【投稿者】 ゆいウラン さん |
【投稿者】 のんみ さん |
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初めまして、ゆいウランです。 |
アトム、(はやいけど)誕生日おめでとう(^_^)/~ |
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こんにちは(^O^)/
今回はテーマが「アトムの誕生日!」ということなので、
私のお気に入りの手塚キャラ達がアトムを祝っている様子を描きました。
明るくて華やかな雰囲気にしました。
色の組み合わせに悩みました。
花束やクラッカーは初めて描いたので、難しかったです。
特に、ブラックジャック先生が難しかったです。
(よく考えたら、私はブラックジャック先生を描いたのが初めてでした><;)
でも、楽しく描けました。
楽しそうな様子を感じ取っていただけたら、嬉しいです。
たくさんのキャラクターを描いていただきましたね! 手のポーズや表情もきちんと描かれ、生き生きしています。ピノコが持っているクラッカーが絵に動きを与えています。
背景の塗り方も自然なグラデーションで、大変丁寧です。淡い色に合わせて、花束のような細かいアイテムも淡い表現に抑えてあり、バランスがとても整った絵だと思います。
キャラクターたちの笑顔がやさしい〜!
【投稿者】 館長 さん |
【投稿者】 館長 さん |
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「火の鳥・鳳凰編」は手塚漫画の最高峰だと私は思っています。
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「太陽編」は宗教の政治利用をめぐる争いをテーマにしていますが、過去(壬申の乱)と未来(光VSシャドー)を交互に描きつつクライマックスで一つにつながるという巧みな構成は、「復活編」で試した手法をさらに発展させた感があり、「火の鳥」全編の中でも特に読み応えのある一編です。 |
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【投稿者】 ぶる さん |
【投稿者】 ナッキー さん |
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どろろを読んで、百鬼丸を描きました。 |
こんにちは! |
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一部、振り仮名を追記させていただきました。
手塚治虫を語る会@豊中
去る2月6日。手塚先生の命日(2月9日)を前にして、生誕の地・豊中で開かれたトークイベントに参加。主宰はのりみさんと夫君の浦さんだ。
地元の文化財「原田城跡 旧羽室家住宅」を会場に、30名の手塚ファンや、先生にご縁の方々が集まった。
イベントは、浦さんの軽妙な司会でスタートし、まずはのりみさんから定番の手塚ゆかりの地紹介(今回は、地元指向で小学校、中学校時代を中心に年代順で)。
メインゲストは、手塚先生の北野中学時代の同級生、岡原進氏である。同級生であるから82歳であられるが、
岡原氏は「
書籍類を示されて・・・
『ガラスの地球を救え』はいけません、ウソばっかり(場内笑い)。『手塚治虫少年の実像』こちらが実相です。『朝日ジャーナル別冊 手塚治虫の世界』は、寄せられた大御所先生方のカラー追悼イラストと合わせて実に良い。古本屋で見かけたら即座に購入されるように、と推薦された(帰宅後確認したら全て持っていた私もなかなか感心なヤツである)。
閉会後、私も直接岡原氏にお尋ねしてみた。
先生のエッセイによると、中学にはバントウとかバンカラと呼ばれる乱暴者(いわゆる番長ですな)が居た事になっており、当然これが『ゴッドファーザーの息子』に登場のバンカラのモデルであろうと思っていたが真相は?。
氏のお答え(趣旨)。それもありえません。北野中学には当時インテリ層や富裕層の子弟が集まっており、不良っぽいグループはありませんでした。とのお話であった。・・・うむむ、またしても手塚先生に一杯くわされた!。バンカラと火の見やぐらは結構本気にしていたのだがなあ・・・。うーむ。真相は一体・・・。
