今月のお題は「今夜何食べよう」です!!
夏も真っ只中、皆さん夏バテしていませんか~~?
絶賛夏バテ中のあなたも、皆さんから届いたいろいろな手塚グルメを見れば食欲が湧くかも!?
8月号掲載の〆切りは、2017年8月13日(日)となります!
投稿コーナーへのお便り・イラストをお待ちしております!
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吉村昌輝
手塚プロダクション アニメーター
作画監督を務めた主な作品
『雨降り小僧』(1983年)/脚本・絵コンテ・演出・作画監督
『緑の猫』(1983年)/原画
『大自然の魔獣バギ』(1984年)/原画
『るんは風の中』(1985年)/原画
前回のコメント担当記事:
★ 虫ん坊 2017年5月号 投稿コーナー
今夜も焼き魚。
「どろろ」は今年8月27日で連載50周年! ということで、8月号の投稿は絶対「どろろ」でいこうと年初から決めていました。
「どろろ」大好きです。なぜ主人公は百鬼丸なのにタイトルが「どろろ」なのか、と言う人がいますが、私はこのタイトルこそ正しいと思います。「どろろ」は、みおを失って「枯れ木の風穴のようにガランとして死人もおなじ」だった百鬼丸が、痛めつけられても全力で生きようとするどろろと出会い、共に旅することで生きる力を取り戻し、どろろと別れるまでの物語。つまり百鬼丸の一生ではなく、「どろろという存在が百鬼丸をいかに変化させたか」という一部始終を切り取った話だから、タイトルは「どろろ」なのでは、というわけです。
もっともこの連載は手塚先生の意に反して打ち切られ、しかも連載当初は「百鬼丸の体はどろろを殺せば元に戻る」という設定があったらしいので、いま私が書いたことは御大の意図ではなく結果としてそうなったということになりますが。
出会って間もないころの「焼き魚晩ごはん」は川の流れ越しでしたが、冒険を重ね、もっと距離が縮まった二人を描こうと思いました。縮まりすぎて煙が……。
今夜「も」ということは焼き魚が続いているのでしょうか。 ぽちゃさんの設定から、煙のせいにして、実は幸せなひとときに泣いている百鬼丸を想像してしまいました!
「どろろ」というタイトルの新しい解釈……目からウロコです。すばらしい。 今まで考えたこともありませんでした。……その通りです、拍手!!
二人の心の距離が近づいたことがよくわかりますね。川べりでの焼き魚でも、どろろと百鬼丸には最高のごちそうなのかもしれません。
今夜何食べよう
と言うことで、何を食べるか?というのは、年齢でだいぶ違いますね。
成長期はとにかく質より量、食べる食べる、どこに入るのか?
四次元胃袋と言うほど食べまくり、成長して落ち着くか、そのまま暴食をして成人病になるか。
中年以降は食が細くなるので、量より質に変わり、人によっては食への興味も薄れます。
それが、アアラ不思議。
老年になると、急に食への欲望がふたたび起こるというね。
やっぱり食べるって、人間の本能なんだなあ、とつくづく思います。
突撃!となりの晩御飯!それぞれの晩御飯事情が赤裸々に……! B・Jは相変わらず「ボンカレーはうまいのだ」精神ですね!
手塚キャラたちが普段何を食べているのか、変わった企画でおもしろい。第2弾、3弾も期待してます
背景がすごくカラフルで素敵です!
手塚先生が食べるごはんが一番アレっていうオチですかね。でも、一度は「チョコレートうどん」に挑戦してみたい!
プルートゥフ、ミョウガをもりもりに乗せて、キンキンに冷えたビールと一緒にいただきたい!
あと、きざんだネギも、オカカと生姜もいい。 でも「プルートウフ」って固そう。
みんな、完全にお酒のおつまみモード! なんとなく、ゴマトゥフなのではと思いました。※色味的に
こんばんは♪今回も締め切りギリギリです(^^;;
テーマを拝見して料理する和登サンを描きました!
写楽クンが食べてしまったので、何の料理か分かりませんでしたということで…(笑) 今度はキッチンの背景も丁寧に描きたいです…!
