変身ヒーローの魅力は、世をしのぶ仮の姿にあり、と思うのです。
スーパーマンが普段は平凡な新聞記者・クラークとして生活しているように、いざというとき以外、本当に強いところを見せないのがカッコいい。普段の姿がちょっと頼りなくても、変身すると強い、というギャップが良いのです。
しかし、もし、スーパーマンからスーパーマンの部分だけ消えてしまって、平凡な記者クラークだけの存在になってしまったら、どうでしょうか?
日本でも、パーマンや仮面ライダーなど、主人公が表と裏の顔を持っている、いわゆる「変身もの・マスクもの」のヒーローがたくさんいます。「ジェットキング」はそんな日本のマスク・ヒーローものの萌芽というべき作品。主人公のアッちゃんも、普段は平凡な小学四年生。「いつもポーッとユメを見ているような」ところがあって、それでしょっちゅう先生に怒られている男の子です。ところが実は宇宙人の遠い子孫で、どんなものにも姿を変えられ、悪人を懲らしめるために覆面に顔を隠して大活躍…するのです、いや、しているはず。
世界中の悪人のアジト「首吊り島」なんて本当にあるの? とか、漬物屋さんのおじいさんが実はロケットの権威のベッタラ博士だったり、婦人警官のお姉さんにそっくりな「宇宙の使者」が出てきたりなんて、ちょっとおとぎ話風に過ぎやしないか、というのもごもっともです。でも、まあ、漫画の世界の話だし、と思って読み進めていくうちに、実は、たいそう思い切ったどんでん返しがあるのですが、これは勘の良い読者の方なら、途中でうすうす勘付くはず。とそこで、「なーんだ○○オチか」と思う前に、ぜひぜひ最後まで、読んでみてください。最後にちょっとしたマジックがあって、そこを読んで初めて、○○オチ込みで心の温かくなる、実に心憎い結末が姿を現すのですから。
1959/01-05 「漫画王」(秋田書店) 連載