高田馬場地元の方なら、もしかしたらすでにご存知かもしれませんが、毎年4月に限定販売で登場していた和菓子司青柳の「くりまんアトム」。なんと今年からこの銘菓が通年で販売されることになりました!
そこで、虫ん坊では、この「くりまんアトム」を取材、2代目社長の飯田幹夫さんに取材し、お話をうかがいました!
さらにはお店の工房にも潜入! 普段なら見られない「くりまんアトム」の出来るまでを特別にご紹介しちゃいます!
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飯田: このお店は、大正14年に、同じこの高田馬場の場所に創業しました。私で2代目になります。
青柳、という名前の由来は、もともと名古屋に「ういろう」というお菓子がありますでしょ。あれで有名な「青柳」というお店がありますが、それに習って東京にも「青柳」という名前のお菓子所が、明治時代にたくさん出来たんです。
明治時代に出来た「青柳」から、銀座、三田、青山にあった大きな3店舗から暖簾分けしたお店が多く、私の父が創業したこの「青柳」は青山の青柳から暖簾分けしてもらったお店なんです。
その後、昭和25年の終戦直後、物資不足で原材料の調達なども困難になった際、小豆などの原材料を共同で購入するべく、都内48店舗の「青柳」で、「青柳のれん会」という組織をつくりました。こののれん会は、三田の青柳さんが初代会長を務めましたが、父も副会長を務めたんですよ。
三田の青柳さんは、25年前に和菓子屋さんをやめてしまって、その後は私どもが会長を務めさせていただいております。
和菓子屋さんは、どこも後継者不足に悩んでいます。都内の「青柳のれん会」も14店舗となってしまいました。もっとも、「青柳」各店舗から暖簾分けしたり、たまたまご自分の姓が「青柳」だったり、ということで、のれん会に入っていなくても「青柳」と号しているお店も何軒かあります。
飯田: 虫プロダクションが廃業になったころ、手塚先生がたまたまこの早稲田通りをタクシーで移動していたときに、建築したてのセブンビルに「テナント募集」の看板が出ているのを見つけて、手塚プロダクションの事務所を開いたそうですが、私どものお店はそのセブンビルのすぐお向かいなものですから、そんなご縁でよくお菓子を買いに来てくださっていました。原稿執筆の合間に、一休みするためにいらしては、お店でおまんじゅうを食べていかれたんですよ。
実は柳月ビル(当社ビル)に、私と友人とで共同経営していた洋食屋もありまして、そちらにも先生はよくいらっしゃっていたようです。先生は気取らない性格の方で、気さくにいろいろなお話をしてくださったことを覚えています。私が商店街の青年部長をしていた頃に、子供祭りの行灯に貼る為に、セル画を何枚かいただけないか、というお願いにも快く答えてくださいました。他にも、商店街主催の夏祭りに映写機とフィルムを貸し出してくださり、映画上映をしたり、子供たちのためにセル画塗りの体験コーナーを開いてくれたりもしましたよ。
飯田: そもそもの発端は、平成6年に、この高田馬場商店街のアーケードが取り外されて、オープンモール式になったとき、新宿区の商店街診断の方に診ていただいたのですが、「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんの生まれ故郷である境港市の商店街の事例を取って、高田馬場も鉄腕アトムで町おこしをしたらどうか? というアドバイスをいただいたんです。
昔のご縁もありましたし、手塚プロダクションにご相談に伺ったところ、OKをいただき、町おこしに着手したのですが、その頃は高田馬場の駅も今ほどきれいではなくって。
まず、駅前をきれいにして、駅から小滝橋方面に伸びる歩道も広げたりしまして、商店街に来ていただきやすい道を作りました。2001年にはJRにもご協力いただき、ガード下に手塚プロダクション制作の壁画をかけ、さらに広げた歩道の舗装をタイル張りにして、街灯にキャラクターの看板を取り付けました。今のJR高田馬場駅の発車音は、「鉄腕アトム」の主題歌ですが、この音源も商店街でお金をだして作りました。
そんな風にして、町おこしを進めていたところ、2003年4月7日がアトムの誕生日なのでその日に合わせて何か特別な、アトムにちなんだ名物を作りたいな、ということになり、「くりまんアトム」を企画したんです。
飯田: 「アトムの栗まんじゅうを」といっても、焼印を入れるだけでは面白くありませんから、ぜひ、アトムの顔の形をしたおまんじゅうを作ろう、と思ったのですが、初めは抜き型もなく、職人が一つ一つ手で形を作っていました。しかし、これには出来不出来があり、初めはネコみたいな顔になってしまっていました。手間もずいぶんかかりましたしね。
