「マントク」のシゴキ

1941-45年頃【13才~17才】

軍事教練の教官や教師に何度体罰を受けてもマンガを描き続けました。

インタビュー「戦争とのらくろ」より

——戦争中、ずっとマンガを描いてましたね。

それはそういう思い(編集部注:自分の描いたマンガを人に見せたいという思い)と、とにかく描きたくて描きたくて、うずうずしていたからですか。

 

そうです。

だからもう、軍事教練の教官になぐられるし、体操の教師であだ名がビンタといわれていた教師には、ビンタをくらうし、万年特務曹長(マントク)と呼ばれた教師には、竹光(たけみつ)でぶんなぐられるし、それはもうたいへんでした。

マンガ「紙の砦」原画より

マンガ「紙の砦」原画より

マンガ「紙の砦」原画より

このマントクには、何回斬られそうになったかわからないくらいです。

ぼくがマンガで似顔絵を描いていたから。

 

でも、かばってくれた人もいましたね。

美術の教師は、「手塚、おまえはマンガ家になれよ」なんて、よく陰でいってくれました。

講談社版手塚治虫漫画全集『漫画の奥義』「戦争とのらくろ」より
(聞き手:石子順、初出:1988~89年『子どもの文化』連載)

「学校で怒られたり良い先生がいたり」

収録日:1986/7/22
収録場所:富山県富山市