スペシャルインタビュー第6回のゲストは、世界で活躍する美術家、横尾忠則さん。カルチャーシーンに影響を与え続ける斬新なグラフィックの数々を生み出す横尾さんは、なんと漫画を描いていた時期があったというのです。
自身のルーツとなった手塚作品のお話や、手塚先生にお会いした当時のお話を聞きながら、横尾さんの制作意欲の根源を紐解きます。
横尾忠則 Tadanori Yokoo
1936年兵庫県生まれ。美術家。72年にニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ、ヴェネツィア、サンパウロ、バングラデッシュなど各国のビエンナーレに出品し世界的に活躍する。アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館での個展など海外での発表が多く国際的に高い評価を得ている。2012年、神戸に横尾忠則現代美術館開館。2013年、香川県豊島に豊島横尾館開館。2015年、第27回高松宮殿下記念世界文化賞受賞。作品は、国内外多数の主要美術館に収蔵されており、今後も世界各国の美術館での個展が予定されている。
https://twitter.com/tadanoriyokoo
―――まずは、横尾さんの最初の手塚体験をお聞きしたいと思います。
横尾忠則さん(以降、横尾) もう70年前の話になりますけれど、小学生の頃かな、駄菓子屋さんで、『新寶島』を見つけたんです。気になったからすぐ買いました。
『新寶島』は、もう漫画が手元になくて記憶も曖昧ですけれど、オープンカーみたいな乗り物に乗っていきなり走ってくるんだよね。
あ、僕が言ってるのはこれだと思う。......やっぱりオープンカーですね。あ! そうだ、港に行くんですよね。今、思い出しました。
セリフが全然ないし、絵のスピード感というのかね、連続性が今までの漫画と違っていて。いろんな人が言っていますけれど、映画を観るような臨場感があったというのが衝撃的でしたね。
横尾 最初は「手塚治虫」なんて、変な名前の人だなと思ったんですよね。あともう一人、原作者だと思うんですけれど酒井七馬っていったかな、その2人の名前が並んで書いてあったので、どちらが漫画を描いているのか当時はよくわからなかったんです。とにかく手塚さんの名前を見たのがこの本で初めてでしたから。そんなわけで、手塚さんとの遭遇はこの『新寶島』が初めてでした。
それからしばらくして「漫画少年」で『ジャングル大帝』の連載が始まったんだと思います。
「漫画少年」は、2号か3号目から購読するようになって、中学卒業ぐらいまで読んでいました。ここでは漫画を募集しているのだとわかると、すぐに投稿しました。
当時、「漫画少年」を購読していた人のほぼ100%は投稿者なんですよ。漫画を読むということは、イコール漫画家を目指していたってことだったの。当時は、目新しい職業だったんじゃないかな。その後、石森章太郎さんや赤塚不二夫さんなどが漫画少年に投稿していましたからね、その後の漫画家さんの名前はそこで覚えました。
―――横尾さんはグラフィックや絵画のイメージが強く、漫画を描いていたというのはあまり想像できません。どういう漫画を描いていたのですか?
横尾 4コマ漫画ですよ。当時は4~6ページの短編漫画や4コマ漫画を募集していましたので、それに応募していました。佳作とか入選の欄には時々名前はあがるんですけどね、掲載は一度もされなかった。
―――どんな内容を描かれていたのか、とても気になります!