真相といえば一つお尋ねするのを忘れた。『ゴッドファーザーの息子』冒頭一コマ目に、当時の阪急十三駅とみられる
当時の駅前に実際にそんな下宿?、マージャン屋?があったのか?、手塚先生と何らかの縁があったのかどうか?。次の機会があれば氏にお尋ねしてみよう。
どこまで真実でどこからが伝説なのか。伝説のままでも面白いけれども、ファンとしては、実際のところをやはり知りたいものだ。
(了)
会場となったのは豊中市曽根西町にある原田城跡・旧羽室家住宅。手塚先生が2歳〜5歳の幼少期に住んでいた曽根近辺で会場を探していた折に見つけたのがこの建物で、現在は豊中市が所有する登録有形文化財です。この建物に私は一目惚れして会場に決定しました。建物を管理する「とよなか・歴史と文化の会」の方にイベントの趣旨と私の思いをお伝えしたところ、その場でOKが取れ、日時場所が即決定。そして、手塚先生の同級生で、なおかつご自身が取材した手塚先生の写真をお持ちの岡原進さんをゲストにお招きいたしました。手塚先生のことを尊敬し、語る方はたくさんおられます。でも「先生」ではなく「手塚君」と同等の立場で語れるのは、同窓で学んだ方以外ありません。手塚先生に直接関わった方のお話を伺い、声を引き出してそれを記録することが、私に課せられた使命だとすら思っております。今回のイベントもそんな私の強い思いから実現に漕ぎ着けたイベントでした。
ゲストとお客さんが一緒になって語り合えるような距離間の近いイベントをやりたい。それもコアな手塚ファンである私が手がけるからできる、手塚度の高いイベントをやりたい。私の頭の中にあるイメージを具体化することをひたすら考えました。2月という時期にこだわり、豊中という場所にこだわり、空間にまでこだわるのが私のイベントスタイル!ここまでこだわるなら、手塚イベントとしても内容の濃いものを目指そうと思いました。私の活動の原動力はただただ、手塚先生への愛に他なりません。本当にただただ私の思いの深さから始めて、それに応えて下さったゲストの岡原進さん、そして会場に足を運んで下さった皆さんと手塚治虫ワールドを通して繋がることの喜びをひしひしと感じております。手塚先生が亡くなられて22年も経つけれど、こうして生誕の地・豊中で手塚先生について語り合える。私自身はリアルタイムを経験していない手塚ファンだけど、手塚先生をリアルに知っている方のお話を引き出し、それに呼応して客席からも手塚先生にまつわるお話が出てくる。本当に私がイメージしたとおりの「手塚治虫について語る座談会」ができたと思います。
私が、こうしたイベントを手がけるきっかけとなったのが2003年4月5日に行った講演会「親友が語る手塚治虫の少年時代」でした。「鉄腕アトム」誕生を前にし、空前のアトムフィーバーで世間が盛り上がったタイミングに行った講演会。手塚治虫先生の弟の手塚浩さん、妹の宇都美奈子さん、池田附属小学校時代の同級生・大森俊祐さんに手塚治虫の実像について語っていただいた3時間半の講演会。180人もの人が詰めかけ、立ち見続出。もう、あんな奇跡のようなイベントは二度とできないだろうけど、でもあの奇跡があったからこそ、今の私の活動に繋がっているのです。
手塚度の高いイベントを自分の手で一から作り上げ、そしてそれが成功することの充実感、達成感。これがあるからイベントってやめられない。やみつきになります!自分の思い描いたイメージ通りのイベントが成功するとたまらなく嬉しくて、だからこそまた次もやりたい!って思うんですよね。
2月9日は、手塚治虫先生のご命日である。1989年のその日、私は高校3年生の冬であり、確か大学入試には通っていたかと記憶しているが、とにかく朝刊の第一面を見てゲッ!と
その嫁さんが、またまた手塚イベントを企画した。手塚先生が2歳〜5歳まで過ごされた豊中市曽根に住友鉱山重役の旧居が登録文化財として保存されている。今回はそこの応接室をお借りしてのトークイベント。
手塚先生の北野中学時代の同級生にして、カメラマン・岡原進さんをメインゲストに迎え、北野時代の思い出と、雑誌の仕事で虫プロを取材した時の思い出などを語ってもらうというもの。
