登場人物

デーパと5人の苦行仲間アッサジナラダッタチャプラ


デーパと5人の苦行仲間


出家したシッダルタは
旅の途中で
修行僧デーパと出会う。

そして彼の導きで
ウルベーラの苦行林へと
入ることとなった。

そこでは
かつてシッダルタを
修行の道へと誘った
苦行僧たちが
彼を出迎えるのだった。
そんな仲間に見守られ、早速苦行に明け暮れるシッダルタ。
くる日もくる日も
厳しい苦行に身を投じるシッダルタ。
しかし、
デーパはもっともっと厳しい苦行をと
シッダルタに迫るのだった。

やがて
シッダルタの中に
苦行そのものに対する疑問が
芽生えてくる。



あげくのはてに
苦行林で勃発する権力争い。

仲間になれと迫るデーパに対し
ついにシッダルタは
苦行林との別れを告げるのだった。

シッダルタが苦行林に入って以来
実に7年の月日が
たっていた。

これ以後シッダルタは
ひとり静かに瞑想に入り
悟りをひらく事となる。

【解説】
若きシッダルタと共に苦行を行うデーパと、苦行仲間を紹介しましょう。

出家したシッダルタはやがて、途中で出会った先輩修行僧デーパの導きもあり、ウルベーラの苦行林へと入ります。そして、その地で7年間にもわたり、つらく厳しい苦行を続けることになります。

デーパは物語への登場時に、苦行にその身を捧げている事を示すために、自分で自分の目を焼き潰してしまったりするエピソードからも伺えるように、かなり狂信的な苦行信奉者です。
獣同然の姿で荒野をさまようナラダッタを苦行の師とあおぎ、この道にはいりました。
そのため、時折「こんな事やって意味があるのか?」と疑問を感じるシッダルタに対して、常に厳しくもっともっとと苦行をせまります。

よく言えば生真面目でストイックな性格なのですが、反面自分の作り上げた枠の外には一歩も出ない、融通のきかない堅物といった人物で、やがて完全に苦行を捨てると決意したシッダルタとたもとを分つ事になります。
ちなみにデーパは、手塚治虫の創作した架空のキャラクターで、苦行の中でのシッダルタとの対比を、見事に現している役どころと言えるでしょう。

次に5人の行者、
彼らは城の上で断食の行をおこなう出家前のシッダルタに対し法力で挑んだ後、その素質を見抜き苦行林へと誘います。つまり、シッダルタの出家のきっかけを作った者達という事になります。

苦行林に入ったシッダルタを歓迎し(その時には4人になってしまっているがデーパを入れて5人の行者となる)、共に苦行に励みますが、デーパとは異なり、無茶な苦行をやろうとするシッダルタをなだめたりなど、暖かく見守っている感じもうかがえます。

それが証拠に、悟りを開いたシッダルタのもとに、一人また一人と帰依していき、やがて全員、ブッダの弟子となっていくのでした。

この5人の行者のモデルとなっているのは、仏典にも登場する「五比丘」だと思われますが、「ブッダ」の中ではもちろん、大幅に脚色されています。
仏典の「五比丘」は、シッダルタの父であるスッドーダナ王の要請により、苦行林に入るシッダルタの身辺警護のために同行した修行僧たち、との事で、成道したブッダの最初の弟子になった事から「五比丘」と呼ばれています。
この部分だけは、「ブッダ」でも押さえられている訳ですね。

ちなみに、手塚治虫はそのインタビューで、「ブッダ」の中で好きなキャラクターは?と問われ、好きというより、描きやすかったのは「5人の行者」と、「アッサジ」と共にその名を挙げています。
なるほど、その姿かたちを見ると、手塚が楽しんで描いている感じが伝わりますね。

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アッサジ


シャカ族の王子シッダルタは
ついに出家を決意し
城を捨て修行の旅に出る。

そんなシッダルタがまず立ち寄った家で
無理矢理旅の供にと押し付けられるのが
このアッサジだ。
最初はじゃけんに扱ったものの、
旅の途中、高熱を発して死にかけたアッサジをシッダルタは命をかけて救い出す。
死のふちから蘇ったアッサジには不思議な力、予知能力がたずさわっていた。
次々と予知を的中させるアッサジ。

噂を聞いて
マガダ国のビンビサーラ王は
彼を呼び寄せるが
しかし、その場でアッサジは
王自身の死期を
予言するのだった。
不思議な力を得てから十年後、アッサジは自らの予知通り、
飢えた獣にその身を投げ与えて死んでいくのだった。
このアッサジの存在と死はブッダにとって生涯にわたり、大きな影響を与えることになる。

【解説】
仏伝にも仏陀の初期の弟子としてアッサジという人物は登場しますが、ここに登場するアッサジは、それとはまったく異なる人物です。

手塚治虫自身も「作者の創造によるキャラクターである」と述べていますが、どうやら仏伝に登場する様々な人物や物語を、複合させたキャラクターとも言えそうです。

「飢えた虎たちに自分の身体を食べさせたという仏陀自身の過去世、サッタ王子」、「自らの命を奪われる際にビンビサーラ王の死期を予告したという占い師(仙人)」、「モッガラーナ、サーリプッタを改宗させた弟子アッサジ(手塚版ではアナンダの守護霊として行う)」これらが、手塚版のアッサジに織り込まれたキャラクターでしょう。

