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イベント/舞台

  • 手塚治虫〜過去と未来のイメージ〜展

  • (1995/08/03)

  • 主催:手塚プロダクション、朝日新聞社
    協賛:安田生命保険相互会社
    協力:宝塚市立手塚治虫記念館、浜名梱包輸送株式会社

    日程:1995年 8月 3日(木)〜 9月 3日(日)
    新宿:伊勢丹美術館

    日程:1996年 1月 2日(火)〜 1月16日(火)
    札幌:丸井今井

    日程:1996年 3月28日(木)〜 4月 9日(火)
    大阪:大丸心斎橋店

    日程:1996年 7月17日(水)〜 7月31日(水)
    新潟:伊勢丹アートホール

    日程:1996年 8月 6日(金)〜 9月 8日(日)
    高松:高松市美術館
      日本での漫画の興隆は、手塚治虫を抜きには考えられません。手塚が漫画にストーリーを取り入れたことで、漫画は子供だけの物ではなくなったのです。SF、歴史、動物、怪奇、冒険など、驚くほどバラエティに富んだ作品を残していますが、そこに一貫してみられるのは自然の美しさ、生命の尊さに対する手塚の想いです。ストーリー展開の巧みさ、スピード感あふれる描写に引き込まれて読むうちに、いろんなことを考えさせられたという経験を持つ人も多いことでしょう。 手塚哲学はどのようにして形成されたのでしょうか。少年期を過ごした兵庫県宝塚市は自然の宝庫でした。昆虫採集に明け暮れ、中学時代には、図譜やエッセイをたくさん書き残しています。そこには、昆虫の美しい色や形を克明に見つめる目、小さな生命をいとおしむ心があふれていて、後の作品の重要なテーマである自然の美しさ、生命の尊さにつながっています。本展ではこれらのノート全15冊を初めて本格的に紹介します。また、戦時の暗い日々の中で、戦争をユーモアと批判を交えて描いた「勝利の日まで」と17歳にしてすでに科学の功罪を説くSF長編大作「幽霊男」の全容を公開します。愛すべきキャラクターたち、斬新な描写など、手塚漫画の原点といえる作品です。 宝塚の自然、歌劇や映画、戦争など、手塚少年に影響を与え、後の「手塚治虫」を育んだものを検証するとともに、手塚治虫が創り出した楽しい未来世界を展開します。この機会にあらためて、手塚が私たちに残したメッセージを考え直してみたいと思います。時代を超えて愛され続ける天才の秘密が見えてくるかもしれません。
    <展示内容>

    第一部:過去のイメージ
    手塚哲学の萌芽
    1.生命の不思議
    2.人間と科学
    3.ミステリアスなものへの憧れ・異端
    4.戦争批判

    第二部:未来のイメージ
    デザイナー手塚治虫の世界
    1.ロゴマークデザイン
    2.映画的手法
    3.絵としての完成度
    4.近未来都市
    5.ロボット/メカニックデザイン
    6.擬人化/架空昆虫
    7.キャラクターデザイン


    第一部:過去のイメージ
      手塚哲学の萌芽
      昭和18年から20年にかけて手塚治虫(当時15歳から17歳)は宝塚で、大学受験期を迎える。日増しに戦争が激しくなり、食料や生活物資が不足して、満足な生活ができないまま、泥沼の世界大戦へと突入した時代だった。この時期の手塚の日記には、「学業」「昆虫」「漫画」「戦争」に関する記述が多い。次第に強化される軍事教練や、勤労奉仕に飽き飽きしながら、憂さを晴らすように昆虫採集や甲虫図譜の制作、漫画の執筆に没頭していた様子がよくわかる。手塚は友人と「治蟲堂」なる出版グループを結成し、ノートや手帳に昆虫図鑑を模写したり、得意の漫画を描いて回し読みしてわずかな楽しみとしていた。現在確認できる青年期の習作は、当時からの友人、林久男氏が所有しておられる「甲蟲圖譜」等の昆虫関係のノート十数冊と、自宅の仕事場に保管されていた「昆虫手帳」漫画「オヤヂ探偵」「バリトン工場事件」「勝利の日まで」「幽霊男」などである。このうち、「甲蟲圖譜」「勝利の日まで」「幽霊男」はちょうどこの昭和18年から20 年にかけて描かれた。これらの習作漫画や昆虫手帳は、生前から存在は確認されていたが全部を閲覧することは決して許されなかった。平成6年に宝塚に完成した手塚治虫記念館の展示企画の際に、遺族の許可で初めてその中身を見ることができた。驚くことに、そこには、デビュー後の手塚が生涯追い続けたテーマが凝縮されていた。すなわち「生命」「人間と科学」「ミステリアスなもの・異端」「戦争批判」の精神である。おそらく手塚はこの時期、これらのテーマを無意識に自分の体内に取り込んでいたのであろう。もとになったのは、御殿山での昆虫採集、宝塚歌劇のレビュー、大阪の科学館、治蟲堂なる虫仲間の集まり、そして戦争の体験なのである。こうした体験の蓄積の表現として、天才作家はストーリー漫画を独自のスタイルで確立してゆく。才能の萌芽ともいうべき作品が、本展で紹介する「甲蟲圖譜」「幽霊男」「勝利の日まで」なのである。
     