誕生日の4月7日から発売したのですが、その前にNHKが取材に来てくださいまして、発売日にはお店の前に行列ができましたよ! そのとき来てくださった中の数名は、毎年ご注文をいただいています。北は北海道から、南は大分まで、遠方から来てくれた方もいらっしゃいました。
初めの年は、4月のみの1ヶ月限定商品として売り出したのですが、一月で三、四千個売れました。それで、毎年4月限定で売り出すことになり、抜き型も作らせていただきました。型をつくってからは、品質も安定したものを作れるようになりました。
飯田:今年、手塚プロダクションから、「うちのお土産としてもぜひ使わせていただきたいので、通年で作ってはいかがでしょうか?」といううれしいお話をいただき、一年を通して作ることになりました。それまでは4月のみの発売ということで、お客様も一度にたくさん買っていかれたもので、そのため毎年4月はほぼ、「くりまんアトム」ばかりを作っておりましたが、今後はスタンダード商品として、一日いくつずつ作ればよいかを探りながら、ローテーションが組めるようになるので、大変ありがたいですね。
現在では、お店での売れ行きが、1日に10折(セット)くらいですね。ご来店のお客さんは、午前中がやはり多いです。会社にご挨拶に行かれる際に、高田馬場のお菓子として、ご購入いただくお客様が多いみたいです。
午前中の2時間に、一日の半分の売上になり、あと2時から6時で残り半分を売上げます。2時以降にご購入のお客様は大体、お土産用とか、ご自宅のおやつ用に買っていかれるみたいですね。
あと、企業様や小売店などへの「おさめ」という、まとめてのご納品先が何件かあります。手塚プロダクションからも、イベントやお店などでの取り扱いを依頼されたこともありました。最近では、インターネットショッピングも対応するようにしていますので、遠方でご来店いただけない方もぜひ、買っていただきたいです。
くりまんアトムは、以下のサイトより購入することができます! ぜひご覧ください。
ここは和菓子処 青柳さんの工房です。これから「くりまんアトム」を作っていただける、ということで、お邪魔しています。
現在、工房で和菓子をつくっていらっしゃるのは、三代目店長の飯田さんと、職人の落合さんのお二人。広い調理台の上には、「くりまんアトム」の元らしきお団子が整然と並んでいます。
以下、写真とともに順にご紹介していきます!
こちらがくりまんアトムになる前の姿。国内産白手亡豆(しろてぼうまめ)からとった白餡に、粗く刻んだ茨城県産の栗を使った餡が入った、黄色い丸いお団子です。
「今日のは手づくりですが、これを作れる機械もあります。それを使うと1時間に1000個できますが、アトムの形に作るのは手仕事です」とのこと。隠し味としてバニラエッセンスが入っているので、焼くとあまーい香りがします。
塗るのに使うのは、和三盆蜜と卵とみりんをまぜたもの。元祖の栗まんじゅうの、栗の皮の部分にも使われる材料ですが、アトムの場合はかわいさを出すために、少し色を薄めに調合しているそうです。
絵画などで使う筆をつかって、丁寧にアトムの頭と口のところを塗っていきます。
塗ったところは焼きあがったときにほんのり照りのある感じになります。
口を塗る筆は頭の筆より細いものを使います。これも文房具屋さんで仕入れた絵筆の毛を少し抜いて、細くしたもの。
「たくさん作っていると、口を塗り忘れてしまうのが出来ることも。口なしでもかわいいですが、忘れないように気をつけています」。
オーブンでこんがり焼きます。焼く時間はおおよそ20分ぐらい。
焼いている間も5分おきぐらいにオーブンのフタをあけて、トレイの位置を細かく調整します。
「機械によって癖がありますので、場所を変えて均等に焼けるように調整します。初めは下の段で焼いて、具合を見て後半は上の段で焼きます。こうすることで、中にも火が充分とおり、顔にも焼き色がこんがりついたアトムになります。」
手際よく一つずつ押していきます。「焼きあがった直後に入れてしまうと、焦げやすいし、時間が経ちすぎると生地が割れてしまったりします。程よいタイミングで焼印をつけるのがポイントです」
眼も、離れすぎるとかわいくないし、よりすぎるとコバルトになってしまう、とのこと。木型で出した段階では、眼のあるところにぽっこり、ふくらみがありましたが、焼くことでそれが目立たなくなってしまいます。「一つ一つ手作業なので、表情が全部違いますよ」。
眼がついたくりまんアトム。あとは一つ一つ包装され、お店に並ぶだけ!「こげなどがついた場合は、針で丁寧に取り除きます。ほくろみたいに、塗った和三盆糖が熱ではじけて、ほっぺたなどにつくことがあるんです」