1988年
ぼくはというと、終戦直前、六月くらいまでは「勝利の日まで」とか、米英撃滅のマンガばっかり描いてましたね。いろんな東西のマンガの主人公がでてくる話。アメリカ、イギリスのマンガの主人公たちと、日本のマンガの主人公たちが一大決戦をやるようなね。要するに凝りかたまっているわけですよ、“一億火の玉”に。
ところが日記を読むと全然さにあらずなんですね。“日本はもうダメだ”と書いてあるんです。もう、アメリカは沖縄にも上陸し、日本の戦力を挫折させたと。やはりもてるものはもたざるものに優(まさ)る、相手が十だったら日本は五くらいしかない。どうしてなんだと、ずいぶん懐疑的なんですね。
(中略)
描いていたマンガは一億一心でしたから、教師の前でも見せるんですけど、前にもいいましたようにマンガを描くということ自体、背信行為なんですね。「おまえはなぜこんなものを描いているんだ」といわれてね。それでも描きたいものだから教師にもわからないように工場の中で隠れて描いたり、警戒警報がでても、すぐとびだすとバレるものだから、空襲警報になるまで描いていましたね。
そしたら、それを知った連中の一人が、おまえのことをいいつけてやる、それとも、いいつけられたくなければかわりに美人の絵を描いてくれ、しかも裸の絵を描けということで、しようがないので美人といってもそのころはまだ絵もうまくないし、裸も見たことがないから、適当に想像で描きましたけれど、彼は大切そうにポケットにしまって、「これでもう、おまえをいじめない。へんなことがあったらオレにいえ」とかいって、ずいぶんなぐさめてくれましたね。
終わりのほうでは、マンガのゲーム盤を作ってましたね。昼休みには、このゲーム盤を部屋に持っていって、みんなでやっていたら、そのうち、工場の連中まできてね、いっしょにやったりしましたね。たいへんな評判になりました。その後ですよ、例のトイレにマンガをぶらさげたのは。
——ああ、そうなんですか。トイレにマンガをぶらさげて、みんなに見せていた。
四コママンガをどうしても描きたくて。へんに見せると破られたりしますから、でも見せなきゃ意味がないんですよね。反響を知ろうと思ったんですが、反響はわからない。ただ原稿がだんだん破られていってね。おとし紙の中に入ってるんですよ(笑)。ヒゲオヤジが主人公の四コママンガで、ずいぶん描いたんですよ。
——たとえば、内容はどんな感じのマンガなんですか。
ナンセンスものです。一例を申し上げますと、ヒゲオヤジが、空襲警報といってどなって歩いているものだから、待避壕に入るのが一番遅れてしまって、「待避壕はないか、ないか」と歩いていたら“タイヒ”って書いてあるわけ。これはいわゆる堆肥ですね(笑)。
当時ひとつだけ参考にしてたのは「フクちゃん」なんだよね。横山隆一さんの資質がやっぱりディレッタントなんですね。ですからフクちゃんはかわいらしいんですよ。だいたい三枚に一枚は時局とまったく関係のないナンセンスというか、ユーモアものを描いていましたね。