和登さんのエプロン姿……いいですねぇ……へへへ……
いいですね……、フリルがまたかわいいのがいいですねぇ…… えへへ ……
写楽が食べたものは何だったのか! 満足そうな顔を見るに、相当おいしいものだったのでしょうね。ワトさんの手料理食べれるなんてズルい……。
こんにちは!いつも掲載並びに大変嬉しいコメントを下さり、誠に有難うございます(*^^*)!
先月号とは一転して、浴衣姿のおしとやかな感じのマリアちゃんです♪
また“描きたいものを描く!”精神に甘えさせて頂きました(^^ゞ。気が向いたら、他のキャラも描きたく思います。
マリアは明るい色の浴衣がとてもよく似合いますね! 夏の太陽、ひまわりよりマブいぜマリア!
浴衣姿の女性……これは暑い夏の日本の風物詩、あのマリアでさえ……
手の添え方におしとやかさを感じます!! そのまま、やけっぱちと花火大会にでも出掛けて欲しいです! ごちそうさまです!
少し前に投降したのですが、画像をつけ忘れたので再登校しました。
W3の、ボッコ/カノコを描かせていただきました。漫画の丸っこい線をイメージしたのですが、あまりうまく表現できませんでした。今度はほかのキャラも描こうと思います。
すみません、次、だっこしてもらってもいい(ボコ! ※ボッコだけにボコっと叩かれるの図(*゚▽゚)ノ
こんなかわいい二人に見つめられたら、ドキドキしてしまう!! 色のチョイスもシックにお上品な仕上がりになってます。さわかやなグリーンの瞳もまたステキ! 吉村さん、手塚先生のような丸みのある線を描くコツはありますか??
丸を描くのは大変です、アニメーターの場合、鉛筆の下書きで何度もなぞって線を決めますが、ペン書きの漫画家さんは一発描きが基本です。感心させられます。 イラストの方ですが、服以外、全体赤のトレス線でホッコリした感じに・・・青い目がとても印象的ですね。
セクシー極まりすぎて、目のやり場に困ってしまいます! お色気で相手を怯ませたところを一撃必殺する気ですか!?
今風のアニメキャラの様でデッサンもしっかりしています。アニメ好きな感じが出ています。
わちゃわちゃしながらも、しっかり敵を倒しそうなエミヤですね! どんなストーリーなのか気になるところ!
「再訪、手塚の里・上田へ―手塚治虫のルーツを訪ねて―」の続きです。「アトムの誕生日」にあわせて長野県上田市を訪問し、4月9日の午前中、上原榮治さんに手塚地区の手塚光盛ゆかりの地を案内していただいた後、手塚ファンの松原光昭さんに車を運転していただき、上田市から長野県北安曇郡へ向かいました。拙著『親友が語る手塚治虫の少年時代』を執筆するにあたり、池田附属小学校の同級生・石原実さんにご紹介していただいた同級生の一人が、長野県北安曇郡在住の児玉道子さんでした。私の取材のお願いに、とても丁寧に対応してくださり、手塚先生からのお手紙や年賀状や新聞記事のコピーなどの資料を送って下さいました。
児玉道子さんがお住まいの北安曇郡の松川駅で待ち合わせをし、いわさきちひろさんの絵画を展示している「安曇野ちひろ美術館」に一緒に行くことにしました。児玉さんは、いわさきちひろさんの妹さんと仲が良かったそうです。また、いわさきちひろさんの表紙絵で有名な黒柳徹子さんの著書『窓際のトットちゃん』の朗読会を毎週日曜日にやっているそうで、とても元気に活動なさっているとのこと。
児玉道子さんは、手塚治虫さんと小学一年生から六年生まで同じ西組のクラスメイトとして過ごしました。小学五年生の一学期に、手塚治虫さんが級長、児玉道子さんが副級長に選ばれ、「彼に誘われて宝塚のお宅に遊びに行った」とのこと。お母さんの手塚文子さんが紅茶を運んでもてなしてくれたそうです。日中戦争のさなか、担任の先生と手塚治虫さんと児玉道子さんの三人で、出征兵士のいるお宅に慰問に行ったこともあるそうです。
太平洋戦争が激化した昭和20年6月15日の大阪大空襲で、学徒勤労動員に行っていたグリコの工場が焼け、目の前で友人が即死するという経験をし、両親はすぐさま母方の実家にある長野県に疎開を決めたそうです。ちなみに『紙の砦』に描かれた、手塚治虫の動員先の大阪石綿工業大阪工場が被災した大阪大空襲は6月7日のことで、6月の間に大阪は4度の空襲に見舞われています。
