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虫ん坊 2016年3月号 特集1:北國新聞・富山新聞で連載 『アトムとピノコがやってきた!!』インタビュー

虫ん坊 2016年3月号 特集1:北國新聞・富山新聞で連載 『アトムとピノコがやってきた!!』インタビュー

作者のきもとよしこさん(左)と宮前めぐるさん(右)

今年の1月から、北陸地方の新聞・「北國新聞」と「富山新聞」日曜版で連載が始まった『アトムとピノコがやってきた!!』。金沢を舞台に、アトムとピノコを中心に、手塚キャラクターが勢ぞろいする楽しいマンガ連載です。
 新聞小説やマンガ連載などを地方誌向けに配信している学芸通信社からの依頼を手塚プロダクションが受けて始まった本連載について、今月の虫ん坊では、作者の宮前めぐるさん、きもとよしこさんにお話をうかがいました。



●お二人は実は、手塚プロダクションマンガ部OB!

――まずはお二人のプロフィールのご紹介ですが、実は、手塚プロダクションのマンガ部にいらっしゃったそうですね。  
 新聞のほうに載っているプロフィールでは、宮前さんが80年入社、きもとさんが83年ということですが、当時の思い出を少し教えてください。

宮前めぐるさん(以下、宮前): ぼくは、「週刊少年マガジン」か「週刊少年チャンピオン」の広告を見て応募しました。入社したころは、『火の鳥』や『ブラック・ジャック』、『ドン・ドラキュラ』、『陽だまりの樹』、あと『ブッダ』をやっていました。入った後に『アドルフに告ぐ』と、『ドン・ドラキュラ』が終わった後に『七色いんこ』が始まって…、「チャンピオン」は次の『ミッドナイト』までいたかなあ…。あ、『マコとルミとチイ』も覚えてます。

きもとよしこさん(以下、きもと): 私は、宮前さんと時期はかぶらなくって。『アドルフに告ぐ』と『陽だまりの樹』をやっていた時期で。『火の鳥』と『ブッダ』は私がいるころにちょうど最終回を迎えました。

――お仕事はやはり、噂通り相当きついものだったのでしょうか?

宮前: 実は僕には、それほどきつかった思い出はないんですよね。ちょうど僕の代までは、1回徹夜作業をしたら24時間働いた、ということで、2日お休みがもらえるシステムで。1日中24時間働いたら8時間労働換算だと3日分でしょ? 超過の2日分を休めたんですが、僕の次の代からは1日しか休めなくなったそうですね。健全な、労働規則に則った働き方をしていたけど、描くのが早かったから、人の倍ぐらいは描いていた気がする。
 うまくはないけど早い、というのが売りでしたね。

きもと: そのころは女性は徹夜しちゃいけない、という時代だったので、徹夜はさせてもらえなかったです。私たちの代は、お仕事もそんなに忙しくないころだったような。『ブッダ』も『火の鳥』も完結したし。でも、『ミッドナイト』や『ブッキラによろしく!』なんかが新しく始まって。

宮前: アシスタントって、先生からすると独立するのが前提のような感じだから、あまり長くいる人はいなかったんです。中には、長いこといる方もいましたけど、特定の人だけで。あんまり長いこといすぎる人には、先生のほうから「何か描かないの」と言われるような感じでしたね。

きもと: 私も言われたことあります。「作品を描きなさい」とかね。一本描かないとやめてもらいます、と言われている人も知っています。それでやめた人もいますね。


虫ん坊 2016年3月号 特集1:北國新聞・富山新聞で連載 『アトムとピノコがやってきた!!』インタビュー

――そういう点は厳しいですね。では、基本的には、みなさんどんどんオリジナルの作品を見せていこう、というような雰囲気もあったんですか?

