1945年3月30日【16才】
手塚治虫の当時の日記には、沖縄戦の激化から、戦争が目前に迫っていることが綴られています。
1945年3月30日の日記より
マンガ「モンモン山が泣いてるよ」原画より
三月三十日(金) 晴れ 暑し
琉球列島を艦砲射撃、慶良間列島に遂に上陸!
而して我が軍は海空呼応して邀撃(ようげき)戦展開、多大の戦果を収めつつある。
——驚くべき情報がやつぎ早やに耳に届く。
本土決戦の神機が目前に迫ったことを犇々(ひしひし)と胸中に感じた。
今日最後の乾パンの配給があった。もう当分ないそうだ。
一昨々日(さきおととい)迄の欠席届け書を今朝間に合わなかったので母に工場へ持って来て貰った。
そしてそれをチャカに提出すると「お前は誤解しとる」といってさんざんにたこをつられた。
どうもチャカの言うことは一々わからない。
注)たこをつられる>当時の関西の言い回しで、叱りつけられること。
講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集 6』「思い出の日記——昭和二十年——」より