手塚治虫90周年企画スペシャルインタビュー第3回は、CDジャケットや書籍カバーなど数多くの作品で注目を浴びるイラストレーター・中村佑介さんが登場!
イラストレーション界の手塚治虫になりたいと語る中村さん。その胸の内は、イラストレーションという文化を心から愛し、発展させたいという熱い想いに溢れていました。
もちろん、ここでしか読めない手塚トークも飛び出します!
中村佑介(なかむら ゆうすけ)
1978年生まれ。兵庫県宝塚市出身。大阪芸術大学デザイン学科卒業。ロックバンドASIAN KUNG-FU GENERATIONのCDジャケットをはじめ、『謎解きはディナーのあとで』、『夜は短し歩けよ乙女』、音楽の教科書など数多くの書籍カバーを手掛けるイラストレーター。キャラクターデザイン、テレビやラジオ出演、エッセイ執筆など表現は多岐にわたる。
田舎で何が悪い!!
―――中村さんは、手塚と同じ宝塚育ちなんですね。
中村佑介さん (以下、中村) いつも"宝塚出身"とプロフィールに書いていますが、実は半分ウソなんです(笑)。実際は中学3年生まで西宮に住んでいて、高校3年間は宝塚の
―――中村さんは現在も大阪を拠点に活動されていますが、大阪はどんな街だと思いますか。
中村 ジャンルをまたいだものが「ちゃんぽん」されているというか、同居していても違和感を感じない街なんですよね、大阪は。ホームレスの人やヤクザの人、アジア圏の人、若者も老人もごった煮で、みんなが同じ目線で暮らしているという感覚。僕が宝塚に住んでいる時は感じたことがありませんでした。だから大阪にはじめて出て来たときは怖かったのですが、慣れてきたら、こんなに毎日が海外旅行のようにたのしい感覚の街ってないなあと。
―――異国情緒を感じるような。大学で大阪に出てこられたんですよね。
中村 はい、大阪芸術大学に入学した時です。そこはめちゃくちゃ田舎でした(笑)。自動販売機の中に「ジュラ紀から来たんじゃないか?」ってくらいの、見たことのない大きさの蚊が入ってたりするくらいの。
―――ジュラ紀(笑)。
中村 コンビニが22時くらいで閉まっちゃうような、傍から見たら田園風景しかないところで。
僕が入ったのはデザイン学科だったのですが、あまりに学校が田舎だったので、同級生たちは「洗練された都会的なものを表現したいのに、こんな田舎で何が勉強できるんだ!これでは東京に遅れをとるばかりだ......。」と嘆いていました。
当時、月一で発刊されていたカルチャー誌「STUDIO VOICE」が最先端の情報源っていう(笑)。
ただ、僕は宝塚のベッドタウンで過ごしていたので、「田舎」が新鮮で、逆に楽しめたんですよ。漠然と、都会的なもののほうが格好良いのかなぁとも思ったんだけど、でも、裏を返すと、皆が都会的なものを目指しているからこそ、田舎から吸収したものが個性になるんじゃないかと。その考えで、初期の作品にあたる田園風景とセーラー服の女の子を描き始めたんですよね。
オリジナル作品『路地』(1998年制作)
(C)Yusuke Nakamura
中村 これって今見ると、「ガロ」(青林堂が1964年から刊行する漫画雑誌)的なものだったり、昭和を描いていると思われがちなんですけど、違うんですよ。あれは、大阪芸大のある富田林市の"今"(当時)を描いていたんです。だから絵の中に出てくる電車も近鉄電車だったりするんですけど、それは今も走ってるし、描かれている女の子が着ている制服も本当にあの辺りにいる高校生のものを描いただけなんですよ。
そして大学卒業後に天王寺に移り住んで、少し作風が変わりました。さっき言ったような"ちゃんぽん"的に色もモチーフも増えたんですね。それは古いものはそのまま置いといて、空いてるところに新しいもの作ろうよというような、大阪の雰囲気にそのまま影響されたものです。昭和と平成が同時に進んでいくような感じ。
―――インスピレーションが得られる街ということですね。
中村 そうですね。モチーフが多いのに箱庭的に理路整然としている、それは大阪という街そのものの特徴です。大阪は、みんなの持っている感性が中和せずに共存していて、そういうところを面白いと思って住んでいます。でも、こればっかりは住まないとわからないんですよね。実際、子供の頃、大阪へ遊びに行ったことも何度かあったのですが、単純にみんな大阪弁しゃべってるなあ、とか、タコ焼き屋多いなあってぐらいの感想でした。やっぱり「住めば都」じゃないですけど、住んで気づく良さっていうのがありますよね。
大阪の街を描いた、『中村佑介カレンダー2016』の表紙イラスト
(C)Yusuke Nakamura
扉「は」面白い!?
