日中戦争
1937-
45年
1937年7月7日に起きた盧溝橋(ろこうきょう)事件(日本軍の演習中に発生した中国国民党軍との衝突事件)を引き金として、45年の太平洋戦争終戦まで8年間に渡って続いた日本と中国の戦争。
第2次世界大戦
1939-
45年
1939年9月1日のドイツ軍によるポーランド侵攻を発端とし、45年まで6年間続いた、枢軸国(日独伊など)と連合国(英米仏ソ中など)の世界的大戦争。
陸軍中野学校
1940年
スパイの養成と諜報・謀略・防諜など秘密戦の研究を目的とした軍学校。1938年に創設された後方勤務要員養成所を前身とするが、40年、東京・中野に移転し、陸軍中野学校に改称した。
マレー侵攻作戦
1941年
12月8日-
1941年12月8日、日本海軍がハワイの真珠湾に向けて発進したのと同じ頃、日本陸軍は英領マレーに奇襲上陸し、太平洋戦争の口火を切った。その後、日本軍は開戦からわずか55日でマレー半島を制圧した。
太平洋戦争
1941年
12月8日-
1941年12月8日、日本軍のマレー上陸とハワイ真珠湾攻撃によって始まり、45年8月15日に終結した、日本と連合国(おもに米英)の戦争。当時、日本では大東亜戦争と呼ばれたが、戦後、太平洋戦争に改称。
ゾルゲ事件
1941-
42年
1933年に来日し、ドイツ人ジャーナリストとして東京に在住していたソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲとそのグループ(日本人も多数含む)が41年秋から42年春にかけて大量に検挙された事件。
ホロコースト
1942-
45年
ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺のこと。1933年、ヒトラー率いるナチ党が政権を握ってからユダヤ人に対する迫害が始まり、第2次世界大戦中に、ガス室などで約600万人が殺されたといわれる。
特攻
1943-
45年
爆弾を搭載した兵器で敵艦に体当たり・自爆する捨て身の攻撃法。太平洋戦争末期には日本軍が組織的に行うようになり、神風特攻隊に代表される航空特攻や人間魚雷による水中特攻があった。
勤労動員
1944年頃
から
戦時中の日本では、成人男性の多くが徴兵されたことによって国内の労働力不足が深刻化した。それを補うため、政府は勤労動員と称して、中学生以上の国民を強制的に軍需産業や食糧増産などの労働に従事させた。
灯火管制
1944年頃
から
夜間の空襲で敵機の目標となることを防ぐため、照明を消したり覆ったりして光が漏れないようにすること。しかし、高性能レーダーを搭載していたアメリカのB-29爆撃機に対しては、効果が低かったという。
大阪大空襲
1945年
3月13日-
米軍機による大阪府内への空襲は1944年12月から45年8月14日まで約50回に及んだが、そのうちB-29爆撃機100機以上による大空襲が45年3月13日を皮切りに8回行われ、1万人以上が犠牲になった。
沖縄戦
1945年
3月
1945年3月26日、連合国軍は沖縄の慶良間(けらま)諸島に上陸。ここから始まった沖縄での地上戦は一般住民を巻き込み、凄絶を極めた。死者の数は集団自決を含め、20万人以上に及んだという。
ヒトラー自殺
1945年
4月30日
第2次世界大戦のヨーロッパ戦線では1945年春にドイツの敗戦が確実になり、4月30日、ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは、前日に結婚した妻とともに地下壕にこもり、拳銃自殺を遂げた(妻は服毒)。
伝単
1945年頃
敵兵士や国民の戦意を喪失させることを目的に配布する宣伝謀略ビラのこと。太平洋戦争では米軍機によって、空襲を予告したり降伏を呼びかける伝単が空から大量にバラまかれることがたびたびあった。
原爆投下
1945年
8月
米軍は1945年8月6日、広島市に史上初の原爆投下を行い、3日後の8月9日には長崎市にも原爆を投下した。その犠牲者数は、当日以降の被爆死亡者も合わせて約30万人に及ぶという。
終戦
1945年
8月15日
二度の原爆投下などによって敗戦を免れ得なくった日本は、米英中が発した降伏勧告(ポツダム宣言)を受け入れることとし、1945年8月15日、天皇陛下の玉音(肉声)放送によって終戦が国民に伝えられた。
GHQ
1945年-
戦後の日本で1952年まで占領政策を実施した連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters)のこと。最高司令官は米軍のダグラス・マッカーサー元帥。総司令部は東京・有楽町の第一生命館に置かれた。