    1.生命の不思議
      昭和18年からの日記には、昆虫採集や標本づくりの記載が多く、熱中していた様子がうかがわれる。手塚が育った宝塚は周りに自然があふれ、幼いころ駆け回った山川や野原、林の向こうに真っ赤に大きく揺らめきながら沈んでいく夕日、風のざわめき、青い空に高く流れる白い雲などが、手塚の中に忘れられない懐かしさを植え付けた。ヒオドシチョウが羽化している姿に喜びを感じ、標本のために殺すのが可哀そうで仕方ないこと、電灯に飛来する蝶に目のさめるような美しさを認めていること、蝶がたくさん飛翔していて、初めは美しいから捕っていても、やがて可哀そうになって止めてしまうことなども日記には書かれている。手塚は自然や昆虫の世界に、何か美しいもの、儚いもの、生命の神秘を感じているのである。この体験はやがて大きな思いとなり、自然に対する強い意識になってゆく。このことは単に採集や標本づくりの作業にとどまらず、友人との昆虫同人誌の発行や昆虫図譜の完全模写という活動へとつながっている。手塚は晩年の講演をまとめた本「ガラスの地球を救え」のなかで、「マンガで未来社会をずいぶん描いてきましたが、それはぼくのなかの“自然”が土壌となって、宇宙の彼方にも飛んでいく、あるいは小さな虫の中にも潜りこんでいく想像カを育んでくれたからこそだと考えています」と述べている。手塚の自然観はまさにこの時期の体験や活動があって培われ、生涯に渡って繰り返し表現されるテーマの一つとなったのである。
     
    2.人間と科学
      手塚治虫はプロとして最初のストーリー漫画「新宝島」を発表後、「地底国の怪人」「流線型事件」「メトロポリス」「来るべき世界」「ロストワールド」などを次々にヒットさせた。そして、SF作家としての手塚の名は「鉄腕アトム」において全国区になった。ロケット列車、ロケット、ジェット機などが活躍し、それらのデザインは科学的に流線 型で表現されていた。また、高速道路や高層ビルが立ち並ぶ都会で、人間は立体映像機やロボットを使いニューメディアで囲まれた生活をしていた。手塚は戦後すぐ、人々が想像もつかない時代にこれらを表現していたのである。しかし、科学そのものは決してバラ色の未来と受けとらず、至上主義的態度もとらなかった。「メトロポリス」のエンディングでは「おそらくいつかは人間も、発達しすぎた科学のために、かえって自分を滅ぼしてしまうのではないだろうか?」と予言している。この思想が最初に登場するSF作品は、17歳でノートに描きつづった習作「幽霊男」である。それまでの習作は「オヤヂ探偵」「バリトン工場事件」などに代表されるような、冒険、スリラーものだった。 また「幽霊男」は「科学の天上に到達した人間が生命を支配創造するに至って、自然の罰を受け、却って自らの生命を絶ってしまった」という序文で始まり、「科学を考究する者の科学が無限であり、而して有限であるという説を肯否する者」に捧げられている。手塚はここで「科学」が人間にとって万能でないこと、それには探求すべからざる処女林があることを、すでに17歳の習作で表現している。科学とは、使い方によっては人間に牙を向けるものと捉えていた。このときまだ、日本に原子爆弾は落とされていなかった。
     
    3.ミステリアスなものへの憧れ・異端
      習作作品「幽霊男」は一見「正義と悪」の戦いを描いているように見える。しかし、構成は、勧善懲悪といってしまうにはあまりにも複雑である。幽霊のように動き回る黒い影、白い影、人造人間プポ、ロボット毒蛇(コブラ)姫、人面鳥、各種のわけのわからない実験で改造される動物たちがみな、生き物としての主張をもつ。彼らは行動範囲の広さ、活動の力強さ、自由さなどの点で人間の主人公を凌いでおり、手塚がミステリアスな存在に非常に魅力を感じていることが理解できる。こうした憧れはやがてデビュー後の作品における異端というテーマへとつながってゆく。手塚の主人公は、いわゆる完全無欠のスーパーヒーローではなく、孤独なアウトサイダーである場合が多い。自分だけが特殊なため、周囲に受け入れられず、悩み苦しむのである。人間とロボットの間に立つ「鉄腕アトム」、人間と動物の間で悩む「ジャングル大帝」の白いライオンレオ、男と女の二面性を持たざるを得ない「リボンの騎士」の王女サファイアなどがその例だ。彼らの苦しみに向き合うとき、社会の、ひいては人間の抱える矛盾が見えてくるのである。
     