横尾 つまんない内容ですよ(笑)。覚えているのは、子供が海へ釣りに行くんだけど全然釣れないので腹を立てて、そばにあった大きい石を海に投げるんですよね。そうすると、その石にぶつかった魚が飛びはねて、その魚を捕まえてるっていうたわいない話。完全落選ですね(笑)。
―――いやいや、読んでみたかったです! それから、高校生で絵画やデザインの道に進まれるんですよね。
横尾 そうですね。その頃はデザインの意識はほとんどなくて、美術の先生が東京から赴任してきたので、その影響を受けて油絵をはじめたんですよね。ほとんど勉強もしないで、絵ばかり描いていました。
いろんな学生展や市展や県展に応募していて、だいたい入選か賞を取っていましたけど、自分で自分の絵の良し悪しが全然判断できない頃でしたから、賞をとっても疑問しかわかなかった。なんで入選したのかな? って。
―――漫画よりもデザインのほうが自分に向いていると見極めたのはいつ頃で、なにがきっかけだったのでしょうか。
横尾 中学の時に江戸川乱歩の「怪人二十面相」に出会ってから、小説の挿絵に惹かれるようになりました。挿絵画家の山川惣治さんや鈴木御水さん、南洋一郎さんの密林物の絵に興味を持ったのと同時に、漫画に対する興味が薄れてしまったんです。
挿絵を描いてみたいと思って、通信教育なんかはやっていました。でも、その時は将来絵で食べて行こうとは思っていなかった。僕は切手を集めたり文通が好きでしたから、高校を出たら郵便局に勤めたかったんですよね。
―――それでも、絵の道に進まれたのにはわけがあったのでしょうか。
横尾 校長先生が、郵便屋さんではなくて絵の道に進みなさい、美大を受けたらいいって言うんですよ。それで、その頃はもう美術の先生は東京へ帰っていたのでその先生を頼って先生のアパートに居候しながら武蔵野美術大学を受けることになったんだけど、いよいよ明日が受験日って夜に、「受験しないで帰りなさい」って先生から言われて。
―――なぜ、前日になって......!
横尾 僕は田舎生まれだし、親も高齢でほぼ無職だったので学費を払うのが大変だからって。そう言われてもとくに抵抗もせず、言われるがままに受験しないで帰ってきてしまいました。もし大学へ入っていたら、どうなってたんでしょうねぇ。油絵科を希望していたので、ほかの画家志望の学生たちに埋もれながら団体展に出品する画家になっていたでしょうね。
―――そこで受験をしないで帰るというのが、運命的ですね。
横尾 とはいえ生活費は稼がないといけないので、加古川市の印刷所に勤めました。その後、仲間と開いた小さいグループ展をたまたま見た神戸新聞の図案担当の人にスカウトされたんです。僕は兵庫県の西脇市出身なんだけど、神戸に出て新聞社に勤めて事業部のポスターのデザインを手掛けていました。その頃は、デザインやグラフィックという言葉がなかったから、「商業図案」って呼ばれていたんですけどね。そして、その4年後くらいに上京して、日本デザインセンターに入社し、本格的にデザイナーの世界に飛び込んだんです。
―――20代の頃から現役で活動し続けている横尾さんですが、そうなるための近道はなんだと思いますか?
横尾 まぁ一言で言えば、したいことをする。自分を限定しない。どういう絵を描けば評価されるのかを第一に考えるのではなくて、自分のしたいことをやるのが一番いい。したいことがないっていう人はいないと思うんですよね。
僕が多摩美で先生をやっていたときも、学生たちはみんな悩んでいました。どうすればデビューできるか、評価されるか、そんな先のことで悩まないで、いま目の前にあるキャンバスに、今一番興味のもっていることを描けばいい。そういうところから絵をはじめていけば不安もなくなると思いますよ。
目的と結果に縛られすぎるのはよくないですね。目的なんか持つ必要はない、描くことを目的にするだけでいい。結果も考えない。目的と結果をはずすことが、まず第一歩だと思います。
―――横尾さんは、手塚先生とお会いしたことがあると伺いました。当時のことは、覚えていますか?
