講談社 手塚治虫漫画全集「I.L」2巻 表紙用イラスト 1982年
ひとりの男と、どんな人間にでも変身できる謎の女性I.L(アイエル)の目を通して、現代の病巣を、さまざまな角度から浮き彫りにした、大人のためのおとぎ話です。
映画監督の伊万里大作は、3年前までは一流の監督として名が知られていました。 しかし、映画に夢が持てなくなってしまったため、わざとめちゃくちゃな映画を作って映画界に別れを告げたのです。
そんなある日、街角の占い師から、古い大きな家を紹介され、そこでアルカード伯爵という男から、I.L(アイエル)という名の不思議な女性を託されました。 アイエルは、愛用の棺の中に入ると、老若男女、どんな人物にでも変身することができるのです。
伊万里大作は、アイエルを使って、身代わり引受業のようなことを始めました。 依頼があると、アイエルがその内容に応じて、さまざまな人物に変身し、大作が陰からその演出をするのです。
1969/08/10-1970/03/25 「ビッグコミック」(小学館) 連載
どんな女にでも(時には男性にも)変身することができるヒロイン・I.L。手塚治虫の作品には、他にも「バンパイヤ」のロックや、「MW」の結城美智夫、あるいは「七色いんこ」のいんこなど、そうした離れ業をやってのける人物がしばしば登場します。演劇を愛した手塚治虫らしいこのアイディアが、この作品では重要なモチーフに据えられています。I.Lは棺桶を使うことで魔法のように変身しているように見えますが、彼女曰くそれはあくまで「演技」ですので、役柄の人物を演じながら、時折素の自分が出てきて悩んだりも...。
彼女の演技と伊万里大作の演出によって作られるのは、依頼者の望む結末なのでしょうが、それは時と場合によっては依頼者にも思いもよらぬ結末を連れてくるようです。
小学館 ビッグコミック 「ラスプーチン」扉絵 1970年
『地球を呑む』(1968-1969年)に続いて、青年コミック誌「ビッグコミック」に連載された作品です。 前作では、長編にするか読み切り形式にするかで迷い、結局、中途半端になってしまったという反省を踏まえて、この作品は最初から、1回1話完結形式の読み切り連載として描かれました。
手塚治虫は当初、タイトルを「I WILL」の意味で「I'L」としたつもりでしたが、予告編に、間違って「I.L」と出てしまったため、思い切って、それをヒロインの名前にし、タイトルも「I.L」に変えてしまいました。
手塚治虫のマンガは、あらかじめ綿密に計算されたプロットが用意されていることが多い一方、それを状況に応じて柔軟に変化させていくライブ感覚も併せ持っています。 この、タイトル変更のエピソードなどは、そうした手塚治虫のライブ感覚の一端をうかがわせる典型的な例と言えるでしょう。
I.L
美しく清純な女性で、どんな女性にもなり替われる謎多き「女優」。その特技を生かして、伊万里大作のもとに舞い込む依頼人に成り替わる。伊万里大作によれば「どんな女にも変われるしどんな相手の心にもなれる」が「自分自身のものがない」。
>キャラクター/I.LI.L
伊万里大作
可世子
映画監督。三年ほど前までは「名監督」として名をとどろかせたが、映画の流行の潮目の変わりめに乗り切れず、ひどい映画「睾丸殿下」を最後に映画界から退く。失意の中で見つけた古い洋館で、アルカード伯爵となのる男から「りくつでわりきれない事件をうんとでっち上げてほしい」と依頼され、女優としてI.Lを託される。
伊万里大作の別れた妻。離婚後実業家と結婚していたが、別れて赤坂の「可世井」という料亭をおかみとして切り盛りしている。浮気性でしたたかな女性。
ビッグコミックに描いた第二作です。
第一作の「地球を呑む」は、大風呂敷をひろげすぎ、意気ごみすぎて、収拾のつかない物語になりました。
と同時に、他の作家の連載が毎回読み切りであったせいもあって、「地球を呑む」は一回一回の読みごたえがどうも物足らず、人気の上でも差をつけられた感じでした。
第二作の「I.L」では、同調してシリーズものにしました。そのため反響は「地球を呑む」よりも上々でしたが、そのかわり大河ものを期待していたファンには、物足らない、小わざだ、という大多数の意見でした。
「ばるぼら」と同工異曲のファンタジーものなので、リアリティーに欠けるきらいがあったせいかもしれません。
なにしろぼくは、女性のからだはまったく描けないのです。従って、このヒロインのデッサンはむちゃくちゃです。この全集に再録するにあたり、このひどいデッサンをかなり修正しようかと思いましたが、恥をしのんでそのままにしました。革マルとか、フーテンとか、あるいは不条理映画とか、ベトナムとか、あの当時の情報がいろいろぶちこまれています。
(後略)
(講談社刊 手塚治虫漫画全集『I.L』2巻より)