宮前: 僕は割とそういう感じでしたね。先輩や同期に近い人たちの中にも、もうガンガン描いている人もいました。
 女性の場合は、徹夜が出来なくて家に帰るから、かえって時間が使えるという事もあったと思います。男性でも同じように、徹夜もしているんだけれども、そのあと、寝る時間を惜しんで自分のマンガを描いている、という立派な先輩もいましたね。
 

きもと: 私の時は、一緒に同期入社をした人が5人いたので、みんなで同人誌みたいなのを作って、作品を批評しあったり、というようなことをやっていました。そこから持ち込みに行ったりとか…。
 仕事中でも手が空いていると、堂々と描いたりもできましたね。ネームを切ったりとか、ちょっとトーンを使わせてもらったり…。

――仕事さえちゃんとしていれば、そのあたりは何をやっててもいい、と。

きもと: チーフの隣の席だと仕事がいっぱい来ちゃうけど、離れてればあんまり回ってこないから(笑)。

――いよいよお辞めになるときはやはりちゃんと先生に挨拶に行くわけですよね?

宮前: 福元さんに辞めることを伝えたら、「先生にも言いなさい」と言われて。自分で先生に言いに行きました。実は、こういう理由で、やめることになりました、と。そうしたら先生が改まって名前を呼んでくれて、「残念だけどね。一度食事をしましょう、絶対に、君とは食事をしたい」とおっしゃってくれて。「福元氏に言って、時間と場所を決めてください」とおっしゃるから、福元さんに言ったんですよ。そんなこと、絶対実現しないだろうな、と思ったけれども。先生のことだから…。結局、福元さんのほうで立ち消えにしちゃったみたいだけど。「また先生が妙なことを言ってるな」とか思って、なしにしちゃったんでしょうね。
 先生は忘れてたかも知れないけど、僕にはそう言ってくれたんですよ。まあ、もし実現しても、1対1で食事なんて、できなかったと思う。恐れ多くて。その言葉だけでうれしかったから…。
 

きもと: 私は、やめるときにようやく、名前を呼んでくださったのを覚えてます。ずっと「あなた」とか「彼女に頼んでください」という調子だったんです。その時女性は私だけだったので。最後に「きもとさん」って言われました(笑)。それがすごく印象に残っていて。最後に色紙を描いていただきましたね。前に辞めた先輩たちが、送別会でもらっているのを見て、その時に私もほしいなあ、と思っていて。


●久しぶりの手塚キャラ!

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――アシスタントをされていた時間からだいぶ経って、今回、手塚キャラクターをお描きになっていかがでしたか?

宮前: この仕事をするために、初めてペンではなく、ペンタブレットに替えたんですよ。そうしたら、ぜんぜん描けなかった。ツールを使い慣れてないんですね。まだ苦労しています。だから、アトムが描けないとか、描けるという以前に絵が描けない。
 キャラクターは、似せようとして描くと、もっと不細工な顔になっちゃうと思うんです。自分なりに描いたほうがかわいく描けるな、と思って、自分のアトムで行こうと思って描いています。
 あ、でも、アトムのまつ毛は「5本です」って、(手塚プロダクション出版局の)古徳さんに突っこまれたな。

きもと: 私を採用するのなんて大ばくちだったんじゃないかなあ、ってちょっと心配だったんですが…。

――キャラクターをすべて描いたことって、それまでもありましたか?

きもと: 私はなかったです。

宮前: 僕はアシスタント時代に、「幼稚園」とか「小学一年生」にアトムを描いてました。それ以来ですね。後は、もともと手塚プロダクションに入る前に、先生の作品が好きで、いろいろ模写していましたね。入ってからは似せないようにしていたから、その中で当時もアトムを描いていたんですけれども、30年以上になりますかね。それぐらい久し振りですね。

――改めて描いてみて、いいな、と思うところはありますか?

宮前: やっぱりかわいいですよね。先生のキャラクターは。丸っこいキャラクターだから、みんないちいちかわいいと思う。アトムとかウランとかを見ているとね。お茶の水博士の鼻のマルとか、あれが案外ペンタブだと難しいです。10回描いて一番いいのを使う、とかしないと…。

きもと: 先生のキャラクターって、勝手に動いてくれるんです。それがすごいなあ、って改めて思いますね。自分で考えて一からやるとすごく大変なんですけど、やっぱりピノコはピノコ、元気なイメージで、写楽はぼーっとしているけどかわいいというか、なんというか…。そういうのが自然にマンガの中に出てくるのかな、それは凄いことだな、と本当に思いますね。


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――キャラクターたちの配役については、初めにこんなキャラクターを出したい、から決まっていったのでしょうか。

