11月3日は、手塚治虫の誕生日ですね!
これまで『虫ん坊』では、いろいろな角度から手塚治虫に関して調べ、ご紹介して来ましたが、いろいろ取材をしてゆくと、ますます実際に会ったことがないのが悔しくてしょうがありません! きっと読者の皆さんにも、そういう方がいらっしゃるはず!
そこで、手塚治虫が元気なころから一緒に仕事をしてきたベテランの社員にじっくり話を聞き、手塚治虫の人物像に迫ってみたいと思いたち、手塚プロベテラン社員の一人、資料室長の森晴路にお話を聞こうと、新座スタジオの手塚プロダクション資料室を訪れました。
「私は単行本の編集に関わっていましたので、単行本の編集の話なら詳しくできますよ」
という森資料室長。それでは、ということで、一番思い出深いという『アドルフに告ぐ』の単行本の編集風景について詳しく話してもらうことにしました。
——それでは森さん、よろしくお願いします。
さて、『アドルフに告ぐ』の単行本ですが、発行年月日は1985年5月30日になっていますね。
『ブラック・ジャック』や『三つ目がとおる』などは、連載と並行して単行本の発行が進んでいたものと思いますが、『アドルフ』はそうじゃなかったんですか?
森:『アドルフに告ぐ』の連載は、1983年1月6日号から85年5月30日号の『週刊文春』でした。
単行本化の企画があったのは連載終了後だと思っていたのですが、そうではなかったですね。記憶はやっぱりいいかげんなところがあります。
『アドルフに告ぐ』の連載は、おおよそ84年末までという予定だったのですが、11月22日に先生が急性肝炎、胆石で入院したため、連載が延期になりました。結局84年12月13日号から85年2月14日号まで休載しました。それで、原稿があってほとんど手がかからないから、単行本を出そうという話になりました。12月初めのことです。
漫画部の福元さんの記録によると、第1巻の脱稿が2月8日、第2巻の脱稿が5月13日、第3巻の脱稿が6月3日、第4巻の脱稿が9月25日です。第1巻は早くに入稿していたのですが、定期的に出すために、ようすを見ていたのだと思います。
——結果的に、連載が終わると同時に発売されたわけですね。
森:文藝春秋には当時も今もコミックス編集部はありませんから、コミックスの単行本といっても小説の単行本と同じようなスタンスで発行されることとなりました。小説は今でも、連載終了後に単行本が発売されますよね。
なぜ四六判ハードカバーという装丁になったのかというと、これも小説の単行本と同じようにということでです。発売されると、予想以上の売れ行きになりました。その後、先生の四六判マンガ単行本のブームが来るほどでしたね。
——単行本の企画の打ち合わせには、手塚治虫も出席するものなのでしょうか?
森:出版社から話がくると、先生と資料室のスタッフで話し合います。先生のスケジュール調整は、もっぱらマネージャーが担当します。
——単行本化するにあたって、手塚治虫からなにか特別な注文はありましたか?
森:そうですね……、内容に合わせた、大人っぽい装丁の本にしたい、とは言っていましたね。先生は、自分で描いたイラストをそのままコミックスの表紙に使うのは、子どもっぽいという理由であまり好きではなかったようです。『アドルフに告ぐ』は、横山明さんというイラストレーターの絵を採用しています。
——この方は手塚治虫がご推薦されたのでしょうか?
森:『アドルフに告ぐ』の単行本の話より前に、横山さんの画集を先生がもらったんですよ。スーパーリアリズムの草分け、と言われていた方で、リアルな波の中でサーフィンをしているヒゲオヤジという絵が収録されています。その絵は後に先生に寄贈されました。先生も横山さんの絵が大変気に入っていたので、『アドルフ』の装画をぜひ、ということになりました。
(参考:横山明さん WEBサイト)
——連載作品の単行本を作るときには、マンガ家は具体的には何をするのでしょうか? 原稿はすでにすべて揃っているんですよね?
森:手塚ファンにとってはすでにお馴染み、かつ複雑なところかも知れませんが、先生は必ず、原稿に一手間加えてから単行本にしますからね。多くの手塚マンガの場合、雑誌連載時の切り抜きを集めて復刻することに意義があるのはそのためです。
しかし『アドルフに告ぐ』に限って言えば単行本にする際に大幅に描き足しされていますから、雑誌版を読む意味は「どこが描き足されたか」を確認する以上の意味はあまりないと思います。
——どういうところを描き足したり、変更したりしていたのでしょうか?
森:『アドルフに告ぐ』の例ではまず、連載時に毎回最初のページに描かれていたタイトルロゴを切り取って絵を描き足す、という作業が連載回数分あります。『ブラック・ジャック』のように、扉絵がマンガの内容とは別に描かれていればそのページをとるだけですが、『アドルフに告ぐ』はコマの中に組み込まれているスタイルでしたので。
——元の原稿を直に切ったり貼ったりして編集してしまう、という大胆な手法については有名ですが、原稿の切り貼りにはどんな道具をつかっていたのですか? やっぱり、カッターなんかで丁寧に…
森:いいえ、先生は極めてラフに、普通のラシャバサミをつかっていました。元の絵が少し切れてしまってもお構いなしで、ざくりと。
——ひええ。
森:もっとも、万一元の絵が切れても、描き足しが出来ますからね。綺麗に切ることよりも効率重視のようなところがありました。貼る指示を伝えてあとは漫画部が作業をする、という感じでした。数人で一気に仕事を進めていきました。
切ったコマは、ネームにしたがって白紙に貼っていきます。コマを足す場合は、そうして貼った白紙の空白に描き込んでいきます。
——ページの編集についてはイメージがつかめました。後半でかなりエピソードを描き足している、ということですが、新しいページを描き足す時はどうするのでしょうか?