―――中村さんは、子どもの頃はマンガ家志望だったと伺いました。大阪で大学に通う中で、自分の絵がマンガなのかイラストなのか迷われたこともあるそうですが、イラストレーターになろうと思ったのには何かポイントがあったのでしょうか。
中村 大学の時にいくつかマンガを描いたんですよね。ありふれた日常が舞台の、今でいうと浅野いにおさんが描かれるような雰囲気のものだったのですが、自分で自分のマンガを読んで面白いと思ったことがなかったんですよ。大学内で読ませても「扉絵は面白い」と言われ、内容には触れられない。それで、そうなんだ、でも扉絵は良いんだ、じゃあ扉絵だけ描いていこう、と。それがだんだんとタイトルも台詞も外枠も外して、一枚絵になっていって、そうすると一コママンガなのかイラストなのかアートなのか、どのジャンルになるのかなと考えた時期がありました。
きっかけとして大きいのは、もうマンガには手塚治虫さんがいるということだったんです。これは、今回のインタビューだから言っているのではなくて(笑)。手塚治虫さん以上のマンガ家になれるわけはないんですよ。なぜなら、基礎を築いてしまったから。もちろんそれ以上売れる人は出てきますが、でもやっぱりパイオニアにはもうなれないんですよね。
それまで小説や映画がやっていた大人でも読める長編を漫画でも描いてみる、コマを別々の大きさにしてアニメーションのように見せる、止め絵だったものが流れるような絵に見える、漫画と言う表現自体をも遊ぶ、全部手塚先生がはじめたことなんですよね。マンガを文化として完成させた。マンガはもう手塚先生の方法で出来上がっているので、その土俵の上に戦うほかないんですよ。僕は「面白い」ことが好きなので、まだその土壌が不安定な所の方が楽しそうだなと思ったんです。
―――イラストレーション業界には、パイオニアという存在がまだ出てきていないのですか。
中村 もちろんイラスト界にも偉大な先生は沢山いらっしゃいます。ただし、日本のイラストは美術の歴史の流れで来ている部分が多いので、まだ「イラストレーションはこれだ!」というオリジナリティのある土台もおそらく出来上がっていないと感じています。
イラストレーターといえば誰? と10人に聞いたら10人とも違う人の名前を挙げるくらいサブカルチャーなもの。メインカルチャーにはなれていないんですよね。もしかしたらそのパイオニアに僕がなれるかもしれないし、なれる人の先生になれるかもしれないし、どちらにもなれないかもしれない。それはわからないですけど、どこかに噛むことはできる。そっちの方が同じお金を稼ぐ仕事だとすれば楽しそうだなぁって (笑)。
イラストレーションの本って、コンビニに置かれていないですよね。手塚先生がマンガにおいて成し遂げたことって、貸本屋にしかなかったようなマンガ雑誌を本屋さんに置かせ、読む人を増やして、一大産業へと発展させた。僕が目指しているのはそこです。もちろん自分自身が作家として売れたいというのもあるんですけど、基本的にはやっぱり日本の中だけでもイラストレーションの認知度、イラストというジャンルそのものの魅力をもっとわかりやすい形で伝えることは出来ないだろうか、と。好きな人だけが好きじゃなくって、もうちょっと俗なものにできないだろうかと常に考えています。
―――イラストに興味が無い人にも伝わってほしいと。
中村 そうですね。でも、体のバランスがリアルな頭身になっている絵ってなかなか日本のポップカルチャーでは受け入れられないんですよね。そうすると幼児~中高生向けだけに留まってしまう。だからこそ、僕は、顔や体のパーツを誇張せず、日本人のリアルな体型、等身で、かつ世間に浸透するものを追求しています。
―――中村さんが、女の子を描く時に譲れないポイントというのはあるのでしょうか。
中村 パンツ見せないこと。(即答)
―――というと!?
1st写真集「Blue」の表紙イラスト。画集では異例の9.5万部を記録中。
(C)Yusuke Nakamura
手塚先生はめちゃめちゃエロい気持ちでずっと生きていた!?
「中村佑介展 15 THE VERY BEST OF YUSUKE NAKAMURA」描き下ろし『ニッポン』
(C)Yusuke Nakamura
中村 「不自然に露出させない」ということです。
露出が良くないとかそういうことではないのですが、実生活ではほとんどの女性は、アニメや漫画の女の子みたいに、パンツや胸の谷間を露出して街を歩いていませんよね。だとしたらそことは別に、「あの女の人かわいいな」って思うツボがあるはずなんですよね。僕は、そういうのが描きたいんです。先ほどの大学の話で「田舎だったら田舎を武器にすりゃ良いじゃん」と言ったのと一緒で、日本人だったらこの日本人らしい顔で良いんじゃない、と思うんですよね。
だから胸は大きくし過ぎず、平均サイズにとどめておく。足を細くてスラーッとし過ぎない。太ももやふくらはぎにはきちんと肉を付ける。世界的に見ると、アジア人というのは寸胴短足なのですが、それがカワイイんだから描こうよ、って。でも、それ以前に、パンツを見せてくる女性をエロいとか、可愛いと思ったことがないだけかもしれませんが(笑)。
―――チラリズムみたいなことですかね。
中村 う~ん...いや、普段隠してるものが多い方が脱がせるとき興奮するじゃないですか。そうでしょう? あれ、そうですよね?
