1955/04 『少年』(光文社)にて初出。手塚治虫の少年時代の思い出を綴った1ページマンガ。小学五年生のころ、友達と作った秘密組織・うめぼし陰謀団について。
手塚治虫がマンガ家として生きてきた半生を、フィクションをまじえて描いた半自伝的な短編マンガです。1945年9月、大阪の闇市で、手塚治虫はホームレスそっくりのマンガの神様と出会いました。マンガの神様は、手塚治虫にとりついてマンガをブームにすると言い出します。それからしばらくして、日本に空前のマンガブームがおとずれまし...
1974/09/30 「少年キング」(少年画報社) 掲載第2次世界大戦末の日本で、漫画に打ち込む中学生だった手塚治虫自身の姿を描いた、自伝的作品です。手塚漫画の中には、「戦争体験」をテーマにした多くの作品があります。その代表的な作品は、第2次大戦下の日本とドイツを舞台にした『アドルフに告ぐ』ですが、今回ご紹介する短...
終戦直後、大寒鉄郎少年が盗んだイモを感激に涙して食べていた時代。彼は新聞社勤めの美人河原和子と知り合い、その推薦で自作のマンガが新聞掲載される。和子とファーストキスをした鉄郎は、彼女の家へ招かれるが…。...
1911年8月、カリフォルニア州に幻のインディアン、ヤヒ族の大男イシが現れた。彼を調査するカリフォルニア大学人類博物館のトーマス・ウォータマンは原始人と呼んで冷たく扱う。だが、イシは優しい知恵者だった。...
学校一の乱暴者にしてヤクザの大親分の息子・バンカラこと明石はひどい暴君。学生は誰一人として頭が上がりません。試合を控えたラグビー部を集めて目の前に真剣を突き立て、「負けたら承知せんぞ、腹切れよ」などとすごむ始末。軟弱な生徒を見つけたら服をひっぺがすなどのひどい仕打ちを加えます。腕力で皆の上に君臨していたゴッドファー...
1970/09 「COM」(虫プロ商事) 掲載手塚治虫をはじめ、何人もの有名漫画家が住んだアパート、トキワ荘を描いた作品です。少々マンガに詳しい方はもちろん、あまり興味がないという人でも、「トキワ荘」の名前ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。手塚治虫をはじめ、若き日の藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、...
ドイツのデュッセルドルフでは、女性の連続絞殺・屍姦事件に市民が怯えていた。真犯人が逮捕されると、性的快楽を目的とした彼の凄まじい背徳と凶悪の履歴が法廷で暴かれる。鶴見俊輔氏の著作に記載の実話に基づく作品。...
手塚治虫自身にそっくりなマンガ家・大寒鉄郎一家の日常をつづった育児マンガです。神がひとつの生命を、マンガ家の家に誕生させました。その息子はマコト(愛称マコ)と名づけられ、しっかり者の母と、おっちょこちょいの父の愛を受けてすくすくと育ち、やがて2歳になりました。続いて長女のルミ子(愛称ルミ)、次女のチイ子(愛称チイ)...
1979/03/30 「ビッグゴールド」(小学館) 掲載時は第二次大戦中。北海道壮瞥村に流れ着いた元工員の荒くれ井上昭和(いのうえあきかず)は、急速に生成する昭和新山の観測者三松正夫の助手となった。三松が昭和新山の観測と保護に生涯を懸けた記述は実話に基づく。...
手塚治虫の代表作『鉄腕アトム』はいかにして生まれたか? 雑誌『少年』からの「科学空想マンガ」の注文から生まれた「アトム大使」。初期は苦戦をしていたこの作品が、編集者のアイディアで「鉄腕アトム」に生まれ変わった。当時、画期的だったSFマンガ誕生の顛末を描いたエッセイマンガ。...
1967/06/05 『サンケイ新聞』にて初出。1967年にカナダ・モントリオールで行われた万国博覧会をキャラクターたちと共に見聞するレポート記事。シナリオ風の本文とともに、カットが8点掲載された。...
1982/02/26 「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)にて初出。手塚治虫が訪れたフランス・アングレーム国際漫画祭の漫画レポート。「(1982年)1月29日から31日までフランスのアングレームで国際漫画祭が開かれました。七色いんこは手塚治虫先生にくっついてこっそりもぐりこみました。これはそのレポートです!!」とあ...
1955/02 『少年クラブ』(講談社)にて初出。宝塚に住んでいた少年時代の回想や戦争体験、マンガ家になることを決意したきっかけなどを2ページで描いた作品。
映画・アニメに関するエッセイ『観たり撮ったり映したり』第57回に添えられた1ページマンガ。パリに滞在中の手塚治虫を、「立派な紳士」が訪ねて来た。どうやら偉い人らしいので、一流の通訳を雇って待っていたら…...