宮城県・福島県・岩手県・茨城県他、大規模な範囲で津波や地震による災害が襲い掛かったあの3月11日の東日本大震災から6ヶ月。
宮城県下で仙台に次ぐ規模の都市・石巻市もまた、沿岸地区を中心に大きな被害をこうむりました。
その、石巻市は実は、マンガと関係の深い都市でもあります。手塚治虫がかつて暮らしていたマンガ家の梁山泊「トキワ荘」の住人でもあった石ノ森章太郎さんのゆかりの地として、石ノ森萬画館が2001年に登場したほか、街中のいたるところで仮面ライダーやロボコン、サイボーグ009など、たくさんの石ノ森キャラクターたちが活躍、観光客をお出迎えしてくれるマンガファンにうれしい観光都市でもありました。
未だに多くの被災地では、壊れた家や道路、鉄道などの復旧もままならず、町では商店の営業が停止し、企業などの活動も多くはお休みのまま。石巻市もそんな都市のひとつ。石巻の名物だった石ノ森萬画館もまた、未だに再開のめどが立っていません。
虫ん坊では、そんな石ノ森萬画館の「今」を取材しました。
取材当日、8月18日現在、東京から石巻市へのルートはいくつかありますが、一番早く着くのはやっぱり、東北新幹線とJR仙石線です。新幹線で仙台まで行き、そこから石巻に向かうJR仙石線に乗り換えます。
現在、JR仙石線仙台〜石巻間は途中電車が通れないところがあります。その区間は代行バスが走っています。
高城町〜矢本間が運休区間。一度松島海岸で電車をおりて代行バスで50分程度で矢本につきます。運休区間の線路や駅は壊れていて使えませんが、各駅前にバスが止まってくれます。
矢本駅で再び列車に乗りますが、損傷のために変電所が使えず、電車ではなく他の地区から借り受けたディーゼル車だそうです。
このディーゼル車には、石ノ森キャラクターの絵が描かれていました。
駅改札や駅舎には、たくさんのキャラクターたちのフィギュアが並んでいます。改札を出るとサイボーグ009と仮面ライダーが、駅舎の屋根には002が飾られ、窓にステンドグラス風にサイボーグ009を初めとしたキャラクターたちが描かれています。
駅前広場は一見、落ち着いたたたずまいの地方都市の印象。しかし、タクシーで萬画館へ向かう道筋では、窓ガラスが割れたり、外壁が壊れた建物がそこここに見られ、まだ災害の爪あとが残っていることが分かります。
石ノ森萬画館の前で、萬画館の運営を担当する、株式会社街づくりまんぼうの木村さんと待ち合わせました。
石ノ森萬画館は、北上川の中洲部分「中瀬」地区にあります。津波襲来の際には、地区全体が浸水、萬画館も1階部分が完全に水の中に沈みました。かろうじて流されずに残った萬画館は一時期、避難所として40人ほどの人が非難していたといいます。ガスも電気も使えなくなってしまってはいたものの、3階のカフェ「BLUE ZONE」にあった冷凍食料などを食べながら、5日間、スタッフや周辺住人の方が避難していたそうです。
特別に中に入らせていただきました。ボランティアの方々やスタッフ、自衛隊の方などの手によって、がれきや泥は取り除かれているものの、予算などの問題で再開のめどは立っていないそうです。
「人の手でできるところまでは片付けてありますが、電気もガスも使えない状態。市の方針も未定で、未だ工事も進められない、という状態です」と木村さん。
震災から今までの、萬画館や石巻市の状況について、木村さんにお話を伺いました。
木村:一日も早い石ノ森萬画館の再開に向けて、市と協議を進めているところです。また、「石ノ森萬画館復興義援金」という形で、直接萬画館の復興のために義援金を振り込めるような口座を設けました。市でも、災害義援金を受け付ける窓口を持っていますが、どうしても被災者支援やインフラの整備などに優先的にお金が使われるため、萬画館の修繕に全額が使われる募金として、集めさせていただいています。
私たちは、萬画館の運営のほかにも、社名の通り、石巻をよりよいまちにすることをミッションにしています。今のようにまちが大変な状況にあるなか、復興に向けて今後、どのようなまちにしていくのか、住民の方々とともに「街中復興会議」という組織をつくり、当事者同士で話し合い、意見をまとめて市や国へ提言したりしています。
木村: 自営業の方々は、このような災害に遭っても、補助もなにも出ないんです。たとえば、住宅の被害があれば、義援金が交付されますし、さまざまな優遇措置がありますし、サラリーマンなら、失業手当などもありますが、事業をやったり、お店をやっている方には、いっさい何も出ないんです。ですから、店を開けられなければ収入がないということになってしまいます。
お金は低金利で借りられたりもしますが、借金ですから返さなくちゃいけない。また、二重債務の問題や、高齢の方の経営していた店舗であれば、跡継ぎをどうするのか、とかいろいろな問題があります。石巻の沿岸部の主力産業は漁業でしたが、市場も船も加工場も流されてしまって。漁業に携わっていた市民は相当な数の方がいらっしゃいますからね。
復興計画への不安もあります。お金の話だけではなくて、たとえば、「この地域には堤防をたてます」とかそういうことも分からない。そうすると、復興しようにも、今までどおりに店を続けられるのか、どこかに場所を移すのか、なにも決められないんですよね。
住むところもまだ決まっていない人もたくさんいるんですよ。石巻市内で4000人近い人が、未だに仮設住宅にも入れずに、避難所で生活をしているんです。
解決すべきことが、山積みですよね。見た目はきれいになってますけど… 見えない部分には本当に、問題が山積みです。