私は、その前日まで一週間、出張で山陰地方をウロチョロして、疲れきって帰宅するなり「明日の豊中のイベントの司会して!」と嫁さんから簡易な台本を突き付けられ、拒否すれば家から追い出されるから中村主水よろしく「ハイ…」と消え入りそうな声で引き受けたのであった。
とよなか・歴史と文化の会の方のご挨拶でスタート。会場は30人定員ぴったり埋まり、大入り満員。進学イベントの仕事をやっている関係上、人が集まるとホンマに
前説ショーを経て、嫁さんが前座として、阪急沿線における手塚治虫ゆかりの地をパワーポイントで紹介。嫁さんの喋りは、少々トチったものの、全体としては
前座がなんとか無事終わり、いよいよ岡原さんのトーク。この方は、同級生だから当然手塚先生と同年齢で、御歳82になられる。しかし相変わらずお達者だ。なんせトークの間、ずーっと立ちっぱなしだった。そしてお話が上手だ。過去に3回ほど聞いてるんで、話の内容は既知のものであったけど、話の上手さに惹き込まれる。別段、学校の先生やってらしたわけでもないのに、司会業やってらしたわけでもないのに。俺も嫁さんも太刀打ちでけへん。
北野の美術部時代の手塚先生に関するエピソード(後輩たちのリクエストに応じて教師の似顔絵を次々と描いて
後年、手塚先生が虫プロを作った際に、岡原さんが訪問し「ある街角の物語」の制作風景を見せてもらい感動した話や、その後、雑誌「教育大阪」の取材で撮影された手塚先生の写真も披露された。また、ラストで語られた手塚先生が
万雷の拍手の内に、岡原さんのお話は終了。続いてお客さんの中で、手塚先生に関する“お宝”をお持ちの方をご紹介するコーナーへと移った。
事前に、手塚ファンクラブ会員でもあるYさんにサイン本を持って来てもらう話ができていて、披露していただいた。1986年に尼崎市で行われた「手塚治虫ワールド」というイベントで、Yさんは『陽だまりの樹』の本にサインをいただいたそうだが、手塚先生は一人一人に「手塚治虫」というサインだけでなく、イラストを描いて下さったそうだ。Yさんがお持ちだったのは『陽だまりの樹』だったので、手塚先生ご自身のイラストを描かれた。それから、初期キャラクターの色紙(ヒゲオヤジ、ケンイチ君、ミイちゃん)が紹介された。これは、現在、手塚治虫記念館に寄贈・展示されている。
それ以外にも手塚先生の1年先輩のご婦人が、手帳の裏に万年筆で描いてもらったイラスト入りサインを披露して下さった。1969年の池田附属小学校の同窓会で手塚先生に描いていただいたもので、アトムとウランの二人が抱き合って踊っている。実に温かい“いい画”であった。
岡原さんも、虫プロを訪問した際に手塚先生からもらった色紙を紹介された。それは、筆でアトムを描き、着色したものであった。評論家・小野耕生氏に「筆で描いて色までつけてるのは極めて貴重だ」と指摘されたとか。
なんとか無事、成功。よかったよかった。
2月26日、横浜に行ってきました。目的は扉座の横内謙介氏脚本の舞台「リボンの騎士 〜鷲尾高校演劇部奮闘記〜」を観に行くため。
http://www.tobiraza.co.jp/stage/kouen/201102_ribon/ribon_1102.html
この演劇は12年前の舞台の再演で、横内ファンの私はどうしても観たかった!12年前の手塚ファンクラブ会誌で手塚ファンの感想
私が初めて横内ワールドに触れたのは13年前に銀座セゾンで上演された舞台「陽だまりの樹」でした。今でも私は手塚原作の舞台の中ではこの「陽だまりの樹」が一番の最高傑作だと思っています。あの感動が忘れられず、以後、横内さんの舞台は何度も観に行くようになりました。原作を忠実に描くだけではどんなに上手く演じても原作を越えることはできません。でも、横内さんの場合、手塚先生の原作どおり描くわけでなく、横内ワールドの中に手塚イズムの神髄を織り込むような脚本で、いつも感動させられます。
【あらすじ】
鷲尾高校演劇部は女子が殆どの弱小演劇部。一念発起して、手塚治虫の漫画を部員自ら脚本化した『リボンの騎士』を上演することになったが、次々と困難が襲いかかる。ひたすら打ちのめされていく部員達・・・・。現実の厳しさを噛みしめつつも友情を結び合い、また淡い恋に揺れながら、少しずつ大人になっていく姿を描く青春ファンタジー。部員達を優しく見守る妖精的な存在として、『リボンの騎士』のキャラクターたちも登場!
