宝塚に伝単が降る

1945年8月【16才】

すでに周辺が焼け野原となった宝塚にも、空襲の予告ビラが撒かれます。手塚治虫は描きあげた三千枚の原稿を前に絶望します。

手塚治虫エッセイ集より

宝塚の近辺はすでに爆撃の洗礼をうけ、尼崎(あまがさき)、伊丹(いたみ)、仁川(にがわ)あたりは軒なみに焼け野原となった。

夜になると焼夷弾の雨が、まるでクス玉から出る紙吹雪か、銀紙のテープのように、はるかかなたに降っているのが見えた。

 

そのうちに宝塚にもB29が飛んできて、ビラを撒(ま)いていった。

町会は、驚いて、ビラを拾った者は絶対に読まずに提出すべしと言ってきたが、絶対に読まずにというのは無理だ。

そこには、「八月十五日に、歌劇の町に、花を咲かせます」と警告してあったそうだ。

「歌劇の町に花を咲かせる」とはしゃれた文句である。

 

ぼくはもうこれでダメだと思った。

 マンガ「やまなし」原画より

 マンガ「やまなし」原画より

マンガ「やまなし」原画より

ぼくは、自分の部屋にうずたかく積まれた原稿の山を見た。

三千枚近くもある。

色が変わって黄色くなったものや、埃(ほこり)をかぶったもの……。

——よくもこれだけ、頼まれもしないで描いたものだ——われながら感心した。

ちょうど十五冊めの大長編が、今日、明日のうちに仕上がる予定になっている。

そのタイトルは「おやじの宝島」——およそ一千ページの大河ものである。

 

どうせ日の目をみることはあるまいと思ったが、焼いてしまうのはなんとももったいない気がした。

 

そして、八月十五日がやってきた。

講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集 1』より
(初出:1969年毎日新聞社刊『ぼくはマンガ家』)