1987年
私は最近、「アドルフに告ぐ」という作品を描きました。
これは、いうならば私の戦前・戦中日記のようなものです。
この物語は神戸が舞台です。私は兵庫県の宝塚という町に住んでいて神戸は目と鼻の先でしたので、まあ自宅の庭みたいにうろつきまわって遊んでおりました町です。
ある出版社から依頼を受けて、神戸の思い出話をマンガに描いてみろといわれたのがきっかけですが、いくら思い出とはいっても、話に起伏もなければ起承転結もないのなら読み物にならない。そこで、たまたま、昔私の家の近くに住んでおりましたカウフマンというドイツ人夫婦のひとり息子を、主人公にしてやろうかと思いつきました。この子はなぜか親の意志で、日本人の小学校へ入れられたのですが、いつも「白んぼ」とか「オバケ」とか、からかわれて、いじめられていたようです。そんな立場の外国人外交官を神戸に住まわせて、戦災に遇わせたら、おもしろいメロドラマができそうな気がしました。それにドイツ人なら、ナチ思想にかぶれるだろうし、それなら、当時組織されていたヒットラーユーゲント(少年隊)に入れればもっとおもしろかろう、といったふうに設定をふくらませてゆき、あの「アドルフに告ぐ」が生まれました。
だいたい、私の話づくりは、どの作品もそういった気楽な思いつきから生まれるものなのです。
ところが、今回は単なる空想物語でなく、戦時中の神戸というはっきりした設定があり、おまけにナチス・ドイツがからむ話ですから、そういい加減な物語や絵を描くわけにもいかない。
だから資料集めがたいへんでした。なにしろ、戦前や戦時中の神戸を写した写真は、ほとんど焼けてしまってないのです。おまけに、現在の神戸は戦後住みついた人が多く、たとえ戦前から住みついている人でも大部分は亡くなってしまっていて、話すら聞けないのです。
したがって、私が、子ども時代、学生時代に遊んだ神戸の姿を記憶をほじくり返して描くことがほとんどでした。
戦前といえば五十年昔、五十年といえば半世紀です。おおよそのことはおぼえているつもりでも、記憶違いや、ほかの記憶との混乱がいっぱいありました。
また、記憶なんていうものはその本人が美化したり、都合の悪いところは削除したり、どんどん変わっていくものだと、つくづく思いました。
だから、「アドルフに告ぐ」は私の戦前・戦中日記だと申しあげましたが、まあ、フィクションに近い神戸というわけです。
忌まわしい戦争の記憶も、だんだん世間から忘れ去られ、当時の状況を十分に語り伝える人間がすくなくなってきています。それを、細部の考証はともかくも、せめて雰囲気ぐらいは私の目の黒いうちに描き残しておきたいと思って、あれを描きました。子孫のためにもそうしなければならない義務があるように思ったのです。