進駐軍
1945年-
GHQの設置にともない、戦後の日本には連合国軍の兵士(おもに米兵)が多数進駐するようになった。実質は占領軍だが、占領というイメージをやわらげるため、政府もマスコミも彼らを進駐軍と呼称した。
戦後食糧危機
1945年-
終戦直後の日本は外地からの復員・引揚げで人口が増加したが、旧植民地からの輸入ができなくなったうえ、天候不順による大凶作もあって、戦時中以上に食糧不足が深刻化。国民はどん底の生活を強いられた。
闇市
1945年-
非合法に物品を売買する市場のこと。終戦直後の日本では、焼け野原になった駅前などにバラック建ての闇市が次々と誕生。物資も食糧も極度に不足していたため、法外な高値がつけられても、飛ぶように売れた。
戦災孤児
1945年-
戦争によって身寄りを失い、孤児となった子どもたちのこと。1948年の時点で日本には12万人以上の孤児がいたというが、栄養失調で死んでいく者や徒党を組んで犯罪に手を染める者も少なくなかった。
東西冷戦
1949-
89年
第2次世界大戦後の世界は、米国を中心とする資本主義陣営(西側)とソ連を中心とする社会主義陣営(東側)に二分された。米ソが直接武力衝突することはなかったが、国際的な緊張関係は1989年まで続いた。
朝鮮戦争
1950-
53年
1950年6月に始まった韓国と北朝鮮の戦争。冷戦を背景に、米軍主体の国連軍が韓国軍を、ソ連と中国が北朝鮮軍を支援した代理戦争でもある。53年7月に休戦協定が結ばれたが、いまだ終戦には至っていない。
核開発競争
1950年-
米国が広島と長崎へ原爆投下してから4年後の1949年、ソ連が原爆実験を成功。これに対し、米国も核実験を活発化させ、52年にはより強力な水爆を開発。さらに英仏中なども核兵器の開発を進めるようになった。
講和条約締結
1951年
1951年9月8日、日本と連合国は第2次世界大戦を終結させるため、サンフランシスコで講和条約(平和条約)を締結した。これによって52年4月28日、日本は主権を回復し、7年に渡る占領時代に終わりを告げた。
宇宙開発競争
1957年-
1957年、ソ連が世界初の人工衛星の打ち上げに成功すると、米国は激しい対抗意識を燃やした。両国の競争によって宇宙開発技術は急速に進歩し、61年に初の有人宇宙飛行、69年に人類初の月面着陸が実現する。
核実験の島
1957-
58年
1957〜58年にかけて、英国は当時植民地だった南太平洋のクリスマス島(現在はキリバス共和国)で6回に渡る核実験を行った。62年には米国も同島で24回に及ぶ核実験を行っている。
ベトナム戦争
1960-
75年
1960〜75年にかけ、社会主義の北ベトナムと資本主義の南ベトナムが南北統一をめぐって戦った戦争。南を支持する米国が介入したことによって、戦局は拡大・泥沼化。米軍撤退後、北がベトナムを統一した。
キューバ危機
1962年
1962年10月、キューバにソ連の核ミサイルが配備されたことを知った米国がその撤去を要求し、戦艦と戦闘機で海上封鎖した事件。米ソが一触即発状態になり、世界中が核戦争勃発の恐怖に怯えることとなった。
ソンミ村事件
1968年
ベトナム戦争中の1968年3月、米軍の部隊が南ベトナムのソンミ村を襲撃し、非武装の村人504人を虐殺した事件。当初はゲリラ部隊との戦闘という虚偽の報告がなされたが、69年12月に事実が明らかにされた。
安保闘争
1968-
69年
1960年の日米安全保障条約改定に対する反対運動。学生や労働者を中心とするデモ隊が国会議事堂に突入するなど戦後最大の反政府運動に発展した。また、70年の条約延長に対しても、68年頃から反対運動が激化した。
沖縄返還
1972年
太平洋戦争の沖縄戦以降、沖縄は米国の統治下に置かれていたが、1969年の日米首脳会談で日本への返還が決定。72年5月15日、沖縄は27年ぶりに日本に復帰したが、米軍基地はそのまま存続された。
ミグ25亡命事件
1976年
1976年9月6日、ソ連の戦闘機ミグ25が函館空港に強行着陸した事件。パイロットのベレンコ中尉の目的は米国への亡命だったが、防空網を容易に突破されたことから、日本のレーダー網の脆弱性が露呈した。
東西の壁崩壊
1989年
1961年、東独政府は英米仏が占領する西ベルリンを取り囲む壁を築き、東側との往来を遮断。この壁は冷戦の象徴ともいわれたが、89年11月、東独で旅行の自由化が発表されたのを機に市民によって壊された。