2019/07/24
番組作りに欠かせないのが情報収集。
そんな時、放送作家を始めとしたテレビ業界の人々が大変お世話になっている場所があります。
それが『大宅壮一文庫』。
ノンフィクション作家であり、評論家の大宅壮一氏(1900-1970)
彼の持っていたおよそ20万冊に及ぶ雑誌のコレクションを引き継ぎ、
設立されたのが日本初の雑誌専門図書館、大宅壮一文庫。
明治時代から現在に至るまでの様々な雑誌が所蔵されています。
雑誌は一般に開放され、原本の閲覧や複製が可能。
日夜ネタを探しているテレビマンにとって、こんなにありがたい場所はありません。今まで何度、こんな光景を見てきたことでしょう。
さてさて!今回はそんな大宅文庫で手塚治虫先生に関する記事を探してみたいと思います!一体どんな記事が出てくるかな〜?
京王線八幡山駅を降りて徒歩8分。大宅文庫に到着。
雑誌の数が膨大な為、まずはデータベースから雑誌を検索します。
「手塚治虫」と入力し、手塚先生のことが書かれている雑誌を探します。
流石は手塚先生、相当な数の雑誌がヒットしました。
検索結果を見ていると、手塚先生の記事が爆発的に多くなった年があることに気付きました。
それが1989年。そう、手塚先生がお亡くなりになられた年。
当時世間を揺るがせたトップニュースだったことがよく分かります。
そして気になった雑誌をいくつか出してもらい、2階の閲覧室で目を通します。
ここに来ると決めた時から、これだけは調べたいと思っていたものが...
"一番古い記事"!
大宅文庫にある雑誌の中で、手塚治虫先生について書かれている一番古い記事は"いつ"の"何という雑誌"なのか? そして、その内容は一体どんなものなのか...? ね、気になりますよね?
はい、それでは発表致します!
大宅文庫にあった手塚先生に関する一番古い記事は...!
なんと今から半世紀以上前!
これが噂に名高いあの『平凡パンチ』か...と、読む時にワクワクしました。
で、気になる記事の見出しが『チョコレートを売りまくった鉄腕アトム』
『鉄腕アトム』のアニメが始まったのが昭和38年。
なので、アニメ開始から翌年の記事ですね。
内容をまとめると、"アニメ『鉄腕アトム』のスポンサーの明治製菓がチョコレートの包装紙と引き換えに、アトムのシールをプレゼントするという企画を行ったところ、チョコが売れに売れて、お菓子業界のトップに君臨していた森永の売り上げを明治が追い抜いた"という記事でした。
で、記事には実際のシールの画像も掲載されてました。こんな感じ。
応募者の数も掲載されてました。半年で900万人だそうです。
今じゃ考えられない数字ですね。半年で900万人て!すごい時代!
そして森永の営業課長のコメントも掲載されておりました。
せっかくなんでイメージイラストと共にご紹介します。
ディズニーでも敵わないってすごいですよね!
でも、それよりなにより僕がこの記事を見て思ったのは...
でした。
こうしてなんとかネタになりそうな記事も見つかり、ホッと大宅文庫を後にしました。
その日の夜、タクシーに乗ると運転手さんが60代くらいの方だったので
なんとなく「アトムのアニメって小さい頃見てました?」と聞いてみると...
そりゃそうだよな〜。
あんな記事になってるくらいだもんな〜と思っていると...
マジですか。まさかタクシーでそんな話が聞けるとは...
興味を惹かれた僕はウランの漢字を聞いてみました。
だそうです。いい名前。
なんとなく、美蘭という名前の運勢をスマホで調べてみました。
<活発で負けず嫌いの頑張り屋。幼少のころから会話を楽しむ活発な子で存在感があります。努力を惜しまないので、周囲の大人からは「負けず嫌いの頑張り屋さん」とほめられたはず。女の子は男勝りで、弱い友達をかばうタイプ>
ほほぅ...、そうですね...。ここから導き出せる答えは...
1979年生まれ、岡山県出身。放送作家。
『サラリーマンNEO』、『となりのシムラ』、『落語 THE MOVIE』などの人気番組の他、テレビアニメ『貝社員』の脚本も担当。『特捜警察ジャンポリス』、『サンドウィッチマンの週刊ラジオジャンプ』など、漫画を題材にした番組にも携わっている。
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