―――ええ、その、まあ。中村さんのプロフィールを見ると、ご趣味はAV鑑賞だとありますが......。
中村 趣味っていうか、男性ならそれに人生の中で費やしてきた時間多いはずなので、正直にそう言っているだけで、見てない人の方が少数派じゃないですか!?
―――ご自身の作品に生かされているのかなと思っていました。
中村 うーん、意識したことはないですが、少なからず参考になっているでしょうね。デッサン的なものではなくて、ふとしたときの女の子の仕草だったり。みんなセックスしているけど、作品によって違うように見えるのは女の子たちそれぞれ性格が違うからじゃないですか。そういうところの機微であるとか、この子かわいいな、好きになっちゃいそうって思わせるとか......あれは女が魅せる技ですよね。だって、みんな裸で、同じ事をしていてつまらないはずなのに、みんな違って見えるって、スゴいことですよ。鑑賞物としてエンターテインメントであり、演者として究極的な個性であり。だからイラストで勝ちたいと思っていますよ! AVに。僕は女の人を描いているので。
―――生身すら超越するような......。
中村 ............。(しばし沈黙)......やっぱり勝てない!!
―――ええー!
中村 だって僕の画集とアダルトビデオを道に捨てて、男子中学生にどちらか片方拾って帰りなさいって言って、画集を選んだら心配しますもんね。「なにやってんだ!」って。やっぱり生身には白旗あがっちゃいますね。でも、同じ絵のマンガには勝ちたいですよ。
―――女体という部分では、手塚治虫の描く女性なんかはどうですか。
中村 あ、僕今日も読んで来たんだけど、(『手塚治虫エロス1000ページ(上)』をカバンから取り出す)手塚先生の絵は、エロをテーマにしようがしなかろうが、もうずっとエロいんですよね。生命感に溢れてるし、小さな女の子のキャラクターでも色っぽい表情をする。手塚先生の繊細な、万物に感じているエロスというのはマンガのどのコマを見ても出てしまっているんですよ。
―――線にも色気が出てしまっていますよね。
中村 その中でも、手塚先生が得意なのは、男女の動物を描き分けることだと思うんですよ。動物の雌雄っていうのを一瞬でわからせる。別におっぱいや性器を描いてるわけではなくて、身のこなしであったり、指先の表情であったり、目つきであったり。ああいうところで性別を表現出来るってことは、手塚先生は日常を生きていて、普通の人よりも、より性別に敏感だったということなんですね。それって、女性を女性として人一倍意識しているということなので、すごい楽しかったと思います。めちゃくちゃエロい気持ちでずっと生きてらっしゃったのだと思います!!
―――それはあり得そうです(笑)。
中村 例えば痴漢している人をみて、「なんて鈍感なんだ!」って怒ってたんじゃないですかね。既に視覚だけでこんなに世界はエロくて尊いのに、さらに触りに行くなんて、バカじゃないの!? って。まぁこれは僕が常日頃感じていることでもあるのですが。
エロだけでなく、そのように自分と他者との差を常に強く感じていたからこそ、手塚先生はいろいろな人間を描き分けられたんじゃないでしょうか。人物がパターン化していない。たとえば、『ブラック・ジャック』で患者ひとりひとりのドラマをあんなにも描けるというのも、やっぱり世の中をじーっと楽しんで見ていた人じゃないと思い浮かばないですよ。
おっぱいが小さい女の子のキャラクターを描いても色っぽく描ける、パンツを見せなくても女の子はかわいいんだよっていう、紙の上での性の機微の表現については、むしろイラストレーターになったあとに、手塚先生のマンガを読んですごく勉強しました。もう、エロ漫画に匹敵するぐらいの性の情報が入っていると思いましたね。
イラストがあるのに漫画読んでるの、ダサくない!?