(扉座HPより)
「リボンの騎士 〜鷲尾高校演劇部奮闘記〜」は、総勢53名のメンバーで演じる舞台で、出演者はオーディションで選ばれたメンバー+扉座。最初は、「これがリボンの騎士!?どうなるの!?」とかなりドキドキハラハラな部分もあったけれど、次第にストーリーに惹き込まれていき、フィナーレの盛り上げ方はホントに感動しました!うん、良かったよ!泣けたよ!無名の役者が演じる不安なんて吹っ飛びました。どうして、どうして、横内さんの舞台はここまで上手いものか。
この舞台では「リボンの騎士」はあくまで劇中劇という扱いで、ストーリーの大筋は鷲尾高校演劇部員の青春を描いたものでした。主人公・池田まゆみの空想の中で生きる「リボンの騎士」のキャラクターたちが、これまたベタなくらい「コスプレ祭り」状態のそのまんまの手塚キャラで、サファイア、フランツ、ジェラルミン大公、ナイロン卿、そしてヒョウタンツギ(笑)。ジェラルミン大公とかナイロン卿などは、見た目そのまんま!(笑)。そして、ヒョウタンツギがめっちゃいい役まわりだよ〜。「どうせヒョウタンツギは脇役だから」とかいじけたり(爆)、ヒョウタンツギがナレーションを言ったり、これも観ないと説明しても解らないところはあるけれど、とにかく手塚原作のもつ世界観の散りばめ方が絶妙に上手い!ちなみに「リボンの騎士」のストーリー自体はかなりエッセンス程度の味付けで、決して台詞が原作どおりというわけではありません。でも、手塚ファンが観ても最終的にちゃんと納得させてくれるのが横内脚本の素晴らしさ!終盤にかけて、空想の中で生きる手塚キャラクターの「リボンの騎士」達と、演劇部員達が演じる「リボンの騎士」のシンクロも見どころ。サファイアの「私たちはあなたが夢見ることで命を得ている」という台詞は、私たち読者がが「リボンの騎士」からもらった純粋な見果てぬ夢でもあったと思うのです。
最後は演劇部員たちが「リボンの騎士」の舞台を成功させて抱き合って喜ぶシーンでフィナーレを迎えるのですが、その演劇の見せ方には目からウロコでした!ステージは客席とは逆向きで、私たち観客が見るのは舞台の袖の中。まゆみはサファイアを演じたかったけれど、美人で演技の上手い答子がサファイアを演じることになり、それでもその答子への友情からしっかり最後まで裏方を支えたまゆみ。その裏方に徹したまゆみへの花向けとして、キラキラと紙吹雪が舞台裏にも降ってくる。
最後のカーテンコールで見せた出演者全員の「やりきった!」という心からの笑顔は、劇中劇の演劇を成功させた歓びと、本当のこの舞台を成功させた歓びとが、しっかり重なっていたように思いました。淡い恋と青春、演劇に真剣に燃える若き高校生たち、ホントにベタな話なんだけど、ピュアでまっすぐでストレートに心に響く。こういうベタさを真剣にやっちゃっても全然浮かないのが横内ワールドなんですよね。やっぱり横内謙介さんはすごい!
本当に横内謙介さんを「手塚治虫ファン大会」に呼んでほしい!と思いました。検討会の方、ぜひ検討をお願いします(笑)。もっとも、これも手塚演劇を翌年にやる絶妙なタイミングがあれば上手く宣伝にも繋がるんですけどねー。
5月28日にいよいよアニメ映画も封切られるあの作品。偉人伝ながらも魅力あふれるキャラクターが目白押し! 主人公ブッダを初め、あなたも似顔絵を描いてみてはいかが?!
4月に引き続き、『ブッダ』を読んで、感想を書いてみよう! 感想は絵でも、文章でも、絵と文章でもいずれもOK! 印象的なシーンや、好きなシーンが見つかったら、みんなにそれをアピールしてね!
大人気の『リボンの騎士』や『ブラック・ジャック』他、あなたの大好きなキャラクターを投稿してみよう!
もちろん、マイナーな作品でもOKです!
飯能市のアトム像、宝塚市の記念館前の火の鳥のみならず、案外いろいろなところに点在している手塚キャラクター。町で見かけた手塚キャラを写真にとって送ってみよう!
撮影場所を市町村単位で書いて送ってくれるとなおGOODですが、プライバシーにかかわる場合は伏せてもオッケーデス。画像の質は特に問いません。気軽に撮って送ってね。
そのほか、自由な題材での投稿も随時、応募しております! ふるってご応募ください!
メールや投稿ページからの投稿の場合、虫ん坊コーナーへの投稿だということが分かるように、「【虫ん坊投稿】」などの文字を件名に入れてね!