1941-45年頃
マンガ「紙の砦」原画より
──戦争中、ずっとマンガを描いてましたね。それはそういう思い(編集部注:自分の描いたマンガを人に見せたいという思い)と、とにかく描きたくて描きたくて、うずうずしていたからですか。
そうです。だからもう、軍事教練の教官になぐられるし、体操の教師であだ名がビンタといわれていた教師には、ビンタをくらうし、万年特務曹長(マントク)と呼ばれた教師には、竹光(たけみつ)でぶんなぐられるし、それはもうたいへんでした。このマントクには、何回斬られそうになったかわからないくらいです。ぼくがマンガで似顔絵を描いていたから。
でも、かばってくれた人もいましたね。美術の教師は、「手塚、おまえはマンガ家になれよ」なんて、よく陰でいってくれました。
講談社版手塚治虫漫画全集『漫画の奥義』「戦争とのらくろ」より
(聞き手:石子順、初出:1988~89年『子どもの文化』連載)