若いマンガ家の「核戦争後」

1989年

マンガ「来るべき人類」原画より

マンガ「来るべき人類」原画より

手塚(治虫) 彼らの考えている「核戦争後」というのは、結局レトロなんです。これは『スター・ウォーズ』だってそうだし、そのほかのものもそうなんですけど、内容を見ると、いかにも陳腐なんだね。大正とか明治のころの世界の情勢、あるいは前世紀末のデカダンそのものだったり、あるいはダダとか、アール・ヌーボーとか、あのころの文化をもう一度再認識しているにすぎない。立川文庫とか、押川春浪(おしかわしゅんろう)のロマンとか、そのへんをもう一回ちょっと絵を変えて、蒸し返したにすぎない。
石ノ森(章太郎) ああ、それはいえます。
手塚 あれは核戦争がもう一回起こるかなんてことはだれも考えていない。そういうかたちに設定しないと、現代のわれわれの情報のなかの設定からいうと、ああいうことはあり得ないですね。たとえばわれわれが見たこともない江戸時代以前の話は、時代もののロマンとしていくらでも描けます。しかし未来のものは、すぐに未来がきてしまうために、ああいうことはちっとも起こらなかったじゃないかといわれてしまう。それだったらいっそのこと、核戦争で全部破壊してしまって、また最初から始めたほうが描きやすいわけです。
石ノ森 白紙にはなんでも描ける。
手塚 それと同時に、そこからのち、どういう世界ができるかというのは、いま描いている作家の頭のなかには何も浮かんでこない。いちばん手っとり早いのは、前世紀末か、さらにその百年前の世紀末の歴史に残っているようなことを調べて、ちょっと組み変えて、ロマンとして描くのがいちばん楽でしょう。だから、外見は依然として鎧武者みたいなのが出てくるし、巨大ロボットだってよく見ると昔考えた戦車の青写真だし、悪人の描き方だってなんにも変わっていない。特にヒーローの描き方なんていうのは、江戸時代末期ぐらいにはやった若武者の顔なんですね、目がつり上がっていて。
石ノ森 伊藤彦造(いとうひこぞう)の絵ですね。
手塚 そう、伊藤彦造。その焼き直しにすぎないんで、あれは核戦争後ではないんだね。
石ノ森 ファッションとしての舞台ですね。
手塚 そうそう、レトロ・ファッション。
石ノ森 そういう意味では、『マッドマックス2』のほうがずっと早いわけだから、同じテーマならば。
手塚 みんな鎧を着て、剣を振りまわすでしょう。悪人のかくれがというと、アール・デコ的な飾りがあって、クラシックなんだね。ぼくらは描いているとわかるんだけど、核戦争後というのはいちばん描きやすいんです。全部なくなるから。

講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫対談集 3』「石ノ森章太郎──現代マンガに試練の嵐を!」より
(初出:1989年3月20日発行 『漫画超進化論』 河出書房新社 所載)