    4.戦争批判
      昭和20年、戦局が厳しさを増す中、17歳の手塚は日記に次のように記す。「近頃、飛行機をつくれ、と叫ばれるがあれは一体何を意味するのだろうか。それはとりもなおさず、飛行機を発明せよということに非ずや?いくら同じ型のものばかり造っても、それは愚人の一人仕事に等しい。改良に改良を加えるのが、この標語の真意だと思う。残念な事であるが、日本の現在の飛行機は、米の航空機にはまだまだ至らない。新鋭とか何とか言っても、結局 B29などと比べれば、鷹に見舞われるみそさざい程もちっぽけなものだ…(中略)…それを、改良すら加えず徒らに数を増やした所で、対等とはなるが勝利とはならないだろう。技術者が悪いとは言わないが、増産の前にもっと研究する必要があると思う。我々の時代には、きっとB29の何倍の性能を持つ新鋭機を作り上げてみよう。それにはまづ勉強だ!」国策を冷静に分析しているが、青年手塚は戦争をどのように受け止めていたのか。一方で、この時期の習作「勝利の日まで」では、戦時下の人々の様子を面白おかしく描いている。徹底した軍国教育下にあっても、マンガ作家としての手塚は風刺とユーモアで戦争をパロディー化して表現し、戦争賛美の風潮や肯定の思想を皮肉っているのではないだろうか。予告編では神国日本の鉢巻をしたヒゲオヤジや勤労奉仕に精をだす人々が描かれ、さながら戦意高揚漫画であるが、実際に本編で描かれた雰囲気はまるで異なっており、戦争の愚かさを見透かしていたかのようだ。「戦争批判」という、手塚が生涯描き続けたテーマはこの作品から始まる。
     
    第二部:未来のイメージ
      デザイナー手塚治虫の世界

      第一部を通して、手塚治虫青年期の習作「甲蟲圖譜」「幽霊男」「勝利の日まで」の中に、デビュー以後の作品にも受け継がれ、生涯にわたって繰り返し表現されてゆくテーマがすでに包含されていたことを見てきた。またこれらの創作活動や体験は、単に手塚の思想形成に役立っただけではなく、表現の上でも様々なインスピレーションを与えた。とくに動植物、昆虫、山、川、岩という自然の持つ力強いフォルム、精緻なディテール、複雑だが安定した構造などは作画上の基礎となっている。手塚はさらに、想像力でそれらを自由自在に変形し、キャラクターやメカニックのデザインとして応用した。また、手塚の育った宝塚は、少女歌劇団や遊園地があり、酒落た建物が並ぶモダンシティで、近隣には大阪の科学館や映画館があった。歌劇や映画に影響を受けて、それまでの漫画にはなかった新しい手法を取り入れたり、プラネタリウムに感動して、宇宙について考えたことをストーリーに盛り込んだりしている。斬新なデザインや新手法を導入し、新しいストーリー漫画を開発していった手塚治虫。作品の中に表れる未来のイメージは、実はこの頃の体験や観察のデザイン的変容なのである。
     
    1.ロゴマークデザイン
    2.映画的手法
      戦前の漫画は平面的(統一された視点)なものが多かった。幼少から映画に強い興味を示した手塚は、漫画に映像的イメージを取り込んで「立体的な漫画」を創りだそうと考えた。手塚は、表情豊かなキャラクター、パノラマ、移動画面、クローズ・アップ、陰影(光と影のコントラスト)、擬音、計算された構図(例えば一人を手前に、他を奥に配置する)などの映画的な表現方法を取り入れた。断片である「コマ」を「シーン(場面)」として組み立てることによって、出演者(キャラクター)が劇(ストーリー)を展開する、手塚独自のストーリー漫画を創りだした。私たちは、手塚の描く一つのコマから、次に起こる情景を視覚的に感じ取る。それぞれのコマが動きやリズムを持っているのである。漫画はただ見るのではなく、読み、感じるものになった。昭和20年代に言われた手塚漫画の「画期的な新しさ」とは、単にロケットやロボットなど新しいものを見せるだけでなく、新しい見せ方によって読者に臨場感を与えたことである。まさに、映画のスクリーンを紙に置き換えたといえる。漫画の可能性を著しく拡大したこの画期的な映画的手法は、以後、多くの漫画家に影響を与えることとなった。
     