しかし、そんなシリアスで重要なキャラクターを演じるのが、手塚版ではおなじみ三つ目の写楽保介で、フニャフニャと可愛らしく表現されていて、実に愉快ですね。

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ナラダッタ


「神になるべき人か、世界の王になるべき人」がこの世に現れようとしている……。
そう予言する師より「その人を探す」という大役をまかされたナラダッタは揚々と旅に出る。
ところが旅の途中で知り合った一人の人間を救うために、多くの動物の命を犠牲にしてしまう。
ナラダッタはその罰を受け、生きながら畜生道に身を落とし 
けもの同然に荒野をさまようことになるのだった。
ナラダッタは人としての生き方を捨てけだものとして生きる。
目はつぶれ口もきけず、四つ足で山野を歩きまわるその姿はまさしく苦行であった。
しかしそれは最後には大自然の中にとけこんだ清らかな毎日だったのかもしれない。
年老いて病におかされ、ひとり洞窟で死を待つナラダッタのもとに、
彼の噂を聞いたブッダがたずねてくる。
薬を差し出そうとするブッダに、ナラダッタは「このまま自然に死んでいく」と伝える。

やがて死が訪れたそのとき
ナラダッタは自分が一生をかけて探し求めていた人が
目の前のブッダであったことを知るのだった。

【解説】
ブッダを巡り様々な人物が織りなす人間ドラマである「ブッダ」ですが、このナラダッタとブッダの関わりは、とくに興味深いものです。

ブッダの誕生前から登場し、ブッダを探すという命を受けたナラダッタ。しかし彼は、生きながらにして畜生道におちるという罰のために、別の宿命に追いやられ、ブッダと出会うことはありません。 彼がブッダと相まみえるのは、その人生の最後のひとときでした。またこの邂逅が、その後のブッダに大きな影響を与えることになります。

さて、仏典には登場しない完全な手塚治虫の創作である、このナラダッタというキャラクターは、まさしく「ブッダ」の重要なテーマの体現者と言えるかもしれません。 「人も動物もこの世に生きる命は平等である」これを守れなかったゆえに罰せられ、「人は自然の流れに身をまかせて生き、自然にゆだねて終えるべきである」このテーマ通りに死んでゆきます。 ナラダッタのその壮絶な人生そのものが、作品「ブッダ」の発するメッセージをより深く重厚なものにしているのは間違いないようです。

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チャプラ


チャプラはスードラ
(どれい階級)の少年だ。

ある日、
自らが起こした失敗のせいで
母親を売りとばされそうに
なってしまう。
タッタの力を借り、なんとか母親を助け出すことに成功はしたものの
度重なる不遇にチャプラは自らの過酷な宿命を呪う。
そして、どれいの身分を隠して出世する事を固く心に誓うのだった。
母親と別れ、
歩み始めたチャプラに
意外にもそのチャンスは
早くおとずれた。

偶然にも隣国軍の
将軍の命を助けたチャプラは、
将軍のあととり息子として、
迎えられることになる。
軍隊で頭角を現すために死にものぐるいできびしい練習に明け暮れるチャプラ…。
  競技会での活躍で、やがて彼は国一番の勇者へと登りつめていくのだった。
大臣の娘の寵愛も受けチャプラはまさしく幸福の絶頂にいた。
が、その幸福も長くは続かなかった。
新たなる挑戦者との戦いで
チャプラは重傷をおってしまう。
その命を救ったのはチャプラを探し
町にたどり着いた母親たちであった。
しかし、その母親の出現によってチャプラの素性が明らかなものになってしまう。
チャプラと母親に悲劇的な結末が押し寄せようとしていた…。

【解説】
手塚治虫自身「ブッダ」という作品は、仏典を正確に漫画化したものではなく、フィクションをたっぷり詰め込んだ手塚版の宗教SF作品として読んでほしいと言っています。

作品の幕開けと共に登場し(ブッダが誕生するまで)ほぼ主役のような位置で活躍するこのチャプラこそ、まさしく前述の手塚の言葉通りの存在で、仏典には登場しないまったくのオリジナルキャラであり、その母子の壮絶な物語も手塚が創作したフィクションとなっています。

どれいの身分を隠しながら王にまで登り詰めようとする若者の野心、親子の情愛、悲しい運命、これらをワクワクする筆致で描きながら、もうひとつ、当時のインドの過酷なカースト制度、その中で暮らす人々の救いようのない絶望感をも見事に描き出しています。

そしてそんな世界に救いをもたらすように生まれてくるのがブッダです。つまり、手塚が紡ぎ出したこのチャプラと母親のストーリーは「ブッダ」という壮大な物語の中で、プロローグとして大きな役割を果たしていると言えるでしょう。

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