2015年最後のオススメデゴンスで紹介するのは、『MW(ムウ)』です。
MWとは、ベトナム戦争末期に開発された毒ガスタイプの生物化学兵器のことを言います。本作は2009年に映画やドラマ化もした人気作品です。
まるで、実話のような、実際にあってもおかしくない可能性をのぞかせた設定が根底にあり、リアリティをおびたストーリー展開も見どころのひとつとなっています。
主要人物のひとり、エリート銀行マン・結城美知夫。
彼は狂気の連続凶悪犯罪者という別の顔を持っており、そんな彼にとって、もはや人間は、男も女もなくただの「オモチャ」や「道具」。その所業は自身も人間でありながら、凶悪な毒ガス・MWと化してしまったかのようです。
しかし、MWは戦争のために人間が作り出したものであり、ガスを浴びてしまった彼もまた被害者であるのです…。
作品の世界観を通し、なにもかも壊してしまう戦争の愚かさ、恐ろしさ、生じる矛盾も伝えたかったのかも知れません。
東京・丸の内にある手塚治虫書店では、ご購入の方にもれなく「しおり」プレゼント! 11月、12月は『MW』のデザインです。
帰省のお供に是非、お手に取ってみて下さい。
(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『MW』あとがき より)
従来の手塚カラーを打ち破り、あっけにとられるようなピカレスクドラマを書いてみたいと思って、この物語の構想を立てた。
ありとあらゆる社会悪——暴力、裏切り、強姦、獣欲、付和雷同、無為無策……、とりわけ政治悪を最高の悪徳として描いてみ
たかった。が、今となって遺憾千万なのは、すべて描きたりないまま完結させてしまった、自らの悪筆に対してである………。
題名の『MW』とは、戦争用の兵器として開発された、数秒吸い込むだけで死に至る、という架空の毒ガスの名まえです。ガスは結局使われず、日本の沖ノ真船島に隠されました。
ところが、このガスが事故で漏洩し、島の住人が一瞬で全滅する、という事件が起こります。当時の政府は隠蔽工作に奔走し、事件は隠されたかのように見えましたが、二人の少年が毒ガスを逃れて生き延びていました。二人は事件のあった晩、島の風上の洞窟にこもっていたので、助かったのです。
冷酷な殺人鬼である結城美知夫と、彼が唯一心を許し、同性愛関係を結んでいる賀来こそが、沖ノ真船島より生き残った二人でした。賀来は事件のショックを癒すために教会に身を投じ、神父となりますが、美知夫はMWの毒に冒されたのか、人殺しをなんとも思わない冷酷な悪魔と成り果てて、漏洩事故の責任者達とその家族を痛めつけ、つぎつぎと殺害していくのでした。
この作品が手塚作品の中でも異色と言われるところは、やはり主人公の美知夫の特異なキャラクターにあるでしょう。いまどき同性愛に当時ほどの差別意識はないにしても、マンガの主人公がずばり同性愛者である、となると、現在でもかなり特異な部類になるはずです。
アメリカのサスペンス小説やヨーロッパの犯罪映画などを思わせる巧妙な犯罪の描写や、国家レベルでの陰謀を背景にしたプロットはとても読み応えがあり、胸の悪くなるような悪事を次々と働いていく美知夫から、なぜか目が離せなくなります。対する賀来神父や目黒検事、青畑記者などのキャラクターもそれぞれ個性が強く、彼らが命がけで美知夫や、毒ガスMWに絡まった巨悪と対決してゆくさまには、手に汗を握らされます。
美知夫の手で次々に破滅に追いやられてゆく政治家や資産家達もそれぞれアクがたっぷりきいたキャラクターですし、彼らの子女であったために悲劇に巻き込まれていく女性達も魅力的ですが、特に注目したいのは、目黒検事。カラスのくちばしのようにとがった鼻に長い黒髪、黒いスーツで幾分猫背、陰鬱そうな顔をした彼は、むしろ正義側の人間のはずなのに、なぜか不気味で、コマに登場すると安心するどころかぞくりと不安になる、というキャラクターです。犯人を追い詰める検事がむしろ地獄の使者ででもあるかのような外見をしている、というのはなんともシニカルです。もっと物語が描かれれば、この目黒検事からも思わぬ悪徳が飛び出てきたのかもしれません。
「描ききれなかった」という作者の言葉ではありませんが、ラストの思わせぶりなシーンも含めて、まだまだいろいろな展開が考えられていたのではないでしょうか。そんな描かれなかった「この先」という世界がいくらでも妄想できそうな名作です。