破滅かバラ色の未来か

1980年

マンガ 「火の鳥・未来編」原画より

マンガ 「火の鳥・未来編」原画より

横尾(忠則) 二十一世紀が仮にバラ色の世紀だとすれば、それが創造される前段階には何かが破壊されなきゃ新しいものは生まれないでしょう。その破壊が、人類終末といわないまでも、何かの犠牲を払わなければ新世紀を迎えることは不可能だと思いませんか。
手塚(治虫) 破壊というのはいろんな意味があるんだけど、二十世紀的な思想が破壊されるだけで、人間が本来持っている原初の本質的なものに戻るということもあるわけです。
 それは一つには、宇宙主義みたいな、哲学的な思想だと思うんですよ。ぼくは、月が征服されたりしたときに少しずつ目覚めてくるかと思ったら、軍備戦争ばっかりにこだわってできなくなってしまった。つまり、宇宙開発技術そのものも一種の軍備というものに置きかえられてしまった。ぼくは、宇宙に飛びだして地球を一つの個として考える時点になったら、ぜんぜんいままでとは違った思想を持った若者が増えていくと思うんです。それは、民族、国家、イデオロギーを超越した大きなものですね。それは、ボタン戦争でボタンを押せば全世界が滅びてしまうというような危機感から起こるものじゃなしに、もっと静かな起こり方をしてくると思うんですね。
横尾 確かにそういう動きは(一九)六〇年代のヒッピー・レボリューションあたりから起こってますね。
手塚 一つの黎明(れいめい)期のハプニングだと思うんです。ああいうようなものは、今後、無尽蔵に起きてくると思うんです。ヒッピーというのは、単なるファッションだったですよね。ファッションじゃなしに、ほんとうに深い思想からそういうものが各国に起こってくるような気がするんです。とくに若い連中がいま、救世主を求めてますね。でも、そういうもので起こってくるものじゃないと思うんです。

講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫対談集 1』「横尾忠則──宇宙意識の目覚め」より
(初出:1980年2月号 メジテーション 掲載)