1959年に設立され、漫画文化の発展とともに業界を50年以上支え続けてきた製版会社である株式会社二葉写真製版。
今回の虫ん坊では、『ブラック・ジャック』が連載されていた当時、製版・写植を担当していたという、株式会社二葉写真製版・代表取締役社長 小林孝平さんにお話を伺いました。当時のエピソードを交えて、当時の漫画がどのように作られていたのかをお話していただきます。
―――『ブラック・ジャック』連載されていた当時は、漫画雑誌はどのように作られていたのでしょうか。
小林孝平さん :(以下、小林)
漫画雑誌は、製版や印刷などのいくつもある工程をそれぞれの専門家が担当して作られています。
―――手塚治虫が描いた「原稿が本になるまで」という図があります! この図でいうと、どこを担当されていたのでしょうか。
小林 :
この図でいうと、私たち二葉写真製版は4.5番の写真植字と、6~10番の製版作業を担っていました。
―――当時の製版について、教えてください。
小林 :
『ブラック・ジャック』が連載されていた70年代後半は、亜鉛凸版といって、亜鉛でできた薄い金属版に原稿の画線部以外を酸で腐食させて凹凸をつけるという方法で版をつくっていました。
『ブラック・ジャック』のような読みきり作品は32ページと指定されているので、そのページぶんを製版し、鉛版を手持ちで抱えて印刷所へ納品に行くので、当時はかなりの重労働でしたよ。
その後、1980年から樹脂版での製版に変わっていきます。これは原稿をネガフィルムに焼き、そのフィルムを重ねた樹脂版に紫外線を当てることで凹凸を作っていきます。
紫外線が直接樹脂版に当たった箇所は固くなり、紫外線が当たらなかった部分を水で洗い流すことで凹凸が出来る、という仕組みです。出来上がった版は、大きなハンコのような感じです。
―――製版技術が変わることによって、なにか違いがあるのでしょうか。
小林 :
樹脂版は、亜鉛版よりも線が精密に再現されるうえ、簡単に作ることができるのです。
なにより、版が軽くて安全です。版が軽いというのは、印刷の時に輪転機の回転数があがるため、印刷時間の短縮という点でもメリットが多かったんですよ。とくに週刊雑誌は印刷する部数が多く、常に時間との戦いでもありましたからね。
ほかにも樹脂版での製版に変わったことで、鉛板での納品が紙焼きでの納品になり、持ち運びもかなり楽になりました。能率があがり作業に余裕ができたぶん、うちでは製版・面付けまで一度に請け負ったらどうかと考えました。
―――面付けとは……?
小林 :
印刷所は、製本のできあがりを考えながら1枚の大きな台紙に各ページの版を配置してまとめて印刷していきます。1ページずつ印刷していては、非効率ですからね。32ページの読みきり作品だったら、こんな感じに配置をして、印刷されたものを折って製本するというわけです。 ですから、印刷所ではこの面付けの行程が必要だったんです。
小林 :
当時の製版業者は版を作るのみで、面付けまでは手を出していませんでした。うちで製版から面付けまで行うことで、スムーズに印刷へ持っていけるというメリットが生まれます。
二葉写真製版は、常に発展していこうという姿勢が強くて、製版・面付けだけではなく、後に写植も取り扱うようになります。
―――写植についても、お聞かせください。
小林 :
写真植字は、文字を撮影し印画紙に文字を出力してセリフの版下を作ることをいいます。
『ブラック・ジャック』を担当していた頃は、手動写植機が使われていました。
金属の枠にガラスが張ってあり、そこに約3000文字がズラっと並んでいる「文字盤」と呼ばれるものを、写植機に搭載されているスポットライトとレンズで一文字ずつ見つけて撮影していきます。大きなタイプライターのようなイメージですね。
レンズ越しに光が通った文字の部分は、現像すると黒く映し出されます。
そうして現像したセリフを原稿のフキダシの部分へ貼り付けていきます。1970~80年代はこれが主流でした。
―――写真の技術を使い文字を写すから、「写真植字」と呼ばれているのですね。一文字ずつ探して撮影……というのはとても大変そうです。
小林 :
どの文字盤も文字の並び方のルールは決まっています。
写植のオペレーターは、その文字がどの位置にあるのかすべて把握しているので、瞬時にほしい文字に標準を合わせて打ち込むことができるんです。
写真植字の文字盤は、今でいうフォントの役割を果たしており、文字の種類によってそれぞれで盤が用意されていました。文字盤を変えれば簡単に文字の大きさや斜体などを変えることができるというわけです。
―――『ブラック・ジャック』を担当したいきさつを教えてください。
小林 :
うちが写植をはじめたのは80年代はじめのことで、最初のうちはなかなか仕事の腕を信用してもらえず、すぐに写植の仕事が軌道に乗ったわけではなかったんですよ。『ブラック・ジャック』の写植も、もともと別の写植屋さんが請け負っていましたからね。
しかし、写植と製版・面付けがいっぺんに行えるというのが弊社の強みで、そこを評価していただけるようになり、「週刊少年チャンピオン」の編集の方が声を掛けてくださって。私も昔から漫画少年でしたから、手塚先生の作品を担当できるんだと喜んだのを覚えています。
写植機で打った文字を暗室で現像させて、それをちまちまと切って原稿へ貼り付けて……それから製版という作業を一人で延々と繰り返していました。
でも、『ブラック・ジャック』の最新話を一足先に読めるというのはとても嬉しくて、読みながら植字や製版をするのは楽しかったですよ。
―――それは羨ましいです!
