講談社 手塚治虫漫画全集「新宝島」 表紙用イラスト 1984年
宝島の地図をめぐる冒険活劇です。
死んだ父親が残した宝島の地図を見つけたピート少年は、父親の親友の船長とともに、宝探しの航海に出ます。ところが船は海賊ボアールに襲われて、ふたりはつかまり、さらに海賊船が嵐にあったため、ふたりは漂流して南海の孤島にたどりつきます。するとそこは、父親の地図にあった宝島だったのです。
一難去ってまた一難。おそろしい原住民に捕らわれるピート少年!果たしてピート少年と船長は助かるのか、宝は見つかるのか? 夢とスリルがいっぱいの冒険は続きます。
1947/01/30 単行本(育英出版)
手塚治虫の単行本デビュー作。
当時これを読んだ多くの若者が驚嘆し、こぞって漫画家を目指した、と神話化されているエポックメイキングな作品ですが、いま読むと至極シンプルな冒険譚にすぎない、ということが、逆説的にこの作品に始まった戦後日本マンガがいかに目覚ましい発達を遂げたのかの証左とも言えるでしょう。
手塚治虫のマンガの初期スター、ケン一くんがピート少年を演じていますが、いつもその叔父として活躍するヒゲオヤジの姿はなく、代わりに船長はブタモ・マケル氏が演じています。
当時、大阪マンガ界のベテラン作家だった酒井七馬の原作をもとに、無名時代の手塚治虫が絵を描いたもので、手塚治虫の単行本デビュー作です。
バタ臭い絵やスピード感ある構図が人気を集めて、40万部とも言われるほどの大ベストセラーとなり、その後のマンガブームの基礎をつくりました。
オリジナル版は、手塚治虫が描いた原稿を60ページ近くカットし、台詞を書きかえるなど、酒井七馬がかなり手を加えたものでした。そのため、講談社版手塚治虫全集では、手塚治虫自身が記憶をもとに原型に戻したリメーク版を描き下ろしました。
ピート
船長
パン(犬)
ボアール
バロン
ピート少年が犬をひろうシーン
(前略)
「新宝島」はあらゆる点で、ぼくの作品からかけはなれているのです。
酒井七馬さんがいまは亡くなっておられるため、こまかいいきさつをお話ししても仕方がありませんが、当時、この企画を酒井さんが持ってこられたとき、とにかく、好きなようにかきおろしてほしいと草案をおいていかれたので、それまでに「ハロー・マンガ」などで、お世話になっている関係もあってお引き受けすることにしたのです。
それからぼくは、ワラ半紙に二百五十ページの下がきをして見せました。それはプロローグで犬を拾うところから、ラストの夢オチまで、ちゃんと起承転結のある物語でした。しかし、酒井さんは、出版社との約束が百九十ページがギリギリ限界だということで、六十ページ分をけずられました。本のページ編成の都合があったでしょうが、ちゃんとまとまった話からそぎとる形になりますから、筋の構成に無理が生じます。いちばん弱ったのは、最初に犬を拾うところをけずられたことで、犬とピート少年とのつながりがあいまいになってしまったうえに、犬そのものもあまり意味のないキャラクターになってしまったのです。そして、酒井さんは、変えたストーリーにあわせるためと、文体がむずかしいという理由で、ぼくに相談なくセリフを変えられました。
また、これも相談なくぼくの原稿にいろんな字や絵をかき加えられました。人物の表情を変えたり、ターザンなんかは、ぼくのターザンがマンガ的すぎる顔だというので、紙をはって別の顔にかきなおしてしまわれました。
(後略)
(講談社刊 手塚治虫漫画全集『新宝島』 あとがきより抜粋)
ピート少年が犬をひろうシーン
1947年発表時の本文より バロン(ターザン)
酒井七馬という人がいた。関西の漫画界の傍系の長老のひとりである。なぜ傍系かというと、この人は代表的な新聞や雑誌にはあまり関係なく、動画に手を出してみたり、漫画雑誌とか、新人の育成などに力を入れてきたために一般には知られていないからである。
(中略)
ぼくは酒井氏にこの「まんがマン」の例会ではじめてお目にかかった。
会員のひとりひとりが、酒井氏に作品を見せて批評してもらうのだ。ぼくが学生時代に描きあげた長編を酒井氏はたんねんに見て、
「どうや、ある出版社から話があるのやが、ひとつ、ぼくのアイデアと、君の絵という合作で長編漫画を描こうやないか」
と相談をもちかけてきた。まったく思いがけない話なのでぼくはめんくらったが、うれしくもあった。なんといっても、ぼくは長編漫画をこつこつ練習してきただけに、四コマ漫画や一枚ものは片手間という気持ちだったので、二百ページ、口絵付きで、戦後はじめての豪華本だというこの企画は、天から降った宝物であった。
「ぼくがノートに見本描きを作るが、それはあくまでもシノプシスやから、気にせずに手塚君の好きなように料理してくれや」
と、酒井氏が言った。ぼくはごっそり紙を買いこんだ。
さて、描きだすと困った。緊張したせいか、満足できる絵が全然できない。これまでの仕事と違って、世の評価と批評を真っ向から受ける大仕事であり、しかもぼくの漫画家としての運命がそれで決まってしまうのだ。タイトルは「新宝島」で、スチブンソンの「宝島」と、「ロビンソン・クルーソー」と、ターザンとをごちゃまぜにしたようなアクションものである。
このターザンには参ってしまった。なにしろ、ぼくは当時ひどく痩せこけていたので、筋肉隆々というイメージが浮かばず、描くターザンはどれもこれも、ごぼうのように味気なかった。とうとう音をあげて、いい加減に描いておいたら、酒井氏が顔に全部紙をはって、描きなおしてしまった。
(後略)
(毎日新聞刊 『ぼくはマンガ家』 より抜粋)
1947年発表時の本文より バロン(ターザン)
2004年に発刊されたオリジナル復刻版「新寶島」の表紙、裏表紙