持てる国と持たざる国

1945年4月1日

マンガ「海の姉弟」より

マンガ「海の姉弟」より

四月一日(日)晴れ時々曇り 微風 暖かし
 今日から愈々春の本場だ。四月に相応(ふさわ)しい春日和、春霞にて遠方の景色が薄み、雲雀(ひばり)が空の彼方でピーチクピーチク囀(さえず)っている。
 昼の休みに淀川の堤防へ出る。何時(いつ)の間にか若草色のじゅうたんで蔽(おお)われている。冬のさなかにあったあの冷え冷えとした鋭さは影すらもない。越冬したキタテハが一匹頭上をつうとかすめていった。
 毎日々々無表情な機械と取り組んでいる我々にとっては、たとえ十分二十分の間でも斯(こ)うして和(なご)やかな大自然の中に置かれるのが此の上無く嬉しいのである。全く、この楽しさは、真に人工的文化にのみ関係した人間——毎日動員に赴く我々——の他には誰にも味わえないであろう。
 予期しておった如く、敵は遂に沖縄本島に上陸を開始した。
 わずか南西諸島をねらってから一週間足らずで、彼はもはやその心臓部をつき出したのである。敵乍(なが)らその迅速さに、驚き入った。これも、敵の人的努力よりも物的努力の力によってなされるのだ。持てる国は結局、持たざる国に勝るのであろうか?
 否、それは量に於(おい)てのみ言える事であって、其の国力たるや量を差配する人間の力による。
 敵が五と出せば此の方は十だ。ところが敵が十でこちらが五なる場合、五を十に対抗させる力はとりも直さず国民の熱意である。即ち人的努力である。
 敵は量に於いては残念乍ら我が国よりも勝(すぐ)れている。が、人的努力は我が国の方が幾千倍も強い。
 故に、先(ま)ずは第一は敵の人間を失わしめる事だ。米鬼(ヤンキー)——を殺すのだ。殺して、殺して、殺し尽くしてしまえば、物的攻撃何を恐るるに足らんやである。
 沖縄近海に敵機動部隊が千数百も遊弋(ゆうよく)している。これに対し、我が方の戦果は百五隻の多数に上がった。

講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集 6』「思い出の日記──昭和二十年──」より