世界平和の次に来る危機とは

1989年

マンガ 鉄腕アトム「赤いネコの巻」原画より

マンガ 鉄腕アトム「赤いネコの巻」原画より

手塚(治虫) このあいだ、ちょっと暴言を吐いたんです。マンガなんて全部統制されてしまえって(笑)。お上から、マンガは一切まかりならんというかたちで、マンガ雑誌と単行本に関しては統制をして、みんなの顔色が変わったときに、そこで初めてシビアにマンガをもう一回見直して、われを知るんだという。そこまでやらなければ、いまの状態を改められないのではないかということを考えている。だけど、それをいってしまえば、ミもフタもないですから。
石ノ森(章太郎) うーん、まあたしかにいまのような状態になってしまったのは、かなり複雑な要素が絡みあっていると思うんです。まず社会的に職種がいっぱい増えて、どこへでも移れるということがあります。また経済的にも、一本描いてそれが当たると、もう一生食べられるから安心してしまうということもあります。それからマンガそのものが、ぼくらの世代にとっては新しい表現メディアだったし、だからこそ、それにかけようと思ったけれど、いまの人はもうすでにあったメディアをうまく利用して、自分のいいたいことをポンといって、さよならと去っていく、そういう世代になりつつあるという気がします。
手塚 これはマンガだけじゃなくて、そういう社会機構になってきているんだね。どの職業にもいえることだし、もっと突きつめていえば現代の資本主義的社会の常識というか、あたりまえのことで、そのなかでマンガが育っていく以上、マンガもその世界の片棒をかつがねばならないということです。さっき統制ということをいったけれど、マンガにかぎらず、いまはあまりにも無統制ですよね。政治の圧力などが無批判に行われることに対する恐怖感がなくて、なんでもかんでも自由だけれども、それに溺れているあいだは文化の方向性は止まっているんです。
石ノ森 そうかもしれませんね。
手塚 何かシビアなアクシデントというか、社会危機みたいなものがきたときにこそ、文化のレベルは一線をとび越えて、もう一回脱皮するんです。いままでの歴史を見ると、そういう仕組みになっている。
石ノ森 それはたとえばどういうことですか。
手塚 映画の話になるけど、たとえばフランス映画はルネ・クレマンとか、マルセル・カルネが映画をつくった時代というのは、ナチスの占領下です。あるいは黒澤明の『七人の侍』も、戦後の混乱のなかでつくられた。いまの日本映画や、フランス映画の沈滞ぶりを見たら、一目瞭然です。もちろん社会不安は当然現代でもあるけれど、もっとシビアな社会危機みたいなもの、個人個人が断崖に立たされるという、背水の陣のなかでつくられた文化というのは、かなりとび越えるものがあります。それはもう命をかけてとび越えなきゃいけない。そこで命をかけた作品というものが生まれてくるんです。
石ノ森 近々に崖っぷちがくると思いますか? マンガ界にしぼっていえば。
手塚 マンガ界だけにはこないでしょう。くるなら社会といっしょにくるんじゃないかな。どういうところから起こるかというと、昔は戦争の不安みたいなものがあったり、あるいはそれに日本が参加するんじゃないかという不安があったけれど、ぼくは全然別の方向からくるような気がするんです。たとえばSF的だけど自然の大災害なんていうこともひとつ考えられる。
石ノ森 なるほど。
(中略)
手塚 それからこれはだいぶ先の話かもわからないけれど、紙の事情が底をついたりするのも、そのひとつかもしれない。いま、東南アジアとかブラジルあたりで自然破壊が進められていて、パルプや木材がどんどん伐採でつくられているあいだはいいけれど、これが、あるところまできて、そういった森林が、たとえば半分に減ってしまうという事態が起こったときに、国連決議なんかで自然環境の破壊を防止するために、紙の生産に対するかなりの強行策を採らざるを得ないだろうという気がする。
石ノ森 ああ、なるほど。
手塚 いまみたいに、戦争が東南アジアや中近東で起こっているあいだはいいけれど、世界中に和平が進んでいったのちに、今度はまず飢餓の防止、そして自然の保護が課題になってくると思うんです。飢餓の防止というのは、たとえば貧しい人たちが伐採によって、どうにか毎日の糧(かて)を得ているのではなくて、もう少し合理的に、流通とか様々なことを見直して、食糧事情を緩和する。焼き畑農耕なんかで森林が崩壊するのを防ぐ。
石ノ森 うんうん。
手塚 そういうことが行われるようになると、出版界自体が、紙というものの貴重さ、限界みたいなものを知って、内容的に規制し始めるんじゃないかと思うんです。いまみたいに無批判、無尽蔵な出版がだんだんできなくなってきて、書物が再評価されてくる時代になるのではないか。
石ノ森 うーん、困るだろうな、新人は。
手塚 もうひとつは、出版産業そのものが崩壊するという、これは全然別のアクシデント。もっと違うメディアが世界を席巻する。テレビなんかは時代遅れで、もっと違うメディア。そうすると出版なんていうのは、つまり活字文化とか、印刷文化とかいうのは自己崩壊してしまう。そういうことも起こり得ると思うんです。
石ノ森 たしかにあり得ますね。
手塚 何が起こるかわからないというのは、これからたかだか十年ちょっとのあいだだけれど、いまの文化の進展のスピードからいくと、本当に何が起きてもおかしくないんですね。これから世紀末にかけての十数年というのは、四十年くらいに相当すると思います。日本の戦後の四十年間を、十数年でやるわけですから。戦後の四十年間は、戦前とはえらく文化の落差がありますよね、その落差があと十年ちょっとのあいだで起こるとなると、本当に何が起こるかわからない。そういうことで、マンガが昨日まで栄えていたのが、明日からマンガが出なくなるという事態になるかもわからない。そういうときに初めてマンガは目覚めて、われわれは何をなすべきかと。
石ノ森 『火の鳥』ですか(笑)。
手塚 そうじゃないけど(笑)。

講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫対談集 3』「石ノ森章太郎──現代マンガに試練の嵐を!」より
(初出:1989年3月20日発行 『漫画超進化論』 河出書房新社 所載)