宮前: 僕は男性だから、アトムを描いてね、ということになったのかなと思っています。アトム以外のキャラクターは、原作と基本的には同じ立場で登場させています。先生と、博士と妹ですよね。ほかのゲストキャラも今後も出していきたいな、と思っていますが、そのあたりは自由に描かせてもらおうかな、と。

きもと: 私も「ピノコで描いてください」と言われて、そこからどうやって金沢にピノコとブラック・ジャックに来てもらうか、という設定と、後は、ピノコってアトムのように特殊能力はないんですよね。原作でのピノコの誕生秘話――腫瘍から取り出されて、ブラック・ジャックにつくってもらった、というような設定はとりあえず全部排除して、ブラック・ジャックとピノコの立ち位置については、一から考えてしまいました。メルモちゃんとワレガラス先生を出したりとか、結構無理やりなところはあるんですけれども。
 ピノコが主役で、子どもが読むものなら私にも描けるな、と思って。ブラック・ジャックを主人公にしちゃうと、医療ものになっちゃうじゃないですか。だから、脇役に退いてもらって、ピノコのパパにしちゃった。

――お父さんにしちゃう、というのは、ブラック・ジャックのイメージから結構離れちゃいますよね。

きもと: ファンからしたら、腹が立つかも知れないですね…(笑)。でも、たぶん読者の中には、ブラック・ジャックとピノコについてほとんど知らない人もいると思うんです。だから、これをとっかかりに、原作に興味を持ってもらって、改めて、先生の作品を読んでもらえたらいいな、と思います。

――スケジュールについてはいかがでしょうか。お二人は交互に掲載されていくんですよね?

きもと: わたしはもう、いっぱいいっぱいで。2週間のうち、6日ネーム、6日ペン入れ、2日でネタ出し…、と考えていたんですが、それでもうパンパンです。始まってからどこにも出かけてない…。この間、ひどいインフルエンザにかかって、ぜえぜえ言いながらもとにかく入稿は間に合わせて…。そんなことがあってからストックは切らさないようにしたいんですけど、いまやっと2本くらいのストックしかないので、何かあったらと思うと。

宮前: 僕もわりとバタバタですね。ネームがずっと遅くかかるんですよ。編集を担当している学芸通信社の編集者から結構修正がはいったりするし。修正が入るとだいたい、面白くなってるから、畜生、とは思うけどまあ、良いかな、とは思うんですけどね。割と鍛えられている感じですね。手塚プロダクションからはそれほど直しの指示は入らないんだけど。

――取材で金沢を訪れたそうですね。どこがいちばん印象的でしたか?

きもと: 観光客があまり行っていないようなところがかえってよかったですね。駅前とか、兼六園とかは人がいっぱいなんだけど、そうじゃない、ちょっとしたところに、なんかいいな、というところがありました。自然がいっぱいあって、しかも市内がきれいで。落ち葉をお掃除する方がいっぱいいて、道路とかも枯葉が落ちて腐ってる、ということが全然なくて。

宮前: 観光客は凄かったですね。新幹線が開通してからぐっと増えたんでしょうね。今後、金沢城とかは舞台に出したいですね。武家屋敷とか。歴史はあまり説明せずに、舞台として面白く使わせてもらおうかな、と。

――1年間の連載の予定とのことですが。ネタを切らさないために何かお考えはありますか? 今後の展開などは、ある程度想像できていますか?

宮前: 僕の場合、「アトム人間化計画」という設定を考えておいたんですが、それを今後、どうしていこうか、というのはあまり考えていないです。おいおい見えてくるだろう、と楽観的に考えています。

きもと: 宮前さんがちゃんとしたマンガを描いて、私はちょっと、ギャグ路線で走る、みたいな…。ちゃんと柱があるので、私は多少ぶれてもいいかな、と思っていたりして…。いろいろ冒険しても、もし危なそうだったら事前に手塚プロさんに相談して…。

――今後出したいキャラクターはいますか?

宮前: 僕は自分が好きだったから、アニメ版『海のトリトン』のトリトンとヘプタボーダは出したいですね。あと、『悟空の大冒険』の竜子とか、『火の鳥2772』のオルガとか。
 きもとさんが、子どものキャラクターで有名どころはだいたい持って行っちゃったから…。

きもと: あ、でもどろろとかはまだいますよ?