8月15日に終戦を迎え、四人姉妹の長女であった児玉道子さんは、家族の生活を支えるために八十二銀行に就職し、36年間、職業婦人として生きるという、まるでNHKの朝ドラの「とと姉ちゃん」のような生き方をしたそうです。
拙著『親友が語る手塚治虫の少年時代』に収録した、同級生・大森俊祐さんは、児玉道子さんについて、次のようなエピソードを語っています。
「また、三年生の時、図画の時間にクレヨンで、女の子の児玉道子さん、男子では春田有文くんという二人の生徒が前に出てきまして、椅子に座らされて、それを写生したことがあるんです。時間の終わりに担任の乾先生が、手塚の絵を取り上げて「非常に上手に描けている」と褒めながら皆に見せられたことがありました。みんな時間が足りず未完成のままに終わっているのに、彼の絵は最後まできっちり仕上がっていて、誰が見ても児玉道子さんと解るような描き方なんですね。うりふたつというのはあのことだと思うんですけども。クレヨンで描いてもそのくらい的確な絵が描けたわけです。
たまたま何十年も後に、クラス会の席で、乾秀雄先生の横に児玉道子さんが座ったことがありました。そしたら乾先生が、児玉さんに「あなたをモデルにして描いた手塚君の絵は他の子どもが平凡な絵を描いていたのに、非常に飛び抜けて垢抜けがしていて上手だったね」と言われたことがあったらしいんです。本人の児玉道子さんは、自分が昔、モデルになったことなどすっかり忘れておりましたので、「そう言われるとそんなことがありましたかねえ」と言って、「私がモデルになったことを、乾先生が覚えていてくださったのは、手塚君の上手な絵の印象が先生の頭の中にあったからこそなんだ」と、手塚君の優れた才能に今更のように敬意を表したようでございます。」
このエピソードで語られた絵があるのでは?と思い、伴俊男さんの著書『手塚治虫物語』をパラパラと眺めていて目に留まったのが、この絵でした。女の子は池田附属小学校の制服を着ていることから、まさにこれは児玉道子さんがモデルの絵では?と思いました。
大森俊祐さんの話で絵のモデルになったもう一人の男の子・春田有文さんも、実は手塚漫画に登場します。『モンモン山が泣いてるよ』の冒頭に登場する、ポプラ相撲の横綱・春巻のモデルは、同級生の春田有文さん。
児玉さんとお会いした際、貴重な資料をたくさん見せていただきました。
安曇野ちひろ美術館の閉館後、松川村内のジャズ喫茶のジャズ喫茶にて、4人でお茶をし、帰りの電車までの時間を過ごしました。手塚治虫も小学生時代に夢中になった電気科学館のプラネタリウムの話をすると「私も見に行ったわ。でも、安曇野の星空は本物だからずっと綺麗よ」と。大阪を懐かしむ一方で、長野県北安曇郡の自然豊かな生活を愛していらっしゃいました。
北安曇郡松川村内のジャズ喫茶にて。
左から手塚ファンの松原光昭さん、児玉道子さん、田浦紀子、田浦誠治
絵画のモデルになられたご本人が登場するとは……! 田浦さんの行動力とご縁の数々にはいつも目を見張ります。
前回に引き続き、レポートをありがとうございます! 直筆の手紙や年賀状は、かなり貴重です!!
いつもレポートありがとうございます。知らなかった小学生時代の先生の様子がよくわかります。
9月号のコメンテーターはアニメーター・岡村隆です!
岡村
「夏と冬どっちが好き?え!? 秋! 野暮なこと言うなよ~」
★「コメンテーターに質問」へのお便りもお待ちしています!★
あなたの大好きなキャラクターを投稿してみよう!
ヒーロー・ヒロインに限らず、大好きなロボット、動物、宇宙人、不思議生物、むしろ無機物…何でもかんでも、あなたの大好きなキャラクター、作品などなどの絵や評論、ナゾトキ、アツイ語りなどなんでも大募集です。
イラストじゃなくてももちろんOK!!
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9月号掲載は、2017年8月13日(日)までにいただいたものとさせていただきます。