1945年8月15日【16才】
1945年8月15日、ラジオから玉音放送が流れ、手塚治虫は敗戦を知ります。灯火管制が解除された大阪の街の明かりに平和の実感を得て、喜びが満ちあふれます。
手塚治虫エッセイ集より
ラジオが、ぼそぼそと喋(しゃべ)りだした。どうも陛下のお声らしい。
「どうせまた国民総決起の詔勅(しょうちょく)だろう」
と、半分聞きながら漫画を描いていた。
本土決戦は誰の目にもあきらかだったので、たぶん、一億玉砕の覚悟をうながす特別放送だと思っていた。
どうも様子が変だ。
だいいち、それまで上空を舞っていた偵察機の爆音が聞こえない。
音楽が鳴り始めたのだが、勇壮な軍歌調でない。
家の外で話し声がする。
「戦争が終わったんですって」
「まあ、ほんと」
ゲッとなって、ラジオを大きくした。
——敗戦だ!——
——終わったんだ、終わったんだ——
ぼくは、とっさに、こりゃ、もしかしたら漫画家になれるかもしれんぞ、と思った。
マンガ「紙の砦」原画より
(中略)
八月十五日の夜、ぼくは夢遊病者のように電車に乗って大阪へ出ていった。
とにかく動いていないとたまらなかったのである。
車内はがらんとして幽霊電車のように空虚であった。
「おお、大阪の街に灯がついている!」
ついているのだ、魚の目玉ほどの灯があちこちに!
H百貨店のシャンデリアが、はげ落ちた壁の間で、目も眩(くら)むばかりに輝いている。
何年振りだろう、灯火管制がとかれたのは?
マンガ「紙の砦」原画より
その灯を見ていたら、はじめて平和になったのだという気分がこみ上げてきて、満足このうえなく、踊り狂わんばかりに陽気になった。
——ヒャア、おれは生き残ったんだ。幸福だ——
講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集 1』より
(初出:1969年毎日新聞社刊『ぼくはマンガ家』)
「終戦の日」
収録日:1987/6/2
収録場所:阿波銀行本店
「BJの話~戦争時に私が描くテーマは決まった」
収録日:1987/6/2
収録場所:阿波銀行本店
「手塚治虫の戦争体験(続き)」
収録日:1988/10/31
収録場所:豊中市立第三中学校
「人生で最もショックを受けたのは戦争」
収録日:1988/10/31
収録場所:豊中市立第三中学校