宮前: 女の子はみんなきもとさんパートにいっちゃってるから。

きもと: 私はそんなに…。ロックと、写楽とメルモちゃんくらいじゃないですか? ロックは無理に子供にしちゃいましたけど…。
 私は結構、脇役キャラが好きなんです。特に名前もついてないキャラクターとか。最近は、『ブラック・ジャック』に出てくる「おばあちゃん」っていうお話の、あの主人公のおばあちゃんを出しました。頑固者の。あのおばあちゃんが大好きで。ああいう感じのキャラクターを出していこうかな、と思っています。あとは、写楽のお父さんもいずれ登場させたいな、と。写楽はお寺の子なので、お坊さんのキャラクターかな…。


虫ん坊 2016年3月号 特集1:北國新聞・富山新聞で連載 『アトムとピノコがやってきた!!』インタビュー


●初めて会った手塚作品、思い入れのある手塚作品

――お二人が初めて手塚作品に出会ったのはいつごろで、どの作品でしたか? また思い入れのある作品は何ですか?

宮前: 白黒の『鉄腕アトム』の放送を、純真な子供のころに見た世代ですね。小学1年の時に使っていた筆箱にも、全部アトムがいた気がします。僕はアトムから入門しましたね。
 入社したときにも80年のカラー版アトムをアニメで作っていたから、感慨深いですね。マンガ部で唯一、ポスターカラーが使えるから、と言って、背景を手伝わされたりしたな。「おんぼろフィルム」のフルカラーシーンの背景なんかも、僕がリテイクしたんですよ。クレジットされていなくて悔しいけど…。

きもと: 私も、単行本のアトムから入りました。宇宙空間にアトムが漂うコマを覚えているのだけど、アニメ版のラストでしたっけ。『アトム今昔物語』で、野原で横たわって朽ちて行っているアトムとか…。ショックな、かわいそうなシーンをよく覚えています。
 のちに出たスピルバーグの『A.I』がすごく似てて、「アトムじゃん!」って思いましたね。
 やっぱり自分がかかわることができた『火の鳥』と『ブッダ』のラストシーンは印象に残っています。あれの最終回にかかわれたなんて、すごい奇跡だな、と思っていますね。『火の鳥』太陽編のあの原稿が下りてきたときは「うわあ!」っていう感じでしたね。本当に、私にとっては神様でしたから。マンガの描きかたの本も読んで、全部マネしてましたからね。

――マンガ家になる、というのは難しいことだと思います。

きもと: 私の場合は、夢を壊すかも知れないけど…コネが大事だと思います! もともと「別冊マーガレット」にずっと投稿していたんだけど、丁寧な評価は頂けてもあまり思わしくなくて、「チャンピオン」に投稿したら結構いい手紙が帰ってきたんですよね。それに気をよくして、浜松からはるばる東京へ行って、秋田書店に「私、マンガ家になりたいです!」って相談しに行ったら、その時対応してくださった菊池さんという方が、「まだまだだけど」と言って、「もう一本描いたら賞を上げるから、それでハクを付けて手塚プロダクションでアシスタントになってみたら?」となって。それで、新しいのを一本描いて持ちこんだら、本当に賞をくださって。だから、粘り強く、しつこく何本も作品を投稿して、編集者と仲良しになって…。コネですね。やっぱり。このお仕事も、古徳さんにしつこくアピールしてたら、いただけて…。

――人間関係は大切、という事ですね…!

宮前: いやあ、参考になるなあ(笑)。僕はコネはあまり使わなかったなあ。反省しました。今回のお仕事も、これの前の仕事で伴さんから「助けてくれ」っていうご連絡をもらって、手伝ったのがきっかけでしたからね。
 いずれにせよ、手塚先生のキャラクターで公式で好きにマンガを描ける、というのはありがたいことです。


●最後に

――最後に、読者の皆様に何か一言いただけますか?

宮前: そうですね…、先生の絵に似せるのはあきらめたから、自分なりにかわいい絵を描いていきます、というところですね。

きもと: 読んだらぜひ感想をいただきたいですね!

――ありがとうございました!



『アトムとピノコがやってくる!』は、北國新聞・富山新聞で毎週日曜版に連載しています! 地元の方はもちろん、旅行に行く際には新聞を手に入れて読んでみてはいかがでしょうか?



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