―――しかし、当時はご苦労も多かったのでは?
小林 :
手塚先生の原稿をあげるまでが遅いっていうのは有名な話ですけど、『ブラック・ジャック』のなかなか原稿を上げてくれない先生とマネージャーを急かすために、よく私が高田馬場の仕事場に呼びつけられていました。
当時の編集さんが、「製版業者も待ってますから急いでください!」とか言ってて。
―――プレッシャー役ですか(笑)。
小林 :
しかも、当時は『ブラック・ジャック』のほかに「少年マガジン」の『三つ目がとおる』の製版も担当していたので、出版社は違うけどもダブルでプレッシャーを与える役目ですね(笑)。
その時、松谷マネージャー(現・手塚プロダクション代表取締役社長)も疲れと焦りで相当参っていたのか、「小林さん!『ブラック・ジャック』と『三つ目がとおる』結局どっちを先にあげればいいんですか!?」とすごい形相で聞かれたのを覚えています。私は出版社でも印刷屋でもないのでどっちが急ぐのかなんてわからなくて、どちらも急いでください! としか言えなかったんですけどね。普段は穏やかな方だけに、かなり迫力がありました……。
殺気すら感じるほどの現場でしたね。いろんな出版社の編集さんが我先にと原稿を狙っているんですから。
もうひとつ印象に残っているのは、当時週刊少年チャンピオン副編集長だった熊さん(熊藤男氏)という方がいたのですが、熊さんは面付けという行程を勘違いしていて。手塚先生が原稿を1、2、3、4ページと順にあげるたびに「ほら小林! 4ページできたからもってけ!! うちはマガジンより急いでるんだから!」とページができあがるたびに私に渡して、製版に取り掛かるよう言われ持って行かされるんですが、さきほど説明したように、面付けはページ順ではないから、原稿があがった順に持って行っても意味がないんです。
それ意味ないですという言葉が喉まで出掛かってても怖くて言えずに、ただひたすら高田馬場と二葉写真製版の本社がある護国寺を行ったり来たりしていました。
―――聞いているこっちまで疲れてしまうようなエピソードです……。
小林 :
もうてんやわんやですよ。手塚先生も朝昼晩とずっと仕事をこなしていらっしゃったけど、製版業者も一晩中会社にこもって、原稿があがってくるのを待つわけですからね。あの頃は、こうしてたくさんの人の苦労と忍耐によって漫画雑誌は作られていました。
小林 :
80年代後半に入りマッキントッシュが登場して、書物など文字ものの製版がだんだんとパソコンで行われるようになりました。しかし、漫画に関してはどこの製版業者もまだアナログでの製版だったんです。
うちがそこに目をつけて、漫画をスキャンしてデータ化し、漫画製版のデジタル化に着手しました。
―――二葉写真製版では、日本で最初に漫画製版のデジタル化がされたと伺いました。昔と違い、今の製版はどう行われるのでしょうか。
小林 :
お預かりした原稿を一枚ずつスキャンして、パソコン上で鉛筆線の下書きや、インクの汚れなどを取り除き、仕上がりをチェックしつつ補正をしていきます。
そして、入稿されたセリフの下書きを、書体を指定しながらテキストに起こしていきます。補正した原稿とセリフを組み合わせ、各媒体の組版に合わせてデータを制作して納品、という流れです。
小林 :
製版された漫画は、データ化して厳重保存しています。データにしておけば、原画は劣化することはありません。
デジタル化をはじめてすぐ、手塚治虫全集のすべての巻のデータ化を担当しました。『ブラック・ジャック』の写植の時もそうでしたが、データ化のノウハウも、手塚先生の全集を手がけたことによって身になったんですよ。
―――今、配信されている手塚治虫の電子書籍作品はすべて二葉写真製版さんのお力添えがあってのことなのですね。アナログ製版よりも、かなり手数が減っているのが伺えます。デジタル化が主流になり、製版業者としての意識になにか変化はありましたか?
小林 :
やはり、デジタル化が進むことで生まれる利点は多いですよね。作業効率もいいし、データは簡単に持ち運びもできます。さらに、劣化させずに永久に原画のデータは残せるというのは、今までにない技術ですし、これはこの先さらに重宝される技術だと思います。
製版屋っていうのは常に汚れとインクまみれで、昔はあまりクリーンな職業というイメージを持たれず、なりたがる人が多い職業ではなかったんですよ。マイナーな職種というか。でも、デジタル製版が主流になってからはうちもどっと女性社員が増えて、今では過半数が女性社員です。こういうところにも、業界の変化を感じました。
漫画の形態も進化しつつあって、それに寄り添うように我々の業界も常に変化していきます。
でも、漫画は日本の財産であるという私の思いは、昔も今も変わっていません。
これからも、漫画文化に常に寄り添って支えていき、そして守っていく立場でありたいです。