエピソードを、ベートーベンの逸話とともに紹介している。...
凸卍(でこまんじ)のあだ名は「べんけい」。巨漢ゆえ恐れられる中学生だが、彼は家では密かに乙女チックな世界に浸るナイーブ少年。小柄な牛若に決闘を挑まれたのち、二人で美少女を悪人の手から救い出し、成長を遂げる。...
1953/08/15 「少年クラブ」 夏の大増刊(講談社) 掲載世界的物理学者ポロフ博士は警告した。火星の円盤群による地球侵略の危機を。人類は団結し世界連合国を建国、襲来に備える。連合国軍による対火星戦想定の演習中、実際に円盤が出現。だがロック少年はその実在を疑う。...
監督の泰賀博士率いる子ども野球チーム、タイガースが珍妙な国々を冒険する物語。舞台となるのは、魔法博士がせこいトリックで政治を牛耳ろうとする魔法国や、科学党と自然党が互いに極端な主張を争うスター国など。...
1967/07/05 『漫画サンデー』(実業之日本社)にて初出。1967年、カナダ・モントリオールで行われた万国博覧会のレポートマンガ。サンケイ新聞に掲載された「鉄腕アトムのカナダ万国博見物」とは趣を変え、大人向けのユーモラスな作品。漫画家仲間と一緒にカナダ万博を訪れた手塚治虫。同行の富永一朗は、「何をみた?」と聞...
1982/04/22 神戸新聞 掲載 21世紀の「わが家」を想像した一枚イラスト作品。短いエッセイも合わせて掲載された。「居住空間を生かす遊びや楽しさは、ぼくにとっては雰囲気づくりにもなるわけだ。部屋の壁には前面に情報のない動く映像があったり、音が流れていたり、昼と夜で照明が変わったりするのも、インテリアとして考え...
1971/11 「COM」(虫プロ商事)にて初出。手塚治虫のライフワークとなった「火の鳥」の執筆哲学を「休憩」のタイトルでエッセイ風に語った作品。