森:元の原稿に「何ページ足す」という場合は、ネーム段階の原稿あるいは白紙が、描き足すページ分元の原稿に挟まれます。そうしてページ数を確認しておき、作画の作業に入るんです。だから今残っている原稿を見ると、ページによっては下部に入っているノンブルが赤鉛筆で訂正されているものがありますよ。
——そして、原稿がまとまったら、森さんが全部まとめて編集部に渡す、という。
森:そんな感じです。
——しかし、コマとコマの間にシーンを描き足すのって大変じゃないんでしょうか。
いったいどのようなシーンが描き足されているんですか?
森:描き足しはエピソードの追加の他に、シーンの状況を明確にしたり、物語の背景などをより分かりやすくなるように描き込んだり、重要なシーンのあとに余韻をもたせたりするものが多いですね。何しろ、当初より多少延長はしたものの、もともと2年の約束だった連載期間が、病気による休載の関係で短くなってしまいましたから、描き足りなかったところはたくさんあったようです。
——どれぐらい時間をかけて編集していくものなのでしょうか? また、どういう雰囲気で作業されていましたか?
森:はさみで元原稿を切り貼りしたり、追加ページにネームを挟み込んだり、という作業は、漫画部のスタッフたちと一緒に行います。大体2時間ぐらいですかね、とにかく手際よく、風のようにばーっと作業をしていく、という感じですから、漫画部のスタッフもこの2時間はものすごい集中力が求められましたね。
このころの先生は、だいたい2時間区切りでいろいろな作業をしていたようです。切り貼り作業が終わると、何か別の仕事をしにアトリエやアニメ部に向かいますが、そうすると漫画部はようやくホッとする、という感じで。
描き足し分のネームは、だいたい1巻分あたり1日程度で描き上げ、その後作画はアトリエで先生が描いたものにアシスタントが指示通り仕上げをしていくという、通常のマンガと変わらない進行で描いていきます。時間は分量によってまちまちです。4巻目が大幅に遅れたのは、描き足し部分がかなり多くて、時間がかかったからです。
——そんな疾風怒濤のような作業状況で、大きなミスがあった…なんてことはなかったのでしょうか?
森:それはもちろん大丈夫ですよ。確認もしますし。
——他の作品も含めて、手塚治虫はなぜ、すでに描いた作品に手を加えたりするのでしょうか?
森:気に入らないとかそういうことではなく、先生が単行本の編集をすることが好きなんです。それから比較的、読者の感想から反響があまり良くなかったシーンを描き変えたりしたのが多かったようです。あとは、時事ギャグなんかはその都度描き変えているのは有名な話ですよね。ギャグを削るのは、長編で読んでいる時に歯切れのよいテンポになるように、という配慮もあったと思います。
先生は自信のある作品は早く単行本にして出したい、という思いが強いようでした。たとえば『0マン』などがそれにあたりますが、そういう作品は描きなおしも少ないのです。また、雑誌掲載時には中途半端な結末になってしまった作品も、描きおろしで物語を補完して出版していました。たとえば『旋風Z』などがそれにあたりますが、連載と見違える作品になっています。
——では、晴れて第1巻が刷り上がって、書店に並んだ後のことについてお伺いします。
森:担当編集者が出版部の人でしたから、宣伝も一般書籍のような感じでしたね。よく、新聞の2面の下に、文芸書の単行本の広告があるでしょう。あんな感じの広告が、『アドルフに告ぐ』でも出たんです。マンガ作品としては初めてだったと思いますよ。
アドルフ連載当時の『週刊文春』は、ちょうど「疑惑の銃弾」報道が同時連載されていて、その影響で部数が急増していました。『アドルフに告ぐ』も連載当初からかなり多くの読者に読まれており、1巻の定価は1,000円と高額だったにもかかわらず売れゆきがよく、初版2万部から増刷に次ぐ増刷でした。書店でも高い本が売れるわけだから、いい場所に平積みしてくれて、どんどん売ってくれるという感じでした。
——手塚治虫が宣伝に協力することもありましたか?
森:もちろんありました。たしか、書店で『アドルフに告ぐ』に関連したサイン会を開いていました。
また、ベストセラーということであちこちの雑誌からインタビューの依頼があり、それに答えています。その一部は『手塚治虫漫画全集』の「あとがきにかえて」でも読むことができます。
——そういえば、単行本の『アドルフに告ぐ』には、全集のとは別のあとがきがついていましたね。
森:あとがきももちろん、先生の自筆です。使う原稿用紙もいつも決まっていて、コクヨのB4判の400字詰め原稿用紙に2Bの鉛筆で書いていました。画材や文房具は基本的に決まったものを愛用していたんですよ。
——ほかに、このころのエピソードで覚えていることはありますか?
森:そうですね……。ちょうど、携帯電話の前身だった自動車電話が開発された頃で、先生の車にも導入しようかという話題が出たのですが、先生は絶対に嫌だ、と言っていました。新しもの好きの先生でしたが、すぐに連絡が取れると困るという思いがあったんでしょうね。
——本日はお忙しいところ、ありがとうございました!
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