手塚治虫のライフワーク『火の鳥』の第11部です。
15世紀末の日本。残忍な領主・八儀家正の娘に生まれた左近介は、男として育てられました。
ある嵐の夜、左近介は従者の可平とともに、蓬莱寺の八百比丘尼という尼を殺しに出かけます。
その理由は、重い病にかかっている父が、どんな病でも癒すと評判の八百比丘尼に治療を頼んだからでした。
父から男として生きることを強制されていた左近介は、父を憎んでいました。そして父が死ななければ、自分は女に戻ることができない。そう考えたのです。
そして左近介は八百比丘尼を殺しましたが、そのあと城に戻ろうとすると、不思議な力が働いて寺に戻されてしまいます。寺の周りには見えない壁があるようで、どうしても寺を出られないのでした。
そうしているところへ村人が病気を癒してもらおうとやってきました。左近介は八百比丘尼に変装し、本尊の中にあった光る羽根を使って病人たちを癒してあげました。
実は、この寺は時の閉ざされた世界であり、八百比丘尼は、未来の左近介自身だったのです。
やがて、寺には、戦で傷ついた妖怪や化け物たちが続々と治療に訪れるようになったのでした。
1981/01-1981/04 「マンガ少年」(朝日ソノラマ) 連載
生命を軽んじた罰として、永遠に生き物たちの命を救う宿命を背負わされた人間の姿を描いた中編です。『火の鳥』の中で描かれる生命は、死と誕生を永遠に繰り返すという「輪廻転生(りんねてんしょう)」の思想がベースになっていますが、そうした中で、最も重い罪として、永遠に死ぬことのできない宿命を背負わされた人間の姿がしばしば登場しています。例えば「宇宙編」で、成長と若返りを果てしなく繰り返すことになった牧村などがそうですが、この「異形編」の八儀左近之介もそれと同じと言えるでしょう。 時代的には、後に続く「太陽編」と同じ時代の話で、たくさんの妖怪たちが傷ついてこの寺へやってくる理由は、「太陽編」の中で語られています。