1987年
情報量が増せば、人間の生存について悲観的なデータがますます入ってくるのが現代である。
文明の発展とともに、かならず弊害と破壊が増加することも、現代人はよく認識している。
現代人、ことに若者の心には、どんな刹那的な享楽でまぎらわそうとしても、不安と諦観(ていかん)がつきまとっている。自分個人の未来には不可避な死の運命が、そして人類文明には、やがては破局が訪れることについて、不安と諦観がある。
思想の世紀末的な混乱も、それを助長している。
現代に似た状況は十九世紀末にもあった。若者たちはきたるべき世紀に機械文明によってもたらされる危機を予感し、デカダンス文化に酔いしれた。そしてそれはやがて社会主義や共産主義などの思想や民族闘争、差別闘争などの運動を生んだ。同様に現代人の心には、永遠の安定を望む切なる期待があることは間違いない。
私はそのきっかけが宇宙開発によってもたらされると思う。スペースコロニーで誕生し、生まれながらに“宇宙民族”である人々が、地球を客観的に眺め、限りある生命を認識しつつ新しいフィロソフィを確立して、それを地上へもたらすのではないか、そして資源の涸渇や自然の荒廃でますます不安と自暴自棄に陥った人々に、メシア的な役割をするのではないかと考える。
なによりも、死への無限の恐怖が医学による延命策をやみくもに開発させるであろうが、それも限界に達して人間という生きもののもろさを知ったとき、限られた人生をいかに最大限に有益に送るかについて二十一世紀の人々は真剣に考え、有限の生命をいかに永遠のものとするかについて努力を払うであろう。