横尾 手塚さんに初めてお会いしたのは、日本デザインセンターを経てデザイナーとしてフリーになっていた頃だと思いますね。1973年くらいだったかな。
僕が会ってみたい人たちと2ショットを撮るという企画を篠山紀信さんとやっていてね。そのうちの一人として手塚さんにお会いしました。
手塚さんの仕事場の近くでお会いしたと思いますが、手塚さんはお忙しかったので喫茶店でゆっくり話すということはなく、この写真を撮ったあとに少し立ち話をしました。
横尾 手塚さんはテレビでもよく姿を見ていましたし、遠い存在というよりも、同業者という印象だったかな。漫画家とデザイナー、ジャンルを分けることはせずに、絵を描いている者同士はすぐ共感し合えるね、というお話をされたのを覚えています。美術を職業としている仲間のような感覚でした。
その後、しばらくして対談でまたお会いしましたけれど、その時もそういうお話をされたような気がしますね。
――手塚先生とお会いしたのは、2回ほどだったんですね。
横尾 そうですね、2回です。僕は1980年にグラフィックデザイナーから画家に転向したんだけど、僕の展覧会のほとんどに手塚さんが見に来られていたというのを後で知ったんです。いろんな所で展覧会をやりましたが、いつも手塚さんは見に来てくださっていたみたいで、ギャラリーの方が「手塚さん来られましたよ」って教えてくれるんです。じっくり作品を見て帰られるそうで、そのことについて直接手塚さんとお話したことはないんですけどね。あんなに忙しいのに、よく展覧会に来れるなぁ~と思いましたけど、それほど関心を持っていただいていたんでしょうね。
―――横尾さんのことを、同じ絵描きとして意識していたのかもしれませんね。画家に転向されてからも、漫画は読まれていましたか?
横尾 また漫画を読むようになったのはずっと後になってからで、楳図かずおさんの「おろち」とか、ホラーものを片っ端から読んでいましたね。
漫画は一コマを隅々までじっくり鑑賞してしまうので、読むのにとても時間がかかるんです。今の人たちはスルっと読んじゃうでしょ。描く人の身になってごらんなさい、一筆一筆に魂がこもっているんだよって言いたくなるぐらいにね。一コマにどういう表現がされているのか興味があるのかないのか、あるいは、一瞬のうちにそれを汲み取る能力があるのかな。
映画でもそうです。観に行っても、俳優さんの演技よりも後ろの小道具や景色を目で追ってしまう。そんな感じだから、話の内容をすぐ忘れちゃうんですよ(笑)。
『ジャングル大帝』以来、何十年も手塚漫画に対する長い空白時間がありましたけど、『火の鳥』と『ブッダ』は珍しく買って読みました。精神世界や仏教に関心があった時期があって、時を同じくして手塚さんもそういった題材の漫画を描いたということで、僕の興味とリンクしたんですよね。
僕はね、『鉄腕アトム』の頃は絵画をやっていたのでもともと読んでなかったですね。宇宙ものや、ロボットといった科学ものが弱かったの。だけどその後、頻繁にUFOを見るようになってね。そこから宇宙に興味を持つようになっちゃった。
―――ゆ、UFOを頻繁に!?
(つづく)
■次回予告
インタビュー後編では、横尾さんの不思議なUFO体験から普段の過ごし方、制作へのモチベーションについてなど、話題盛りだくさんでお届けします!
後編は、2019年1月1日(火)公開予定です。お楽しみに!
■展覧会情報
兵庫県政150周年記念事業 横尾忠則 在庫一掃大放出展
2012年の開館以来、当館では様々なテーマを設け、多彩な切り口から横尾忠則の作品を紹介してきました。しかし今回は、あえて特定のテーマを設けていません。出品作品を選ぶ基準はただひとつ、「まだ当館で展示されたことがない作品」です。
題して「在庫一掃大放出展」。美術館を特売セール会場に見立てたユーモラスな演出は、一見冗談半分にみえるかもしれません。しかし、論理よりも感覚を重視し、聖俗が不可分に渾然一体となった横尾の作品世界とも、実は通じ合っているのです。
横尾忠則現代美術館ならではのユニークな展覧会を、ぜひお楽しみください。
※展示作品を販売するものではありません。
[会期]
2018年9月15日(土)-12月24日(月•振休)
開館時間:10:00-18:00[金・土曜日は20:00まで]入場は閉館の30分前まで
休館日 :月曜日 [ただし12/24(月•振休)は開館]
[会場]
横尾忠則現代美術館
[観覧料]
一般 700(550)円
大学生 550(400)円
70歳以上 350(250)円
高校生以下 無料
●バックナンバー
生誕90周年企画 スペシャルインタビュー