    3.絵としての完成度
    4.近未来都市
      近未来という言葉が本来の意味を失い、逆説的ノスタルジックな意味で表現され始めてから一時代が過ぎた感がある。フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』のリヴァイヴァルや、コナン・ドイルの『ロスト・ワールド』、H・G・ウェルズの『来るべき世界』の再評価が単なるファッションでしかなく、今となっては、それすらも時代遅れに感じられる。戦後復興の混乱の中で上梓された、同タイトルの手塚治虫SF三部作は、想像上の生物や道具、事象が横溢するSFの体裁をとりながら、当時の、あるいは近い将来の日本が抱える現実的な問題を内包させていた。そこに描かれているビル群や交通システム、宇宙(未知なるもの)との対峙、登場するキャラクターの性格設定など、すべてが健やかなパワーとある種のはかなさを併せ持ち、ペシミスティックな感情を想起させる。特に、近未来都市に立ち並ぶビル群は、手塚が少年時代の心象風景の建築(例えば宝塚ダンスホールや大阪電気科学館など)に酷似しているが、それらが破壊されるシーンからは社会派ノンフィクションと呼べるほどの普遍性が読み取れる。日本の構造的社会基盤が根底から変革を強いられている今、改めて「近未来都市」の本来的意味について考えてみなければならない。
     
    5.ロボット/メカニックデザイン
    6.擬人化/架空昆虫
      手塚治虫の漫画には、人間の言業を喋り、2本足で歩き、人間と同じしぐさをする動物等が描かれる。擬人化という方法は、小説でもよく使われるが漫画ではビジュアル的な要素と相まって、不思議さの中にもなごやかな印象を与える。これに手塚のセンスが加わると、レオが陽気に歌い出し、リスの尻尾をもつ「0マン」のリッキーは、愛らしく俊敏に動き回る。「W3」の3匹は、宇宙人が地球の動物(馬、カモ、ウサギ)に変身したものであるが、親近感を覚えさせる。「びいこちゃん」では、登場する昆虫全てを擬人化することによって、人間的な視点から昆虫の世界を描き出している。架空生物実際に存在し得ない生物を、ビジュアル化するにあたって、手塚治虫は昆虫や動物をモチーフとしている事が多い。例えば、宇宙人である“パピリオン”(キャプテンKen)や“エプーム”(ロック冒険記)。前者は、触角、複眼から連想されたマスクと、羽根と前節を合わせた手を持つ「昆虫イメージ」である。後者は、クチバシがあり、羽根を手とするデザインの「鳥イメージ」である(劇中では、鳥人と呼ばれる)。又、伝説の動物も教多くのビジュアル化している。フェニックス(火の鳥)・ユニコーン(ユニコ)・モア鳥(≡つ目がとおる)などある。そして、絶妙の間合いで登場する “ヒョウタンツギ”や“スパイダ−”などの生物群(?)は、手塚の少年期の自由な想像から生み出された、架空生物なのである。
     
    7.キャラクターデザイン
      手塚作品を語るとき、個性豊かなキャラクターたちを忘れてはならない。アトム、レオ、ヒゲオヤジなど魅力あふれるキャラクターを千以上も生み出し、コマの端に登場する名もないキャラを合わせると一体どれほどの数になるのだろうか。なぜこれほど膨大なキャラクターを創作し、かつ人々に愛されたのか。その所以をデザインの観点から考察すると、「デフォルメとアクセントの妙」そして「比類なき想像力」にあると言える。前述は人物、動物、昆虫などに見られ、後述は宇宙人、怪物、ロボットなど架空の昆虫に大いに発揮される。一度見たら忘れられないお茶の水博士の鼻、幼年期のレオの流れる前髪が何とも人間臭い。名優ヒゲオヤジに至っては、50年前の習作『幽霊男』からずっと変わらぬ姿(白髭と目尻のシワ、蝶ネクタイ)を見せてくれている。一方、「想像力」に目を向けると、やはり『幽霊男』で既に、人面鳥、コブラ姫、プポらが登場する。中でもプポ、コブラ姫らロボットに注目したい。SF作品でのロボットの歴史を追うと、1919年、チャペックの『R.U.R.』に始まる。いわゆる人造人間である。その後1940年、アシモフが『Robbie』で金属性の機械ロボットを世に送りだす。電子頭脳を備えた論理的、科学的ロボットがここに初めて誕生する。当時17歳の手塚少年がこの2作品を読んだかは定かでないが、人造人間型や機械型のロボットを作り出し、それは後のアトム誕生へとつながっていく。人間的感情を持ち、風貌も人間に近いが、部分部分にロボットであることを感じさせるデザイン。限りなく人間らしいメカニック・アトムこそ、手塚治虫の類い稀な想像力だけが生み出せるものである。本展では、音楽に合わせて約三百のキャラクターが登場するMTV的映像を制作した。手塚のキャラクターたちの魅力が存分に伝わることだろう。
     
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