庄助沼の「ぬし」は生き残りの恐竜だった!?「ぬし」と浪人侍の心の交流を描いた時代劇SF短編です。
「ぬし」は江戸時代のはじめを舞台にした、ちょっと変わった動物ものです。
関が原の戦いから十年、天下をとった徳川家康がいよいよ大坂城をねらい、諸大名もぴりぴり、落ち着かない日々を過ごしていた時勢、慌しく駆けていく早馬を尻目に、浪人が一人、霧深い庄助沼のほとりで、のんびり釣りをしています。早馬に踏みつぶされた弁当の握り飯を沼に投げ込んだところ、「さしわたし三丈(九メートル)」もあるおおきな竜が姿を現します。
腕に覚えはあるが、戦に嫌気がさして浪人をしている飄然とした若者と、竜という取り合わせは、昔話にでも出てきそうな雰囲気ですが、この竜の描写を見てみると、どうもネス湖のネッシーのような、恐竜の生き残りを思わせる姿かたちをしているのです。しかもちゃんとまつげが生えていて、目つきがちょっと色っぽく、どうやら女性(雌?)であることがうかがい知れます。
『ブラック・ジャック』の「シャチの詩」を取り上げるまでもなく、手塚マンガには孤独な人間と動物の交流を描いた作品が数多くあります。「シャチの詩」ではB・Jとトリトンは友人関係のようですが、「ぬし」のおぬしはどうも浪人の天十郎に恋をしてしまったらしく、結婚指輪まで渡しています。しかし、心優しいおぬしは、藩のお偉方に狙われ、おぬしの恋は悲恋に終わります。
民話ならば、沼のぬしの竜神と若者の悲しい恋の物語、とでもなりそうなプロット。それをSFの名手でもあり、さらには超科学などにも大いに興味を持っていた手塚治虫が、持ち前の知識やアイディアで味付けしたのがこの「ぬし」。科学的な説明もくわえられ、現代風の、よりリアリティに富んだ設定に変更されたことでより一層、人間のエゴイズムに翻弄されるおぬしと天十郎の悲しさを際立たせた、まさに佳作と言える一編です。
1972/06/19 「少年チャンピオン」(秋田書店) 掲載