1945年4月6日【16才】
16歳の手塚治虫は日記に「物量戦」の厳しさと民間の不安、政権への批判を克明に記録しています。
1945年4月6日の日記より
マンガ「モンモン山が泣いてるよ」原画より
四月六日(金) 曇り一時晴れ
(中略)
小磯首相はこの重大時局に直面し、もっと強大な内閣組織を望んで内閣総辞職を決行した。これで東条さん以来二回目の政局変動である。
どうも小磯さんはこんな事を言っては悪いかも知れないがあまり実力のない危なっかしい人物だと始めからどうも感心しなかったが、やはり八か月でやめてしまった。
民間に評判の悪いこと甚だしい。
沖縄へ上陸した敵は約三箇師団にのぼり、既に北、中両飛行基地は敵手にわたった。
そして今や首里、那覇へと刻一刻魔手を延ばしている(中略)。
戦局と戦果とはちがう。物量戦だ。
どうしても生産がもう一ふんばりやりぬかねば戦局転換は難しい。
講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集 6』「思い出の日記——昭和二十年——」より