―――特にお好きな手塚作品はありますか? もし、まだ手塚作品を読んだことがない若い世代にオススメするとしたら、どの作品を選びますか。
中村 最近オールカラー版も発売されましたが、『ユニコ』は今の時代にすごく合っているんじゃないかと思います。80年代に流行したようなディフォルメやパステル調は、今の時代が求める可愛さにすごく共感されるんじゃないでしょうか。手塚先生はディズニーが大好きだったと思うのですが、ディズニーからまた一歩抜け出した動物のディフォルメの可愛さがありますよね。好きな作品はたくさんあるけど、今の若い人に向けてと言ったら、コレかな。読みやすいと思います。
僕自身は、絵を描きはじめたころに、手塚先生が秋田書店から出されていた『ブラック・ジャック』や『ドン・ドラキュラ』、『ミッドナイト』とか、わりと等身が高くなった時期って言えばいいのかな。青年向けに描かれていた、週刊少年チャンピオンに載っていたものをよく読んでいました。
『ブラック・ジャック』は、マンガでこれだけグロテスクなシーンを描いてもいいんだという驚きや、ピノコの可愛さであったり、B・Jの格好良さだったりいろいろあるのですが、図書館に唯一置かれている漫画という衝撃が強かったです。歴史漫画や学習マンガはありましたけど、普通の娯楽マンガで置かれているものはこれだけでした。学校みたいに、「マンガを持ってくるのは禁止!」と言われているようなところに置かれているということが凄いなと子供心に思っていました。そういうところにも、パイオニア的なものを感じて、やっぱりこう、「男として、負けた......!!」という気にさせられますよね......。図書館の一角をこじ開けちゃったわけじゃないですか。それって、かっこいいですよね。もう戦争ですよ、文化の。
―――文化の戦争!?
中村 カルチャーズ・ウォーですよ。図書館植民地支配。手塚軍、勝った! みたいな。しかも一人で圧勝じゃないですか。
それから、後に手塚先生の自伝やドラマを見て、『ブラック・ジャック』が発表される前は不調の時期だったことを知ったんです。完全に日本のマンガ界が変わってきて、ああ、もう僕のマンガは相手にされないんだ~って手塚先生がモヤモヤしていた時期のあとに放った渾身のパンチが読者にクリーンヒットするというのが凄い。
僕の世代からすると、「手塚治虫」と聞くと大先生のイメージだったので、不調の時期があったんだとか、そういうのを意識して読んだことなんてなかったんですけれどね。
―――中村さんにも、モチベーションがあがらないということはあるのでしょうか。
中村 あがらない時って、目標を見失っているときだと思うんですよね。
手塚先生だったら、不調になったのって、俺の役目が終わったからだと思っちゃったから。もう俺がやんなくても、若手がいるじゃんって。話が浮かばないっていうスランプじゃなかったんじゃないかなぁ。
僕の場合は、イラストレーション界の手塚治虫になれていないというところがモチベーションになっていますよ。漫画のパイオニア=手塚治虫というような、功績というか、大きいことを成し遂げたという感覚がまだないのだから、じゃあまだまだ描くしかないなと思える。やる気がないから描かないとか、そういうことで筆が止まることはないですね。このカルチャー戦争を勝つために、必死に弾を作っているという感覚ですよ。もう、マンガなんて面白くないって言わせたいですよ。イラストがあるのに漫画読んでるのダサくない? というぐらいまで、イラストレーションの文化を成熟させるような何かをやり遂げたいので、それができたと思うまでは、スランプになる暇もないですね。絵を描くことなんて、とっくに描き飽きてるけど! 15年ぐらい前から飽きてる(笑)。
―――描かないと落ち着かない! というわけではないんですか。
中村 ないです! だから、日曜日はテレビゲームしかしてないし、落書きなんてもう20年ぐらいしてないですよ。絵は趣味じゃないので。ただの特技というか、大学のときに扉絵がいいねって言われたから、それを仕事として続けているだけで。それだったらテレビゲームをしていたほうが面白いですからね。
―――中村さんの中では、完全にイラストはビジネスだと割り切っているというのは、意外でした。
中村 イラストレーションが、はやく産業になってくれたらなと思います。僕もなりたいけど、誰か早くイラスト界の手塚治虫になってください!
―――それでは最後に、もし手塚治虫にお会いできるとしたらどんな話をしたいですか。
中村 ホメてほしい! 手塚先生と僕ぐらい年齢が離れているんだったら、純粋に、やるじゃん! って。良い絵を描くね、僕にも似顔絵描いてよ! って、言ってほしいですね。
今回の特集のために、なんと中村さん描き下ろしの手塚先生の似顔絵とサインをいただきました!!
似顔絵を中心に、先生の生きた時代、ゆかりのあるもの、そして生み出した歴代の人気キャラクターたちが漫画風に描かれています。よく見ると、生ちゃんやミイちゃんも!
「手塚先生もすごく時間をかけて丁寧にサインを描かれていましたので、それに負けないくらい時間をかけて描きました!」とのこと。中村さん、本当にありがとうございます!
※こちらの記事は、虫ん坊2018年3月号の再掲載となります。
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