手塚治虫について

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年譜

1940年代
国内 海外
1941年

1941/S.16/13歳

今日から中学生 池田師範付属小学校を卒業、大阪府立北野中学(現、北野高校)に入学。美術班と地歴班に所属する。マンガを描いたため、軍事教練の教官からにらまれる。マンガのことでしかられたときは、美術教師の岡島吉郎先生によくかばってもらう。昆虫採集に熱中し、「昆虫戦線記」「昆虫の身の上ばなし」などの昆虫を題材にしたマンガもかく。「ママーたむていものがたり」をかく。

1942年

1942/S.17/14歳

6.
地歴班から分離独立して博物班ができ、同窓の友人らと動物同好會設立。

7.31
動物同好會の会誌「動物の世界1」を発行。翌年にかけて大学ノートに絵入りのクイズを描いた「智恵の豆袋」を発行(18号まで作成)。

1943年

1943/S.18/15歳

1.15
「原色甲蟲圖譜」第一集を発行。

3. 1
「動物の世界2」を発行。

3.
初めてペンとインクを使って"ヒゲオヤジ"を主人公に「オヤヂ探偵」をかく。

4.15
「原色甲蟲圖譜」第二集を発行。

5.
「動物の世界3」を発行。

6.
「オヤヂ探偵物語 バリトン工場事件」を発行。

8. 12
「動物の世界(記録號)」発行。

8.
非公式なグループ"六陵昆蟲研究會"を結成する。

9.18
六陵昆蟲研究會の会誌「昆蟲の世界1」を発行。

10. 3
「昆蟲の世界2」を発行。

11.
「ヒゲオヤヂ南方戦線記」を描く。

11.20
「昆蟲の世界3」を発行。

12.20
「昆蟲の世界4」を発行。 阪急百貨店文房具部で発行していた『昆虫手帳』を使い、友人との情報交換などもしていた。

1944年

1944/S.19/16歳

3.31
エッセイ集「昆蟲つれづれ草」を発行。

3.31
「原色櫛水母圖譜」発行。

3.31
「原色増訂ヒドロ蟲類圖譜」発行(元版は'43年5月31日発行)

3.31
「昆蟲の世界8」を発行。

4. 1
「昆蟲の世界9」を発行。

5. 1
「昆蟲の世界10」を発行。

6. 1
「昆蟲の世界11」を発行。

8.
仁川の一里山健民修練所に入所、腕が水虫にかかり出所。

9.
勤労動員で淀川べりの大阪石綿に勤める。
エッセイ集「研究記録雑話 春の蝶類」を発行

1945年

1945/S.20/17歳

3.28  
北野中学を卒業。

4.12  
大阪松竹座で「桃太郎海の神兵」を観る。

6.
日本およびアメリカの漫画キャラクターのオンパレードによる戦争もの「勝利の日まで」を描く。

6.
丸ペンに墨を使って「幽霊男」を描く。

7.1
医学生・手塚治大阪大学付属医学専門部に入学。「冒険狂時代」の原案となった劇画的タッチの「おやじの宝島」を描く。

1946年

1946/S.21/18歳

1.1
マンガ家・手塚治虫デビュー作の四コママンガ「マアチャンの日記帳」の連載が『少国民新聞(のち毎日小学生新聞)大阪版』で始まる。

5.15  
大阪朝日会館で阪大医専文化祭が行なわれピアノ独奏を披露。この文化祭を契機に6月に、医専の学生のほか大阪女子専門学校が合同して学生劇団学友座が発足し、参加 する。

6.15  
「ども又の死」で初舞台を踏む。

8.20  
関西マンガマンクラブ例会に出席。この席で酒井七馬より単行本の依頼を受ける。

10.30  
毎日会館で学友座第一回公演が行なわれ、「生命の冠」(作:山本有三)に杉本得平という老人の役で出演(〜10.31)。 最初の「ロストワールド」を描く。

1947年

1947/S.22/19歳

2.  
酒井七馬原作の長編マンガ「新宝島」刊行。版を重ね四十万部を売り尽くす。

4.29  
陂大文化祭(朝日会館)で上演した「結婚申込み」に出演。

5.3  
学友座第二回公演(毎日会館)「白衣の人々」(作:キングスレー)に凹凸コンビのチビ公の役で出演(〜5.6)。

8.  
「新宝島」を持って上京し、新関健之介、島田啓三の家を訪ね評を聞く。

11.1  
学友座第四回公演(毎日会館)「天佑丸」(作:ハイエルマンス)にジモンという名の酔払いの船大工の役で出演(〜11.3)。

11.4  
医学専門部懇親隠し芸大会(YMCA)でピアノ独奏し、個人1等となる。

11.27.28  
関西新劇団合同公演(朝日会館)「罪と罰」にペンキ職人ドミトリ役で出演(この合同公演を最後に学友座メンバーは芝居から身を引く)。