1945年頃【16才】
戦争末期は軍医養成が急務だったため、医者志望者の大半がこころならずも医師の道へ進まざるを得ませんでした。マンガ家志望なんてもってのほかという時代でした。
手塚治虫と磯村尚徳の対談集 「鉄腕オサムの家庭教育」より
戦争末期の医者志望者というのは大半がそうだったと思います(編集部注:心ならずも医者になった人間が多かったということ)。
軍医が相当数養成されなければならない時代でしたから。
戦争がなければ初めからマンガに進んでいたはずです。
何しろ、マンガなど描いていれば日本刀で斬られるような時代ですからね。
マンガ「ゴッドファーザーの息子」原画より
ほんとうですよ。
私が教師の似顔絵を描いていましたら、軍事教官に職員室に連れて行かれまして、ギラリと抜くんです。
鼻先に突きつけて「斬るぞ」というんですよ。
その教官の刀は竹光だと聞いていたので安心していましたら、あとで本物だとわかった(笑)。
講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫対談集 1』「磯村尚徳——鉄腕オサムの家庭教育」より
(初出:1977年『おかあさんの勉強室』所載)
「昆虫研究をしたかったのに医者になった」
収録日:1973/10/9
収録場所:大阪府立北野高等学校(北野高校創立100周年記念での講演)