木村: はい。こんなことになってしまったので、ちょうど10年目の今年の7月23日も、ごくひっそりと迎えることになりました。でも、せっかく10周年で節目の年でもありますので、何か取り組みをしようとは思っています。 今の取り組みとしては、サイボーグ009の複製原画を額装し、街の商店で飾っていただいています。萬画館がこんな状況で、再開もできずにいるため、萬画館は閉まっているけど、このまち全体が萬画館だ、という発想で、まち全体に原画を飾って、全国から来ているボランティアの方や、視察や仕事で石巻を訪れている方に、石巻はマンガのまちだ、ということを知ってもらいたいと思っています。 とはいえ、まだまだ飾れる場所は限られており、がんばってお店を開けている商店や駅など、いまは30から40箇所ほどですが、これから復興がすすみ、開店するお店が増えてきたら、よりたくさんのお店に飾ってもらい、展示点数も増やしていければいいですね。 お店も、完全な形での再開はまだまだ難しく、なんとかお店の一部で商品を売っているような状態ですが。
木村: こちらの通販を再開したのは、4月ごろです。ところが、在庫も流されてしまっていますので、初めのうちは、水につかってしまったものを皆で洗ったり拭いたりして綺麗にしたものを販売したりもしていました。パッケージものは駄目ですけどね。
また、お菓子は被災直後食べるものがない時に、パッケージがだめになっていても中身が無事ならみんなに配ったりもしました。
木村: いろいろな面で、マンガの力を感じた側面はあると思うんです。マンガ家の先生方にたくさん、石巻に来ていただいて、サイン会やワークショップを開いてもらったりして、子供たちが楽しんだり、元気をもらったりということもありましたし、今回の被災の様子を、マンガ家の先生方に作品にしてもらっうことで、情報発信や記録になったりということもありますが、今までもマンガジャパンの先生方とは萬画館の運営についていろいろ、ご助力いただいていましたが、今回のことで、今までお付き合いのなかった先生方や、出版社の方々、石ノ森先生のファンの方々など、たくさんの方にご支援をいただいていることはありがたいです。
このような災害の被災地になったのは、偶然のことですが、このようなご縁が広がりました。日本のマンガが世界によりいっそう広がっていくきっかけにもなるかも知れません。
木村: 幸いにして、萬画館は2階以上は無事で、石ノ森先生の原画も無事でした。うちで管理していた9万点はすべて、3月のうちに石森プロに無理を言って引き揚げていただきました。引き揚げるまでは持ち回りで萬画館の警備したりもしていました。
館のまわりや中のがれきの撤去などが一通り落ち着いた5月5日、被災された方々もせっかくのゴールデンウィークに子供たちをどこにも連れて行けないのは残念だろうと、萬画館を開けて、一日だけイベントをやったんです。炊き出しや海斗のショーなどをやりました。周りからはまだ余震も多く、粉塵もすごいのに、危険ではないか、と指摘されたりもしましたが、そのときは6000人もの人々があつまりました。
私たちも、いつまでも被災者ではいられませんので、今では私たちもいろいろなところで支援活動をしています。ボランティアの方や、アーティストの方も、いろいろな支援イベントを開いて下さってもいます。
木村: 萬画館主催のイベントは当分、ないですが、今度の土曜日に、ドリカムが石巻に来てくれるのでそのお手伝いとか、その次の日曜日には女川で炊き出しイベントをします。27日にはお台場で海斗ショーをします。
また、石巻の市内の被災状況をパネルで展示したり、マンガ家の先生方に描いていただいた復興支援イラストを飾る展示会を首都圏で毎週、行っています。
石ノ森萬画館のWEBサイトに開催情報などは詳しく載っていますので、ぜひご覧いただきたいですね。
手塚治虫先生と石ノ森章太郎先生の二人展などが、萬画館10周年のイベントで開催できたら、とてもうれしいです。
木村さんと別れた後、石ノ森萬画館からの呼びかけで、複製原画を展示しているお店を探してみました。その中の一つである、呉服屋・京屋さんでは、矢口高雄さんのイラストの入った復興支援Tシャツが販売されていました。
株式会社京屋の専務取締役・奥村恵英さんは、商店街の9人の仲間とともに、RIPという組織を立ち上げ、復興に向けての取り組みを行っているそうです。
奥村:私たちの仲間で、萬画館とお付き合いの深かった八幡家という鰻屋さんの阿部紀代子さんという方が、マンガジャパンの先生がたに掛け合ってくださって、取り組みが始まりました。
チームは9人でやっていまして、これをきっかけに、街のいろいろな情報を発信できる基地になりたいな、と思っています。
奥村: この通りには限りませんが、近所のみんなですね。みんな商店を経営しています。呉服屋が4人、飲食店3人、洋品店が1人、お肉屋さんが1人でやっています。フットワークが軽い人たちに声をかけました。
「石巻 みんなの力をひとつに」というフレーズがプリントされていますが、もともとはわれわれ自身が力をあわせるためにつくったTシャツです。今でこそ、復興支援の意味合いも持たせられるようになってきた、と思いますが。
初め、これをつくるにあたって、初めはマンガというものは視野に入っていなかったのですが、先ほどお話した阿部さんが、マンガ好きで、手配をしてくださったんです。
奥村: 大正4年からになります。こんな被害をこうむったのは、おそらくお店始まって以来でしょうね。今までは呉服や和装小物、着物のクリーニングを行っていましたが、今後は商売の内容も検討していかなくてはならないかも知れませんね。
まだまだ復興への道のりは険しい石巻。街中の信号はともっておらず、すべて手旗信号で交通整理をしていて、取材中もひっきりなしにホイッスルの音や、あちこちで行われている修繕工事の音が鳴っていました。
元通り以上に美しい石巻のまちが復活することを祈っています!